小説 | ナノ



メルト・ビター

二月十三日


宗像と淡島は、畳の上に向かい合って座る。淡島がつぶ餡の缶詰に手をかけたところで、宗像は彼女を呼んだ。
「淡島君」
「はい」
「明日なのですが、セプター4はお休みということにしようと…」
「駄目です」
相手の発言を最後まで聞かずに淡島は言う。
「な、何故ですか?」
「先日の件で我々は忙しいのを室長はご存知ですよね」
「それは、そうですが」
「何か重大な理由が有りますか?」
淡島の咎める様な視線を気にする素振りは無く、宗像は、勿論ですと答えて続けた。
「明日は何の日でしょう?」
「勤務日です」
「そう、バレンタインデーです」
「室長、耳は大丈夫ですか?」
「昨年のバレンタインでは女性職員が伏見君にチョコレートと思われる包みを渡すという事件が起きました」
宗像は自身の肩を抱いて、カタカタと恐ろしそうに震えている。
「事件ではないと…」
「まだ一人だけならよかったのですが、多人数だったんですよ。……」
淡島は噛み合わない会話に疲れたのか、宗像に見えない様、ため息をついた。宗像はブツブツと人名を呟いている。おそらく去年伏見にチョコレートを上げた人物の名前だろう。
「伏見がチョコレートを貰うことと、明日を休暇にすることと何の関係があるのですか?」
「あ、淡島君。ここまできいてわからないのですか?」
「わかりません」
わかりたくもないと淡島は思った。
「伏見君がチョコレートを貰うのを阻止するためですよ」
「阻止する必要性を感じません。そもそも、それなら室長が伏見に、チョコレートを受け取るなと言えばいいのでは?」
「私の伏見君に悪い虫が付いたら困ります。伏見君は誰か等関係なく受け取らない子ですよ。だから彼に、勝手に押し付けていっちゃうんです」
「それだけの理由なのですか?」
「それ以上の理由はありません」
駄目だこの上司と、呆れた視線を向けた淡島は、でしたらと切り出す。
「伏見だけ休暇にすればいいでしょう」
「それも、そうですね。そうしましょう。…淡島君は伏見君への連絡をお願いします」
淡島はため息を抑えて、渋々はいと返事をした。



二月十四日


「んぅ………うるせぇ、な」
メールの受信音で目が覚めた。何時だよ。枕元に手を伸ばしてタンマツを掴む。まだ午前三時で、起床時間より二時間も早い。苛つきながらもメールを確認すれば、差出人は淡島副長。内容は俺が非番になったとのことだった。ただの非番ならよかったが、生憎そうじゃない。何故か、外出と全ての人物との面会を禁じられている。これは非番じゃなくて自室謹じゃないか。
とりあえず二度寝するためにタンマツを枕元に戻すと手に何かが触れてガサリと音をたてる。その発信源は有名和菓子店の袋だった。
「二月、十四日…!」
そうだった。バレンタインデーだ。自分がそんな行事だからと言って誰かに贈り物をするキャラじゃないことはわかりきっていたことだった。だけどこの前の休みに電車を乗り継いで三時間もかけて、喜んで貰えそうな菓子が売られている人気店に早朝から並んで和菓子の詰め合わせを購入していた。室長が俺にバレンタイン期待してるっていうから。だから苦労して手に入れたのに。
「馬鹿みたいだ」
俺は自分が思っているより、この日を楽しみにしてしまっていた様で惨めになる。渡せないじゃん。室長は何考えてるんだろ。用意しろって言ったクセに。いらねぇのかよ。
布団に潜りこんで目を閉じても寝れそうにない。もう目は覚めきっていた。


下に誰もいないのを確認してから、窓を開けて飛び降りる。着地して衣服の乱れを直すと、裏の抜け道を通ってセプター4の土地から抜け出した。出歩くのはいけないと命令にあったが、従うのは癪で外へ出ようと思った。随分歩くと段々人通りが増えてくる。今日の街中には浮わついたカップルが多い。当然か、バレンタインなんだから。無意識に舌打ちして、目を伏せた。
急に背中に衝撃を感じた。
「悪い」
誰かにぶつかった様で、謝る相手を見ようと振り替えれば思いっきり知っている相手だった。
「美咲」
名を呼べば、いつも通りに下の名前で呼ぶなと返されて苦笑した。
「サル、何してんだよ」
「…別に」
「…青服じゃねぇし、その髪型だし。一瞬誰かわかんなかった」
「そーかよ。俺は今日非番だからな」
美咲は俺が私服なのと髪をセットしていないのが不思議だったらしく、納得して頷いた。
「じゃ、お前暇なのか」
「まぁ、そうだけど。……美咲ぃ、もしかして闘いたいの?」
俺が袖口からナイフを取り出すと、美咲は首をブンブンふって否定した。つまんねぇ。
「今はストレインを追ってて忙しーんだよ。お前と遊んでる場合じゃない」
「ふーん」
俺がナイフをしまったのを確認して、美咲はじゃあなと踵を返して歩き出す。その首根っこを掴んで止めた。
「何すんだよ!…てか、お前の手、氷みてぇ」
「手伝ってやるよ」
「は?」
「だから、ストレイン探すの、手伝ってやるって言ってんだけど」


