小説 | ナノ



キャンディはポケットの中

伏見猿比古は女になりたかった。
性別は女だがそれを知る人などまわりには誰もいないのだ。
一人称は俺であり、セプター4の制服は男物を着用しているため無理はない。
そんな風に生きてきてもう19年もたってしまったので今更なのだろうが。
自分の男としての生き方が嫌いな訳じゃない。
でも、もしも、数年前に戻れるのだとしたら、迷わず女として生きる道を選ぶだろう。
伏見は性を捨て去ることはできなかったし、あがらうこともできなかった。
恋を、している。
伏見猿比古は八田美咲の女になりたかった。



ああ、くそ、めんどくさい仕事押し付けやがって。
大量の書類を目の前に、伏見は小さい舌打ちを鳴らすが宗像に気にした様子は見られない。
「では、デスクワークが嫌なのなら、たまには息抜きになるでしょうし、地域の見回りに行ってもらいましょう」
「は?…見回り」
「はい。デスクワークより楽だと思いますが?」
「…そーですね。じゃあ行ってきます」
踵をかえし、部屋を出ようとドアノブを握ったところで、
「待ってください」
宗像が伏見を手招きで呼ぶ。
「まだ何か?」
「これ、お願いできますか?」
メモ帳一枚と財布が渡される。
「ジグソーパズル」
メモには几帳面な字で、そう書いてあった。
「伏見君の気に入ったものを買ってきてもらいたいんです」
「俺はあんたのお使いなんて…」
「いいじゃないですか。今持っているパズルは全て完成してしまったので。それに君がどんなパズルを買ってくるのか楽しみなんです」
珍しく宗像がふわりと笑うので伏見は言葉を詰まらせる。
「あと、余ったお金は伏見君の好きに使ってかまいません」
「…わかりました」
今度は出ていこうとしても呼び止められることはなく、宗像は伏見を見送った。



ほんの、気まぐれだった。


雲ひとつない空を映したパズルを購入したら、お金は十万円近く余った。
あの人、ジグソーパズルの金額を知らなかったのか。
伏見は一人納得し、お札に目をやる。
「ちっ」
舌打ちが響いた。



ショッピングモールから出た伏見の両手にはたくさんの荷物。
宗像に貰ったお金を全て女物の洋服につぎ込んだ。
そのうちのワンセットを着用した伏見は何処からどう見ても女なのだが、自信が持てないのでショートウィンドウに映る自身を見つめ、確認する。
美咲の目にはどう映るのか?
女性に映るのだろうか?
会いたいなぁ、美咲。
そんなことを考える頭を止め、ため息をついた。
この姿で八田に会って、自分が女だとバレるのは避けたかった。
八田が女に耐性がなく、ましてや手上げることなどないことをよく知る伏見は、
「俺が女って知れば、美咲と戦えなくなる」
また、舌を鳴らす。
友達ではいられなかった。
恋人になどなれはしない。
だから、裏切者として戦うことで触れ合うことのできる今の立場さえも失うことが、伏見はたまらなく怖いのだ。
やっぱ、着替えて戻るか。
呟き、歩き出す伏見の口に、刹那、後ろから布があてがわれる。
「っつ!!……」
油断していた。
普段ならこんなことありえない。
遠のく意識のなか、八田が脳裏に浮かんだ気がして、伏見は笑う。
「みさ、き」



