小説 | ナノ



アルバイト八日目

入学式から一週間が過ぎた。教室でタンマツを片手に伏見は舌打ちする。周りには、嬉々として話す生徒達の姿がある。既に殆どの生徒は友達をつくり、グループという形をとり数人でまとまっている。それらが心底下らなく映っていた。馴れ合いなんて冗談ではなかった。伏見にとって教室はつまらない場所でしかない。そんな場所での唯一の楽しみは隣の男子生徒の観察だった。八田美咲。それが観察対象の名前で、伏見の楽しみの名前だ。
入学式の日の教室、ホームルームでやけに左から視線を感じた。横目でちらっと確認したら、この高校には珍しく赤茶色の髪をした、15にしては幼い風貌の少年だった。周りにはいかにも勉強してきましたというような顔をした人達ばかりで、その中で八田は目立つ存在だろう。周りとどこか違う。そういった意味では自分と同じだと、伏見は思った。だからといって八田と親しくなりたい訳では決してなく、ただ少し暇つぶしに見ていようと、それくらいであった。
八田と次に会ったのは入学式から数時間後にカフェでだ。そこで八田美咲という名前を知った。草薙から聞いたのではあるが。八田は隣の席だったというのにアルバイト店員が伏見だと気づかなかったらしい。髪型等が違ったが伏見は八田と話したのに、だ。新入生代表挨拶で長々と聞いていたはずの伏見の声も忘れているのだろう。馬鹿な奴と思うと同時に面白い、なんて思った。でも、面白かったのも最初のうちで、一週間たっても未だ気づかない八田に呆れかけている。ほぼ毎日八田はカフェに通っていた。だから、学校とカフェの二ヶ所で、一日二回も顔を合わせていると言うのに。伏見はため息をつくと、タンマツを乱暴にしまった。


八田は盛大にため息を着くと、鞄を持って立ち上がる。ホームルーム後の教室はまだたくさんの生徒で賑わっていた。人を避けて廊下に出て足を進める。
「ねぇねぇ、京子は誰狙いなの?」
斜め後ろから声が聞こえた。女子生徒達が話をしている。人の話は自然と聞こえてしまうもので、八田の耳には彼女達の話が入ってくる。
「えっとあたしはまだ……」
「決まってないの?」
「う、うん。そっちはどうなの?」
「私?…私はね、伏見君かな」
八田の肩がびくっと跳ねた。
――伏見って、俺の隣の…。どこがいいんだよ。
「伏見君?代表挨拶の声はかっこいいなって思ったけど、顔がわからなくない?」
「私、見ちゃったの」
八田は意識を耳に集中させる。伏見の顔というのは結構興味があったのだ。いつもは前髪とメガネに隠されている素顔を見てみたいと思った。
「伏見君の顔?」
「そう。今日のお昼の時間に風で前髪がふわって上がったんだよね。一瞬だけだったんだけど」
「で、どんな感じだった」
「すっごい、かっこいい。かっこよくて綺麗ってのがしっくりくるかも。あんな綺麗な人、初めてみたもん」
興奮気味に話す声が近くに聞こえる。
――綺麗な顔、か。そんなに見た目は大事かよ。
軽くイラつきながらも、やっぱり人の話だけじゃわからくて、自分でいつかその面拝ませて貰う、と八田は思った。


「いらっしゃいませー」
この日も八田を迎えたのは、初めて聞いた時から変わらぬ伏見のやる気のない声だった。
「おう。あれ、草薙さんは?」
草薙の姿が見当たらない。八田はキョロキョロと見回した。
「今は出かけてていない。草薙さんに用事でもあった?伝言くらいなら頼まれてやらないこともないけど」
「サンキュー。でも特に用事があったんじゃねぇから」
「あっそ。…ご注文は?」
「コーヒー」
「かしこまりました」
伏見が一礼して下がる。
――アイツ、注文とかだけは敬語っつうか、丁寧っつうか、ちゃんとしてるんだよな。
伏見は八田に最初からタメ口だった。だが、接客中はきちんと店員として礼儀を尽くしている。八田はそんな伏見に少し関心していた。
――てか、アイツ何歳だよ。多分俺より歳上だろうけど。
よくよく考えれば八田は伏見についてあまり知らなかった。カフェではそれなりに話すが、それだけだ。友達かと言われれば違う。
「お待たせしました。コーヒーになります」
コト、と小さく音を立てて、目の前にコーヒーカップが置かれる。良い香りが漂った。
「ありがとう。…てか、ここ、客増えたな」
「そう?俺はまだ働き始めてすぐだからわかんないけど」
伏見が首を傾げて、店内を眺めた。店は満席に近い状態で、女性客が男性客を6対4くらいで上回っている。
「増えた。前はいつも半分しか席が埋まってなかったんだぜ」
「へー。まぁ繁盛するのはいいことだな。俺の給料が増えるかもしんねーし」
笑う伏見の顔は綺麗だった。言ってることは、いい内容とは言えないことなのに、良くも悪くも綺麗に笑うのだ。
――かっこよくて綺麗ってコイツみたいな奴を言うんだろうな。
学校での聞こえたの会話を思い出す。
――伏見もこんな顔してんのか?
「何?難しい顔して」
「なんでもねぇ」
「…コーヒー、冷めるよ」
「あ、やべ」
八田は慌ててカップに口を付ける。
「注文いいですか?」
奥のテーブルに座る女性が伏見に向かって手をあげる。
「すみません。今伺います」
伏見は踵を返して、早足で女性の元へ向かった。
八田には女性客の目があの女子生徒の目と重なって映る。同じ目だと。
――女の客が増えたの、絶対コイツ目当てだな。
八田は一気にコーヒーを飲み干して、会計のために伏見を呼ぶ
「会計したいんだけど」