小説 | ナノ



アルバイト十日目

お昼休み。八田は隣の空席に目をやる。
――伏見、いつも昼休みには教室にいないんだよな。
伏見は四時間目が終わると同時にいつも出ていく。どこに行ってるのか、検討もつかない。考えるのを一分弱で放棄した八田は、昼食にしようと食堂へ向かった。


「鬱陶しい」
伏見は自分の前髪を忌々しそうに真ん中で分けてピンでとめ、屋上の床にフェンスに寄りかかる体制で座った。切らないでいるうちに鼻の先までの長さになった前髪はくすぐったい感覚を与える。おかげで八田には顔を見られないのだが、ここまでの長さだと流石に邪魔だ。だから昼休みだけは屋上に来てピンでとめて昼食をとる。
「あ、野菜炒め入ってる」
草薙の持たせてくれた特製弁当を見て、伏見は舌打ちした。残して帰ると草薙が怒るので、鼻をつまんで舌を誤魔化しながらちびちびと野菜を食べる。
「うぇ」
それでも野菜の味が口内に広がって、苦い顔をした。ミネラルウォーターのペットボトルを手に取り口に含むとマシになった。残りの野菜を後回しにして唐揚げに箸をのばしたとき、屋上のドアがギィィと音をたてて開いた。本来立ち入り禁止の場所であるため、教師だったらマズいと伏見は軽く身構える。予想と反して入って来たのは八田だった。八田は食堂で買ったらしいパンを右手で持っていた。
「……」
――気づかれた。
ピンをとめているせいで、伏見の顔はよく見える。目が合った。
「お前俺と高校一緒だったのかよ」
「は?」
そうくるか、と伏見は笑いそうになる口元をおさえる。八田はこの状況下でも伏見=アルバイト店員とはならず、アルバイト店員=同じ学校となっている様だ。伏見はもう面倒くさくなって口を開く。
「高校入ってからずっと、隣にいたんだけどなー」
今の言葉でやっと理解したのか、八田の顔色が変わる。
「お前、伏見猿比古だったのか」
「ん。やっとわかったか。遅かったなぁ」
ここまでに10日、長かったと伏見は呆れを通り越して尊敬する。
「だって、お前髪型違うし顔わかんないし」
「普通わかんだろ。やっぱお前、面白れぇ」
八田は馬鹿にされた様な気がして怒りかけたが、伏見が笑うからそんな気分じゃなくなった。毒気が抜かれたみたいな気分だ。
「…面白くねーし」
「ははっ。ま、学校でもよろしく?美咲」
「下の名前呼ぶなっ!馬鹿猿比古」


「いらっしゃいませ……って、伏見と八田ちゃん」
草薙は揃って入ってきた二人に驚いた様子で席を立つ。八田は草薙にちーっすと声をかけると、カウンター席を確保に向かった。それを確認して、草薙は伏見に小声できく。
「二人一緒にっちゅうことは、八田ちゃんが気付いたんか?」
「はい。俺がバラした様なもんなんすけど」
「さよか」
草薙は肩をすくめて笑うと、伏見を座らせ、髪をセットし始める。
「髪の毛、草薙さんにやって貰ってたのか」
「そーだけど」
「もしかしてサル、一人じゃできないとか?」
八田は哀れみの目線を伏見に向ける。
「違うし。……ですよね、草薙さん」
「そうや。これは俺が好きでやっとることやからな。…伏見、終わったで」
「どうも」
「草薙さん、髪いじるの好きだったんすか?」
意外そうな表情で尋ねる八田に、草薙は頬をかく。
「特別好きな訳やないんやけど、伏見の顔は見せないと勿体ないと思ってなぁ」
「草薙さん、俺自分の外見とか…」
別に、と続けようとしたが、八田に遮られてそれは叶わなかった。
「今の髪型、その、似合ってる」
照れくさそうに目を反らして言う八田を見て、伏見はぱっと顔を下げる。
「美咲に褒められたって嬉しくねぇから」
草薙さん制服着替えて来ます、と早口で言い残し、バタバタと二階への階段を伏見はかけ上がって行った。
「サルはあの髪型気に入ってないんすか?」
伏見の照れ隠しを理解していない八田は草薙に問う。
「今度八田ちゃんが直接本人にきいてみるとええよ」
草薙は八田に聞こえない様にぼそりと、伏見可愛ええわと呟いた。

自室のドアを閉めて、部屋のすぐ入口に蹲った伏見は膝に顔を埋める。
「似合ってるって…」
八田のそう言った声を思い出し頬を染める。恥ずかしくなった。
「ばっかじゃねぇの」
独り言は静かな部屋に小さく響いた。