小説 | ナノ



シアター 上



1


暗闇にスクリーンの光が広がる。スクリーンには赤茶色の髪をした少年が映し出された。あれは美咲だ。間違えることはない。画面の中の美咲は俺に話しかける。これは俺と美咲の出会いの記憶だ。
「懐かしぃ。美咲こんなんだったんだ」
隣に座る未来の俺は、楽しそうにスクリーンに見入っている。俺はこんなに表情が豊かだったか。俺はめったに笑うなんてことはしないのに。
「俺も19になれば、よく笑うんですか?」
「……ここは19歳の伏見猿比古の精神世界だって言ったよな。…人間は心の中でまでは自分の感情を抑えることはできない。俺はここでは我慢とかそーゆーことはできねぇの」
その言葉が胸にストンと落ちていくのがわかった。だから初めて彼を見た時に泣いていたのかと納得がいく。理由の理解には至らないが。
「ふーん。てか、今見てるのは俺の記憶なんだろ。…なんで美咲と出会った日が1話目にくるのかわかんないですけど」
普通人間の最初の記憶と言えば幼少のものであることが多いのではないか。
「ある意味で俺の生まれた日だからだよ。お前も俺なんだからわかるだろ」
十分わかった。あの日、美咲と出会った日は世界が色づいた日だ。俺には、美咲と出会っていなかった時間はどれも等しく価値のない不要品でしかないんだ。それまで世界は、くだらなくて、つまらなくて、退屈で仕方がなくて、いっそのこと死んでやろうかなんて思っていたのに。そんな価値観を拍子抜けするくらいあっさりと打破したその出来事が、俺の始まりと言えるのかもしれない。それまで過ごした腐った世界から、美咲に救われたあの日が俺の原点なのだろう。嬉しさ、楽しさ、喜び、幸せ、悔しさ、寂しさ、悲しさ。全部、全部美咲が教えてくれた。俺はたくさんのことを知識として知っていたけど、大多数の人間が知っている感情をほとんど知らなかった。美咲は勉強はできないのに、俺よりずっと色んなことを知っていた。
「…美咲のこと、好き?」
未来の俺は組まれた足の膝に手を置いて、俺を見やる。
「……」
「ごめん。わかってる。俺にとって美咲は全てだった。お前に美咲以上に大切な人も物もあるはずない。…でも、お前は気づいてるんじゃねぇの?」
顔を上げる。今から言われることはわからないけれど、確信をつかれる様な、嫌な予感がした。いやだ。言わないで。
「俺は美咲に救われた。でも、俺は美咲を救った訳じゃない。」
心臓を抉られたんじゃないかと思うほど、胸が痛い。薄々気づいていた。美咲が俺に与えた衝撃と感動、それを俺は美咲に同じ分は与えられていない。
スクリーンの美咲と俺は笑顔になっていた。美咲は無邪気に笑っていて、その隣の俺はぎこちないが、確かに笑っている。
未来の俺はリモコンに手を伸ばした。ボタンを押す。番号は「61」だ。