小説 | ナノ



アルバイト十一日目

「朝からうっせぇな」
歩いている廊下にまで教室のざわめきが伝わってくる。何かあったのかと気になって小走りで教室に入った。
「猿比古…」
騒ぎの中心にいたのは伏見だった。伏見を取り囲む女子生徒達が騒ぎ立てている。その中には伏見のことを綺麗だと言ったあの女子達もいた。伏見の髪型はHOMRAで見るものと同じもので、表情が前よりずっとうかがえる。
「あ、八田」
男子生徒の一人が八田に話しかけた。誰だったか八田にはわからなかったが、どうでもよかった。
「今朝、伏見が来てからずっと女子達あんな感じなんだぜ。伏見君かっこい〜とか言っちゃってさ」
「あぁ」
どう返せばいいかわからず、短く適当に返事をする。
「いい顔してんのに何で今まで顔見せなかったんだろうな。出さないでくれた方がありがたかったけど。ずりぃよ、頭が良くて顔もいいってさ」
成績は努力の問題だろというのは思っても言わないことにして、伏見に視線を戻す。伏見は囲まれている状態を快くは思っていない様子で、頬杖をついていかにも面倒くさそうに対応していた。アドレス交換でも迫られているのか、一人の女子生徒のタンマツを押し付けられかけた伏見が不意にこちらを向く。八田の視線に気付いたみたいだ。
「おはよ、美咲」
「はよ…」
八田は居心地の悪さに耐えながら、鞄をどさりと置いて席についた。
「悪いんだけどさ、俺こいつと話したいからどっか行ってくんない?」
伏見が八田を顎で示して、とびきりの営業スマイルでそう言えば、彼女達は一同に頷いて、それぞれに散った。
「俺を理由にすんなよ」
「いいだろ、そんくらい。それに、美咲が居心地悪そうだったから」
「そうかよ」
八田は気を使ったらしい伏見に驚いた。確かにその通りで、いい気分ではなかったのだ。
「サル、お前、あんな囲まれて疲れねぇ?」
「面倒だけど、中学で慣れたから」
――中学もこんな状況だったってことか。モテるヤツってたいへんなんだな。
「慣れるもんか?」
「んー」
「……てか、髪型」
「…学校とHOMRAで変えるの、疲れたんだよ」
そんだけ、とそっぽを向く伏見に八田は納得したのか頷いた。


「草薙さん」
「今日の八田ちゃんはぐったりしとるなあ」
学校帰り、HOMRAでカウンターに頬をべたとつけて疲れた表情の八田を、草薙はコーヒーをドリップしながら見下ろした。
「猿比古の周、女達が群がってたいへんなんすよ」
朝だけならまだよかったが、毎回の休み時間に伏見に話しかける輩が後をたたないのだ。
「サルのヤツが髪型変えなきゃ、こうはなんなかったのに。…どうしていきなり……」
草薙は内心、八田ちゃんが似合う言うたからやろな、と思いつつ、さあなと苦笑した。
二人の話の中心にいる伏見は、接客に忙しくしていた。
「伏見君、注文いい?」
男性客が手を上げる。客の元へ向かう伏見の表情が、草薙には一瞬だけ強ばった様に見えた。
「あまりにモテるっちゅうのも困りもんやな」
「草薙さん?」
「いや、な。伏見が女性客に人気あることはわかるやろ」
八田がつまらなそうに顎を引く。
「それだけなら構わないんやけど…」
草薙が言いづらいのか言葉に詰まる。八田はうかがう様に草薙を見上げた。草薙の視線を辿り伏見の方を向けば、男性客に手を握られている彼の姿があった。伏見は嫌そうな顔は見せずに、何か言っている。草薙はため息をついた。
「男に好かれてるから不味いってことすか?」
そうだったらよかったわ、と草薙はかぶりを振る。
「見ててみ」
「はい」
営業スマイルを崩さない伏見とは対象的に客の顔色がぐんぐん青くなっていく。どうやら伏見は客の手を凄い力で握り返している様だった。しまいには客は涙目で謝りだす始末。伏見は平然と何のことでしょうか?と口に出していた。
「あんなほっそい手ぇして、力あったのか」
「八田ちゃん、関心してどうすんねん。とにかく男に好かれたときの伏見の態度が酷いんや。怪我人でもでたらしょうもないわぁ」
「大丈夫ですよ、一応加減してるんで」
客席から戻ってきた伏見は既に話を理解した様だ。
「そんならかまわへんけど、程々にな」
「はーい。…あ、草薙さん注文、カフェオレとアップルパイです」
「今用意するわ」