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グッドバイ

身体に重みが戻ってきたというのは適切じゃないかもしれないが、そんな妙な感覚がした。重い瞼に意識を集中させて、ゆっくりと開く。開けた視界に真っ黒な闇は何処にも無くて安心感と名残惜しさを感じた。
「サル、猿比古!」
ガラッと起きたばかりの耳には少々痛い大きな鈍い音がした方向を見れば、ドアの前に美咲がいた。ここで初めて周りを見渡すと、場所は保健室らしい。俺はそのベッドに寝ている。養護教諭は居らず、いるのは今やって来た美咲だけだ。
「美咲…」
「お前が死んじまったらどうしようかとおもったぜ」
「縁起でもねぇこと言ってんじゃねぇよ。それより俺は何で保健室に?」
俺の記憶は学校に着いたとこプツリと途切れているのだ。後の記憶は未来の俺と出会ったという出来事で埋め尽くされている。
「サル、卒業式練習中に急に倒れたんだよ。運んだの俺なんだからな」
「へー、そうなのか。サンキュー。…で、今は何の時間だ?」
「放課後。今日はゲーセン行く約束してたろ。早く行こうぜ」
「俺倒れてたんだから少しは気ぃ使えよ、美咲ぃ」
「倒れたって…元気そうじゃねぇかよ。……お前と俺は気を使うなんて仲じゃねーだろ。早く布団片付けて来いよ。下駄箱で待ってっから」
「…そーだな。……わかった」
美咲は来た時より小さい音でドアをしめて出ていった。畳もうと掛布団に手をかける。
俺と美咲の仲、ね。この名前のつけようがない曖昧なクセに強い関係性はきっと、終わりが近そうだ。
未来の俺が言ったこと通りなら、明日俺と美咲は尊さんに出会うらしい。


ゲーセンからの帰り道、美咲はやけに上機嫌だった。クレーンゲームが上手くいったからで、両手にさげたビニール袋から縫いぐるみの耳がはみ出している。あれはウサギだろうか?
「明日授業サボろーぜ」
その言葉にハッなった。尊さんとの出会い、あのコーラがどうのこうのの出来事に俺の運命は向かっているみたいだ。見た映像では昼間の街中だった。きっと明日サボれば、美咲と俺は街中へ行って未来の俺と同じ経験をする。
「…悪いな。俺明日はパス。授業中は寝る予定ー」
気付けば口が、そう動いてた。俺はまだ、美咲を失いたくなかった。
「居眠りもいーな。俺もそーしよ」
安堵を覚えた。だけど、俺がこんな悪あがきをしたところで、タイミングをずらすのが限界で、その時はいつか必ず来るような気がしてしまうのも確かだ。


「俺達も卒業すんのか」
「まさか美咲、あんな場所にずっといたいのか?」
「んな訳ねぇだろ」
学校破壊や世界滅亡。そんなことを教室で話していた俺達も、明日で卒業というところまで来てしまっていた。本来尊さんと出会う予定だったあの日から10日以上が過ぎたが、まだ彼に出会ってはいない。俺はあの日から今日まで、ずっと美咲を目で追っていた様に思う。時々美咲が、何だよと不思議そうにきいてくるが、俺はかぶりを振るだけだった。それくらいは許して欲しい。最後なんだから。
「サル、あっちの方騒がしいな。行ってみようぜ!」
美咲が突然大声を上げて指をさした方向に目を向けた。小さくだけど、確かに、あの赤が見える。ああ、やっぱり。少し苦笑して、少し泣きたくなった。美咲はもう走り出していた。今なら首根っこ掴んで止められる。でも止めなかった。俺達はこれから、尊さんに出会う。
「ばいばい、美咲」
小さく呟いて、美咲の後を追って走り出した。もうすぐ美咲は変わっていく。一緒に馬鹿やって、なんだかんだで優しくて、俺を見てくれている美咲はいなくなる。ばいばい。


シチュエーションは違えど、結局尊さんに出会った。俺はそうではないかもしれないが、美咲に関して言うならアイツは彼に出会う運命みたいなものを持っていたのではないかと漠然と考えた。尊さんに出会ってから3日、卒業から2日。ついに俺はあの言葉を聞いている。
「吠舞羅に入ろうぜ」
そう言った美咲の顔は真剣であったし、楽しそうにも見えた。応えようと口を開こうにも、なかなか言うことを聞かない。言いたくない。でも言わないといけない。
「…入ら、ない」
声が震える。美咲がかなり意外だった様で目を丸くしていた。ただ、知ってしまった未来より少しでも美咲と俺が幸せになれるようにしたいと思った。ぼんやりと未来の俺を思い出す。憎しみでいいから一番でいたい、か。彼の考えだけあって、そう思わなくもない。だけど、やっぱり、美咲から本当に欲しいのは好意に他ならない。未来の俺だって、同じはずだ。やっぱり好いて貰えた方が喜ばしいことだろう。今の俺が一緒に吠舞羅に入れば、間違いなく未来の俺と同じ道を辿る。だから、今は少し距離をおいてみよう。そう考えているものの、不安は消えない。俺は、美咲なしでも大丈夫かな。