ベンチの隣に座った美咲が暢気な欠伸を一つ溢した。
美咲は吠舞羅でも負傷者を出したストレインを追っているらしい。そのストレインの能力は、まだわかっていないそうだ。セプター4の情報課のパソコンにアクセスしたが、まだストレインの情報はなかった。暇だから手伝う気になったが、少し面倒になってきた。
「ストレインには会った?」
「あぁ。さっき取り逃がしちまったんだよ。外見は小さいガキだった」
「何処行ったとかわかんねぇの?」
「消えたから知らねー」
とりあえず、美咲が役にたたないことはわかった。これじゃ探し様がない。
「情報が無さすぎる。無理だよ」
「簡単に諦められっかよ。歩いてればそのうち見つかるって」
あまりにも楽観的な考えに頭が痛い。でも、それもたまにはいいかと思った。セプター4ではいつも確かな情報が入手できてから動くから。
「まずはゲーセンでもいこうぜ」
「美咲ぃ、お前さ、ストレイン探す気あんの?」
「あったりめぇだろ!ゲーセンにいる予感がすんだよな」
ただの願望だろ、と言うのはきっと無駄だろう。変わりに舌打ちをして美咲に続いて歩き出した。
今朝のことが頭の中でリフレインする。部屋に置き去りにした菓子を思い出してため息をつく。顔を上げた時には、美咲の背中は視界からすでに消えていた。どうやら、考え事に集中していまい、見失ったみたいだ。追いかけようかと思ったが、元々自分の問題じゃないし、何より面倒くさい。もう寮に帰ろうかと考えた所で一瞬思考が止まる。
「室長」
前方に見える、青い制服に身を包んだ男。室長が、なんでここに?俺が外へ出たのがバレて探しに来たというのは無理がある。それなら室長じゃなくて隊員に行かせればいい。
室長が歩いてくる。俺に近づいてくる。身構えて待った。
「室長?」
彼はすぐ隣をすり抜けて行く。俺が眼中にないかの様に。
ああ、室長じゃなくて、あれは――――――。俺はナイフを奴目掛けて飛ばした。青の炎をのせたナイフは真っ直ぐにターゲットに飛んでいく。彼が振り返ってニタリと笑った。その顔でそんな表情すんなよ。


「副長っ!」
秋山が息を切らせて駆け寄って来たのを見た淡島は足を止めた。
「何事だ?」
「第二小隊の管理区域で青の炎反応があります」
「誰だ?緊急抜刀か?」
「現在第二小隊はこちらに全員戻って来ているため、彼らではありません。緊急抜刀の通知はないので違う様です」
それじゃあ誰が何を、と首を傾げた淡島は何かを思いついたみたいで、顔を青くした。
「抜刀なしで炎を扱う………。秋山、伏見は?」
「伏見さんですか?」
「そうだ、伏見が寮にいるか確認して来い」
「はい」
急いで駆けて行く秋山を淡島はため息をついて見送った。


宗像は湯呑みを置くと、顔を上げた。
「何かありましたか?」
「伏見が戦闘を行っている様です。自室から出ず、誰とも面会はしないでと伝えたのですが。……すみません。私の責任です」
淡島は深く頭を下げた。一分くらいたっただろうか。宗像が何も言わないのを不信に思って顔を上げると、彼はいなかった。カーテンが風に揺れている。窓は開いたままだった。


