アルバイト二十日目
「伏見ーお疲れさん」 「お疲れさまです」 営業時間が終了したHOMRAには草薙と伏見、それに八田の三人がいた。八田はカウンター席で舟をこいでおり、その肩を伏見が揺らす。 「美咲ぃ、起きろ」 「ん〜、……サル?」 「営業時間しゅーりょー」 「……もうそんな時間。帰るのダルい」 そう言ってまた寝そうになる八田の頭を、伏見は小突いた。 「寝るな」 「痛っ」 草薙はやれやれと八田に視線を落とす。八田はぼんやりと草薙を視界に入れて何か思いついた様に顔を上げた。 「今日、泊めて下さい。二階の部屋空いてましたよね」 「八田ちゃん、泊めて欲しいんやて。どないする?伏見」 草薙は横目で伏見を見る。伏見は舌打ちをした。 「どうしてサルの許可なんかいるんすか?」 「俺さ、お前が空き部屋だと思ってるとこに住んでんだけど」 「はぁ?自分んちはどーしたんだよ」 いかにも不思議だという顔をする八田は既に眠気は冷めた様に見える。家のことを口に出された伏見の纏う空気が変化したのを草薙は気付いた。でもそれはほんの一瞬だけで、もう普段の彼に戻っている。 「んなのはどうでもいいだろ。それより、泊まりてぇんだよな?」 「あぁ」 「どうしてもってゆーなら、俺の部屋に泊めてあげてもいいけど?」 八田がうつむいて、 「……泊めて、ください」 ぼそりと言った。 「小さすぎて聞こえなかったなぁ。みぃさぁきぃ」 「泊めろっつってんだよ。もう言わないからな」 「はいはい。わかった、泊めてやる」 「話がまとまったみたいやな。お風呂わいてるから早めに入ってきぃ」 店の片付けを終えた草薙は椅子に腰かけ、バスルームの方を指さした。 「先に俺でいーい?」 「いい」 「じゃーお先」 伏見がまず、着替えを用意しようと階段を上るところで、振り返って八田を見た。 「なんだよ」 「美咲ー、一緒に入る?」 「は、入んない!」 八田が慌てて大声を出す。そんな反応に満足したのか、伏見は一段目に足をかけた。
伏見の後から入った八田は浴槽で寝てしまい草薙に起こされた後、叱られた。 「あー眠いー」 欠伸を噛み殺して、ジャージの裾を引きずりながら階段を上る。学校のジャージを持っていたので、それを着てねることにしたのだ。 下から八田ちゃーん、転ばんようにな、と草薙が心配の声をあげる。はーいと返事をして慎重に足を進めた。 「猿比古、入るぞー」 ドアノブをひねって、部屋に入る。 「あれ、いねぇ?」 「どこだよって……そこか」 伏見の姿が見当たらないと思ったら、ベッドが盛り上がっていた。もう寝ているのかと、起こさない様に静かに近づく。 「やっぱ、寝てるか」 鼻から下を掛布団に埋めて、伏見は眠りについていた。当たり前だが瞳は閉じられていて、メガネはない。いつもより数段幼く見えた。 「こうやって寝てれば可愛いのに」 無意識に八田は伏見の頬に触れた。睫毛長、なんて思ったところで、伏見が身動ぎする。 ――起こしたか? 伏見が布団から手をにゅっと伸ばして八田を抱きしめる。 「さる、ひこ?」 返事はない。彼は気持ちよさそうにすぅと寝息をたてるのみだ。寝ぼけていたらしい。 ――びっくりしたー。つーか、コイツいい匂いするし。そういや俺達風呂あがりなんだよな。 変なことを考えそうになる頭を理性で押さえ込み、念仏の様に八田は唱えた。 「サルは男だ。男、男、男……」 そんな八田をの心を、寝ている彼は知るはずもない。 「み、さ、きぃ…」 「サル?…寝言かよ」 八田の夢でも見ているのか、伏見の表情が笑顔へと変わる。つられて八田が笑ったのもつかの間だった。 「……美咲のえっち」 伏見の口から寝息と共に衝撃的な言葉が溢れる。 ――夢の中の俺、何してんだよ。 八田が恥ずかしさから顔を真っ赤にした時、トントンとノックが響いた。草薙だろう。八田は寝たふりを決め込むことにする。ドアがゆっくりと開いた。 「はよう寝なあかんで……、って、もう寝とるんやな。ちゃんと電気消さんと」 電気が消えて、暗闇に包まれたのがわかった。 「仲がいいのはええことや」 草薙は二人が一つのベッドに収まっていたのを見てそう言ったらしい。狸寝入り中の八田は反論できないのが歯痒かった。 ドアが閉まり、草薙の足音が遠ざかっていく。 八田はパチリと目を開けた。もう眠気なんて欠片もない。 ――離れてくんねぇと、寝れねぇし、困るし……色々と。 八田の夜はまだまだ長そうだ。
「おはようございまーす」 「おはよう、ございま、す」 「おはよ……八田ちゃん、どうしたんや?そないな顔して」 八田の目の下には、はっきりと隅ができていた。 「あんま寝れなくて」 「美咲が床で寝るからだろ。布団ひけばよかったのにー」 「違ぇよ。お前のせいだっての」 「何かしたっけ?」 八田は昨夜、近すぎる伏見との距離に落ち着けなくてほぼ一睡もできなかった。挙句、朝方にはベッドから伏見によって、蹴り出されたのだ。伏見は八田に抱きつく様にして眠っていたことも、蹴ったことも、八田の心拍数があがっていたことも知らない。 ――ムカつく。あー悔しー。 八田は伏見から目を反らしてカウンターに体重をかける。 「草薙さん、コーヒーください」 まず、昼寝を検討した。
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