小説 | ナノ



俺とアイツと上司とその他

「あっ、いた。いたよ!!」
「静かにしろ、道明寺。伏見さんに気付かれる」
秋山氷杜は、隣で子供の様にはしゃぐ道明寺アンディの肩を叩いた。
彼らは上司である伏見猿比古の尾行を実行していた。ついこの間女性だったと判明した伏見が、非番の今日、たいへん可愛らしい格好でセプター4の寮を出て行くのを発見した道明寺が秋山を誘って今にいたる。最初は秋山は乗り気ではなかったが「伏見さんがどこ行くか気になるだろ」と、道明寺が言えば、しぶしぶ頷いた。
今は待ち合わせなのか、壁にもたれてタンマツをいじる伏見を電信柱の影から見守っている。端から見ればただの不審者であることの自覚を、残念ながらこの二人は持ち合わせていなかった。
「誰か走ってくるぞ」
道明寺の言葉で目線をずらすと、20メートル先くらいに走る少年の姿が見えた。伏見もそれを確認した様で、タンマツをしまい身だしなみを整えている。
「おい道明寺、ふ、伏見さんがっ……」
「…前髪をなおしてる」
「まさか、あいつは伏見さんの恋人なのか」
「そ、そんなわけ……」
二人がそんなことをぼやいている間に、あの少年は伏見の前まで来て勢いよく頭を下げた。
「悪い、遅れた」
「大丈夫。一分しか過ぎてない」
伏見は相手の遅れを咎めることなく笑顔で対応している。その様子を信じられないといったふうに秋山達は凝視していた。
「伏見さん責めないな」
「あぁ。…デート、か?」
「信じない、俺は信じない」
頭を抱えて呪文の如く、信じないとブツブツ唱えている道明寺を無視して、秋山は伏見達の会話に耳をすます。
「美咲、お腹空いたー」
「俺も。じゃ、どっかでメシ食うか」
遠ざかる二人の背中を、見失わない様小走りで追いながら道明寺が、
「なぁ、秋山。今伏見さん美咲って言わなかったか?」
「言った。……あいつ、ヤタガラスか!!」
「ちくしょー。俺達の伏見さんをたぶらかしやがって」
どうやら伏見の横を歩く少年は吠舞羅の八田美咲らしい。セプター4とは、決して仲がよくない赤のクランのメンバーが伏見とお付き合いしているとすれば、認めがたい事実だ。
「八田美咲なんかより俺と…」
「くだらないこと言うなよ、それより伏見さんあのファミレスに入った」
二人も伏見と八田に続き入店する。伏見達が一番右端の席に腰かけたのを確認すると、秋山達は見つからない様細心の注意をはらって、彼女達の隣のテーブルのイスに座る。隣の席といっても板越なため、バレることはない。ここなら会話は十分聞こえそうだ。
「美咲はそのオムライス?」
「おぅ。猿比古は?」
「じゃー、おんなじのにする」
道明寺がテーブルを、器用に音をたてないで叩き始めた。
「"おんなじ"って…伏見さん可愛過ぎる!!俺も言われたい」
「た、確かに…」
小声で話す二人から黒いオーラが立ち上った。それらは八田への恨みが痛いほど詰まっている。二人の心は一つ、殺りたい、それだけだった。
「そんな物騒なオーラを出してどうかしましたか」
突然落ち着いた声がかかりそちらを向くと、我らが室長宗像礼司が立っていた。宗像は制服ではなく、シンプルだがセンスを感じさせる私服姿だ。
「「室長!!」」
二人して大声を上げてしまってから急激に後悔に襲われた。伏見に気付かれたか。揃って伏見達の方をうかがえば丁度料理が運ばれて来ていた。
「サラダがついてる。美咲ぃ、食べて」
「少ないんだから自分で食えよ」
「多いよ。こんなに食べたら俺、死んじゃう」
「死なねーよ。じゃあ、半分なら食える?」
「頑張ってみる。後でご褒美ちょうだい?」
とりあえず気付かれてはいないと安心すべきところなのだが、二人は黒いオーラを増大させていた。
「見回りをしないで伏見君の尾行ですか」
いつの間にか秋山の隣に座り腕を組んだ宗像が言う。二人は見回りの最中だったことを思い出し、オーラを一瞬でしまって顔を青くした。
「「すみません」」
「次から気をつけて下さいね」
「「はい」」
「良い返事です。きちんと次からは私に声をかけて下さい」
「「はい、……って、え?」」
秋山達の見事に丸くなった目を見て、宗像はくすくす笑った。
「私にとって伏見君は可愛い部下ですからね。安々と八田美咲君には譲れません」
言って、宗像は何処からか、サングラス、帽子、マスクを取り出した。それを不思議そうに見つめる秋山に差し出す。
「室長?」
「彼を試させていただきましょう」
宗像のメガネのレンズに光が反射した。