「……ストレイン、か」
きっと美咲が探していたストレインだろう。宗像礼司の姿をとっているストレインは俺のナイフを右手で受け止め、顔面に気持ち悪い笑みを張り付けて俺を見ている。彼の能力は擬態だな。
「僕は青の王様だよ。上司に乱暴しちゃ駄目じゃない」
「くだらない嘘つくな。室長に化けてんじゃねぇ」
くくく、とストレインが肩を震わせて笑う。
「赤のクランズマンと遊んだだけで吠舞羅に追い回されるから一番バレなさそうな青の王になりすましたのに。…青のクランズマンに会っちゃうなんてついてないなぁ」
彼が地面を蹴って跳躍する。
「しょうがないから、君と遊んであげる」
「願い下げだ、んなモン」
俺がナイフに炎を込めて、ストレインとの距離をつめた時、青い蛇の様に動く炎が彼を捕らえた。彼が高い悲鳴を上げて、近くの建物にぶち当たる。あれは背骨がやられたな。そんなどうでもいいことを考えた。
自分と同じ形をしたストレインをぶっ飛ばした室長は、そのまま奴を捕まえて副長あたりに連絡し終えたらしかった。 室長が俺の前に立って、伏見君と俺を呼ぶ。目を合わせると、身長差から自然と見上げる形になった。
「ご命令に背いてしまい、モウシワケアリマセンデシター」
棒読みでそう言う。
「それは構いませんよ。ですが、君が帯刀していないのに戦闘を行ったというのはいただけませんね。怪我でもしたらどうするんです?」
「……どーでもいいです」
「よくないです。心配するでしょう」
「勝手に心配されても迷惑なだけなんで」
目を反らして室長の足元ばかりを見つめる。居心地が悪くて仕方がない。
「伏見君、怒ってます?」
室長は困った顔をして俺の様子をうかがっていた。そんな顔をさせたい訳じゃないのに。ただ朝の出来事を根に持ってしまっているだけなんだ。事実上の自室謹慎を命じられても、室長にバレンタインですからと菓子を届ければよかったのかなんて思う。
「怒って、ないですけど」
「本当ですか?何かあるなら遠慮なく言って下さい」
「じゃあ…何で俺は今日休みなんすか?……バレンタインには君からの贈り物を期待してますって言ったのに」
最後の方の小さい声も聞き取れた様で、室長の顔色が青ざめた。
「もしかして、用意してくれていたのですか?」
コクリと頷く。
「……用意したのに、部屋から出ちゃいけないって言われるから…室長が菓子いらねぇのかと思って…」
「す、すいません。違うんです、誤解です。勘違いです。だから、欲しい、です」
室長が普段見られない必死さでそう言うのがちょっと可笑しくて、嬉しかった。
「そんなに欲しいですか?」
「勿論です」
「……そこまで言うなら、しょーがないのでくれてやります」
「ありがとうございます」
安堵の笑みを浮かべる室長に、俺はそういえばと続けた。
「結局俺が休みの理由は何だったんですか?」
「それは伏見君が誰からも贈り物を受け取らない様にですよ」
はずかしげもなくさらりと言う室長は、かなりドヤ顔だった。これは彼の独占欲なんだろうか。



二月十五日


「室長」
「伏見君?顔が怖いですよ」
「俺は誰からも何も受け取らなかったのに、室長は俺以外からも受け取ったんでしょー」
「た、確かに受け取りましたが、淡島君からだけです」
「副長?もしかしてその箱ですか?」
室長のデスクの隣にある、白い人一人くらい入りそうな高さと幅の箱を指さした。
「その通りです。伏見君も見てみますか?とても素晴らしいですよ」
「いいです。どーせ、気味悪い巨大餡子タワーとかが出てくるんでしょー」
「残念。ちゃんとチョコレートです。私が淡島君に特注で作っていただいたのですから」
室長が白い箱をゆっくりと取り除く。中から現れたのは茶色い人だった。正確に言えばチョコレートで作られた等身大の俺だ。
「よくできているでしょう。淡島君が制作に1ヶ月かかったと言ってましたね。彼女に感謝しないと」
唖然として声が上手く出せない。このチョコレート、いつかは室長が食べる訳だろ。首を折って頭から食べられることを考えると寒気を感じる。
「てかそれ、よく副長が作ると言いましたね」
「ジグソーパズルの時間を削るからと言ったら淡島君は快く引き受けてくれましたよ」
それ快くねぇよ。
室長は趣味の悪いチョコレートを元通りに包むと、昨日俺が渡した包みを取り出した。
「和菓子は元々好きでしたし、君がくれたものなので余計に美味しかったです。ありがとう」
にこりと微笑みを向けられて、自分の体温が上がっていくのを感じた。顔が赤くなってなければいいんだけど。
「…はい。……ホワイトデー、期待しないで待ってます」
「おや、ホワイトデーでいいのですか?後1ヶ月も先ですよ」
「え?」
気付いた時には室長の顔が間近にあった。反射で咄嗟に目をぎゅっと閉じる。
「ん……」
お互いの唇が重なる。初めてした室長とのキスは甘かった。
「ホワイトデーにはもっと伏見君を楽しませてみせましょう」
その後、室長がまだ食べてない花の形をした薄紅色の和菓子を貰ったけど、味はよくわからなかった。ただ、甘い。甘ったるい味だったと、そう思う。