小説 | ナノ



アルバイト二十五日目

いつもは騒がしいクラスメート達が黙りこんできちんと授業を受けている光景は異様な物だった。伏見はそんな中、普段と何等変わらぬ姿で授業にのぞんでいる。
――授業参観だからっていい子ぶりやがって。親にそんなに良く思われたいのかよ。
小さい舌打ちを喉の奥に飲み込んだ。
「なぁ、草薙さんまだ来ねぇよな」
八田が伏見に小声で、残念そうに言った。伏見は頷いてから頬杖をつく。
――俺は別に来て欲しいなんて思ってないけど。このままこんな行事終わればいい。
そんな風に思った矢先、教室が少しざわめいた。草薙が入ってきたのだ。殆どの保護者達は母親で、そのなかに立つ草薙は、若いせいもあってかなり目立っていた。
八田が草薙に小さく手を振ると、草薙は笑みで返した。楽しそうな八田の隣で、伏見は面倒だとため息をついた。
「八田君、例題の答えをお願いします」
今まで単語の発音を教えていた英語教師が、教卓に手をついて八田を見る。八田は目を白黒させて今まで開いていなかった教科書をとりあえず開いた。
伏見は無地のメモ帳を一枚千切り、すらすらと答えを書きこんでゆく。それを教師の目を盗んで八田の机の上に飛ばした。
教室の後ろでは草薙がやれやれと二人を眺めている。
「八田君?」
八田が伏見に貰ったメモと教師を交互に見ながら、答えの英文を読み上げた。遅くてアクセントの間違った英語に、伏見と草薙は笑いを堪えている。
「八田君は次までにアクセントを勉強してきて下さいね」
「……はい」
「じゃあ、隣の伏見君。正しいアクセントで読んで下さい」
自分まで指名されるとは予想していなかった伏見が、顔を上げて少し嫌そうな表情を浮かべてから読み上げる。英語を学習するためのCDの様に正確なその英文に、教師は満足そうに頷いた。
八田はちくしょーと呟いて、唇を尖らせていた。伏見はそんな八田を笑う。
授業も終盤になった頃、前のドアが静かに開いた。教室内の人間の目線が一斉にそちらに向く。入って来た人物を見て、伏見は舌打ちをして目を反らした。
「宗像、礼司…」
ぼそりと溢したのは草薙だった。草薙は厳しい表情で宗像を見つめる。
宗像は、声を上げる教師や生徒を無視して、真っ直ぐに伏見の机の前に向かい、たどり着くと止まった。
「授業参観というのは何処で、どの様に行われるのですか?」
伏見が面倒くさそうに顔を上げる。
「とりあえず、場所は此処です」
「私は何をすれば?」
「アンタ、誰の親ですか?」
「親?私は独身で子供はいませんよ」
「じゃあ、何で来てんすか?」
「伏見君が見られると聞いて」
――何処で聞いたんだよそんなこと。
伏見はよく響く舌打ちをして、教室の後ろを顎で示した。
「あっち、立っててください。後で話は聞いてあげますんで」
「わかりました。それにしても、君は淡島君と同じことを言いますね」
淡島と同じこととは、後で聞くと言う点だろう。宗像が後ろの草薙の隣に立つのを確認して、伏見はまた舌打ちをした。
「あ、あの、伏見君。いいかしら?」
教師がたじろいでそうきく。
「あー、すいません。授業続けて下さーい」


「で、何で俺の学校まで来たんですか?話、あるんでしょー」
HOMRAまで戻って来た伏見と八田と草薙。そして宗像。伏見は椅子に腰かけると、宗像にそうきいた。
「先日の就職の話は、高校生の勧誘は禁止と淡島君に怒られてしまいました。なので、君が卒業してからにします。それはさておき、今日は君が私の養子になる件でお話がありまして」
動揺から瞬きを繰り返す伏見と八田の隣で反応できたのは草薙だった。
「伏見を養子にするっちゅうのはどういうことや?」
「それは違います。もうすでに手続きは済んでいますから、伏見君は養子ですよ」
伏見がガタッと音を立てて立ち上がり、普段からは想像がつかない様な大声で叫んだ。
「はぁあぁああああ?」
そんな伏見に動じずに宗像は、座って下さいと伏見を椅子に戻した。
「そんなこと、勝手に…」
「私は総理大臣より偉いですから。君一人養子にすること等容易いんです」
得意気な笑みを浮かべる宗像の後ろでは、八田がブツブツと独り言を呟いていた。
「サルがアイツの養子?養子ってことは苗字どうなんだよ。宗像、猿比古ぉ?…伏見のがいいだろ。いや、八田猿比古の方が…」
「八田ちゃん……」
八田の残念な呟きが耳に届かない伏見は怪訝な目を宗像へ向ける。
「伏見君」
「はい」
「君は両親がいない。だから生活費のために此処で働いているのでしょう」
八田が息を飲んだ。
「そーですけど」
「私の息子になったのですから、これからは私が君の生活と未来の就職を保証します」
「……百歩譲って養子っつうのは良いです。もうなっちゃったんでしょー。けど、俺は此処にいたいんで生活の保証はいらないし、未来の保証もいらない。自力でなんとかするんで」
伏見がそう言い終えた所で、タイミングよく淡島がやって来た。
「淡島君!」
「室長がまた迷惑をかけた様で、申し訳ございません」
来てから一分もたたない間に淡島は、宗像の腕を掴んで連れて去って行った。去り際に宗像が、私は諦めませんよ伏見君と叫んだのを聞いて伏見はげんなりとしている。
「お前、親いねぇのか」
八田が空気を読まず、同情をたたえて伏見を見ていた。
「美咲ぃ、KYっつーんだぜ。そういうの」
「んなことねぇよ」
「はいはい。…親のこと、気にしてないから」
「そうなのか?」
「ん。…美咲も草薙さんもいるし」
小さい伏見の声はしっかりと八田と草薙に聞こえていた。