パチリと目を開けると懐かしいような天井が見えた。
どこ、だっけ?
瞬きを繰り返す。
「生きて、る」
がばっと起き上がると信じがたい光景が飛び込んでくる。
「起きたかっ!」
八田だ。
八田が小走りで伏見の元へ近づいてくる。
紛れもなく、ここはHOMRAだった。
八田との距離が縮まるにつれ、伏見の目には涙が溜まり、ついには溢れだす。
「っ……ぅぅ…」
美咲にバレた。
頭は、もうどうしようもなくぐちゃぐちゃで涙を拭う余裕すらない。
「おおお、おいっ、お前大丈夫か?」
「ぐすっ…………は?」
「だ、だから、大丈夫かって聞いてんだよ」
慌てた様子の八田に首を傾げるばかりだ。
美咲が俺を心配してる、のか?
都合のいい夢か何かではないかと疑いたくなった。
だって、そうじゃないのに美咲が俺にこんな態度をとるはずない。
裏切者の俺に。
「ぅう……っ」
「…っ〜草薙さん助けてください!」
八田の声に洗い物を終えた草薙が振り返る。
「はいはい。…お嬢ちゃんを眠らせた男は、こっちの八田ちゃんが始末したさかい、安心しい」
「……っ」
草薙の言葉で一つの可能性が伏見の頭に浮かぶ。
もしかして、俺が伏見猿比古だと気づかれていないのではないか、と。
「そ、そうだぜ。元気だせよ」
そうに違いない。
これで八田の態度も辻褄が合う。
やっと泣き止み、落ち着きを取り戻した伏見は、八田を見やる。
気づかれてないのなら調度良かった。
このまま別人と思わせておけばいい。
「ありがとう、ございます」
「別に、たいしたことじゃねーよ」
「八田ちゃん、こういうときはどういたましてでいいんや」
「……。どういたまして」
八田が目を反らし、頬をかきながらぶっきらぼうに放った言葉は確かに伏見に届いた。
やっぱ美咲は童貞だな。
内心で思いながら少し笑った。
それはさておき、冷静に考えると疑問が一つ浮かぶ。
「あの、男の目的はわかってます?」
伏見が気になるのは、自分を狙った犯行であるのか、伏見をセプター4だと知っての犯行であるのか、それともたまたま伏見が狙われただけなのか、ということだ。
「誘拐や。お嬢ちゃんがべっぴんさんだったからって、男は言ってたんやろ?」
草薙の言葉に八田が頷く。
安堵を顔に浮かべた伏見は、そうですか、と応えた。
「お前、これからどうするんだ?」
八田が外を見ながら言う。
つられて外をみると真っ暗で、時計を確認すれば夜中になっている。
「帰ります」
「あ、危ねーよ!また何か合ったら困るだろ」
「ここにいる訳には行かないので」
ため息混じりにそう言えば、草薙がさらりと驚くことを言う。
「泊まって行けばいいんやないか?」
「は?」
「流石に、こんな夜道を帰すのは危険過ぎるわ」
「でも…」
「急ぎの用でもあるんか?」
「いや、ないですけど」
草薙が笑みを浮かべた。
「なら、決まりや。泊まってきい」
渋々頷いてしまったのはこの場所への未練だろうか。
「そか。草薙出雲に八田美咲や。よろしゅうな」
これは名乗る空気だろう。
焦った。
本名を名乗る訳にはいかず、咄嗟に思い当たるのは部下の名前。
「…どうも……秋山氷杜です」



「……朝…5時調度」
伏見はタンマツを置き袋を確認する。
幸い、荷物は無事だった。
何着もの服とジグソーパズルが綺麗に入っている。
昨日の事件の際に落としてしまったのだが、八田がきちんと回収してくれていて、今ここにある。
だから着替えには困らなかった。
「これでいいか」
真っ白なワンピースにカーディガンを羽織る。
膝から上15センチは露出しているため少し脚が変な感じだ。
やはり、女物は着なれないな。
伏見は本日初の舌打ちをした。
さて、伏見が寝ていたのは一階のソファで、着替えたのも一階。
まだ朝早いため誰もいなくて静かだ。
「やばい…」
伏見は思い出した様にタンマツを操作する。
「げ……」
着信が14件にメールが26件も。
メールの全部が伏見の安否を確認する内容で、それらは宗像、淡島、それに部下からだ。
着信も同じだろう。
とりあえず、生きていますとだけ宗像に送ってポケットに入れた。
もちろん常にマナーモードなので音はしない。
タンマツを改造しているため、場所が特定されることもない。
もうしばらく此処にいたいと思ってしまった。
多少の罪悪感はあるが振り切る。
改めて伏見が腰かけた時、草薙が部屋に入ってきた。
「おはようさん」
「おはようございます」
「えらい早いわなあ。…何か食うか?」
サングラスの奥で目を細めたのがわかった。
久しぶりの料理に惹かれる心は抑えられなかったようで、お腹が小さく音を発した。
「〜っっ」
頬を染めた伏見を見てふっと笑った草薙が、
「かわいいお腹やな。何か作ったる」
腕捲りをした。



「なんや、レタス嫌いなんか?」
しばらくして草薙が運んで来たのはサンドイッチにスープだった。
野菜嫌いの伏見には中に入っているレタスが問題で、レタスだけ残してしまったのを草薙が見つけて今に至る。
「すみません。野菜、苦手で」
本当は苦手どころが大嫌いだが、気を使ってそう言った。
少しの沈黙。
「昔な、とてつもない野菜嫌いな奴がおったんや。……態度は良いとは言えなかったが、悪い奴やなかったわあ」
俺のことなのだろう。
胸が痛むのは気のせいじゃない。
伏見には返す言葉が見つからなかった。
草薙が食器を持って奥に戻った時、HOMRAのドアが勢いよく開く。
「ちーっす。って、秋山か」
美咲。
口を開きかけたが慌てて閉じる。
伏見は今、秋山氷杜と言う女なのだ。
「おはようございます」
「……」
伏見の姿を目に止めた八田の動きがいきなり止まった。
「お、お前何でそんなかっこしてんだ。女がそんなに肌見せちゃだめだろ」
顔を赤くしてモゴモゴと言う。
自分が女として八田に意識されているのは嬉しいが、駄目だと言われては仕方ない。
「って!何してんだよ?」
伏見の服にかけた手が八田によって抑えられる。
「脱ごうとしましたが」
「馬鹿、やめろ。そのままでいいから」
「はぁ」
駄目と言ったと思えば、いいという。
久しぶりのやり取りは面白くて、自然と笑みが浮かぶ。
こんなふうに笑ったのはいつ以来だろう。
それもつかの間。
「失礼するわ」
青服に腰にサーベルを携えた女性が店内に靴音を立て入って来た。
淡島副長……。
身構えて、後ろに下がる。
「青服っ!何しに来やがった?」
八田が伏見の前に立って、淡島に詰め寄る。
「驚かせて申し訳ないのだけど、うちの伏見はいないかしら?」
自分の名前に心臓が跳ねる。
「…いるわけないだろ」
「そう」
淡島は八田の足元に目をやる。
そこにあるのは伏見の購入品だ。
特に気にした様子はなく一瞥すると彼女は八田に向き直る。
そこで草薙が戻って来た。
「飲みに来たんやなさそうやな」
「ええ。伏見を探しているの」
「…伏見?何かあったんか?」
「行方不明なのよ。一時間ほど前にメールがあったそうだから、とりあえず死んではないはず。見かけたら教えてちょうだい」
草薙は複雑な顔をしていたが、わかったと伝える。
「いないならもう帰るわ。今日は一般のお客様もいるみたいだし」
淡島は伏見を一瞬見やってから立ち去った。
淡島にも気づかれなかったようで助かったと胸を撫で下ろす。
だが、ここには長くいられない。
探されてしまっている。
「びっくりしたんか?」
顔を上げると心配したような草薙と目が合う。
「…大丈夫です。……お世話になりました」
「もう帰るんか。今度は客として来てな」
草薙に会釈し、荷物をまとめて、ドアの前に立つ。
「み………八田…さん。ありがとう、ございました」
八田が目に入った。
淡島から出た伏見という単語に動揺しているらしく、肩が震えている。
それでも、目線だけこちらにむけて、
「……じゃあな」
「っ、はい」
見ていられなくてドアを乱暴に締め走り出す。
振り返らなかった。



裏切った。
自分に憎しみという激情が向けられる様、仕向けた。
なのに、なのに、二人ですごしたHOMRAにいたせいか思い出してしまったのだ。
俺が本当に見たかったのは美咲の笑顔だ。
俺はいったい、何処から間違えた?