「ホントに良かったの?」
「何がだよ」
「奢って貰って」
「いいに決まってんだろ」
「でも俺、公務員だし……美咲、フリーターだし……」
「ふ、フリーターとか言うな。メシは男が奢るのが普通だろうが!」
「そういうもん?」
「そういうもんだ、…って、何だ?お前は」
ファミレスを後にして歩き出した二人の前に、いかにも不審者ですとでも言いたげな怪しい男が現れた。八田は男を睨み付け、伏見を後ろに庇う。
「…伏見さんをこちらに渡して貰おうか」
男はドスのきいた声で言い、一歩前に歩み出る。瞬間、伏見が眉を跳ね上げた。八田は相手が名前を知っていたことで不信感を強めた様で、眼差しの厳しさが増す。
「お前みたいな気味悪い奴に猿比古は渡さねぇ」
「美咲!」
相手に八田が掴みかかろうとする勢いで迫って行くのを、伏見は自分が前に出ることで阻止した。
「サル?」
伏見は男を見つめ、舌打ちした。
「…なぁ、謝るなら今のうちだぜ」
「サルっ、下がれよ。こいつが何かして来たらどーすんだ」
伏見は戸惑う八田にふわりと笑いかけてから男に向き直る。
「美咲、大丈夫。何もされないはずだよ。何かしたらタダじゃすまねぇからなぁ」
脅す様な声に、男がかたかたと震え出した。それを見て伏見は呆れたふうに肩をすくめた。
「す、すいませんでした」
「は?」
急に約90℃きっちり腰から曲げて頭を下げる男を見て八田は目を見開いた。伏見は笑を堪えた顔つきで、男のサングラス、帽子、マスクを取った。現れた顔は不審者らしくない見知った顔だった。
「やっぱりか、秋山ぁ」
「本当、ごめんなさいっ!」
申し訳なさそうに謝る秋山に、容赦無く伏見は拳骨を降り下ろす。ゴッ、といい音がした。秋山は相当痛かったらしく頭をさすっている。
「俺の邪魔をした罪は重いけど、そのおかげでかっこいい美咲も見れたんだよな」
八田は急にかっこいいなどと言われ、話の展開が読めていなかったのも忘れて顔を赤くした。
「"猿比古は渡さねぇ"ってやつ、嬉しかった」
伏見にしては珍しくはにかんだ笑みを浮かべる。
「そ、そうか」
たじたじになる八田から、伏見は秋山に視線を戻した。
「で、秋山。訳を話して貰おうか」
その言葉に秋山が返すより先に、宗像が道明寺を伴ってやって来た。
「それには私が答えましょう」
「宗像、室長!」
「…青の王」
宗像は間を置いてから話し出す。
「…私は娘を嫁に出すような気持ちです」
「「「「はい?」」」」
何を言うんだ、と、伏見、八田、秋山、道明寺の心が共鳴した。宗像は心から寂しいといった表情で続ける。
「寂しいですが、喜ばしいことでもあります。それはさておき、今回は我が娘、伏見君の夫に八田美咲君がなれるのかを試させて頂きました」
伏見の「俺はいつから室長の娘になったんすか」という声は八田によってもみ消された。
「なんだよ、それ」
「ですから、君が私の娘を守れる男なのかを見極めたかったのです」
「はぁ」
八田が間抜けな返事をする隣で、伏見は先程と一語一句変わらぬ言葉を発した。
「俺はいつから室長の娘になったんすか」
「生まれた時ですよ。…八田美咲君、伏見君を庇ったのは評価しますが、お父さんは認めた訳じゃありません」
言い捨ててスタスタ去って行く宗像を一同は呆然と見送る他なかった。
「「すみませんでした」」
残された秋山と道明寺が、伏見達二人に深く頭を下げる。
「顔上げろ。主犯は室長みたいだし、秋山には借りがあるからチャラでいいよ」
「「ありがとうございます!」」
道明寺は安堵して伏見を見たが、秋山は首を傾げていた。
「伏見さんは俺に借りがあるんですか?」
伏見は頷き、子供っぽく笑った。
「ある意味、キューピッドさんですから」
きょとんとして、変わらず首を傾げる秋山と道明寺にそれじゃあと言うと、伏見は八田の手をとる。
「デザート食べたくなっちゃった」
「え?、あ、おぅ」
二人が遠ざかり、見えなくなるまで部下二人は立ち尽くしていた。

「なぁ、さっきの借りって何のことだよ」
八田は喫茶店でチョコレートパフェを頬張る伏見に尋ねた。
「気になる?」
「…ちょっとだけ、な。それにさっきのこと、イマイチわかんねぇし」
伏見はニヤリと笑った。八田は内心で、きいたことを既に悔いている。
「美咲が気味悪いって言った奴が変装した俺の部下だってことはわかってるよな」
「あぁ、…なんとなく」
伏見はパフェにささるポッキーを引き抜いた。口で先端をパキリと噛み砕く。
「そいつの名前が、秋山氷杜」
「!…ただの偽名じゃなかったってことか」
伏見がHOMRAに来た際名乗ったのは紛れもなく部下の名であった。勝手に使ってしまったというのを伏見は内心で申し訳なく思っていたのだ。
「そー。人の名前使わせて貰ったから、借り一」
「お前、結構律義だよな」
「律義じゃねぇよ」
食べ途中のパフェのグラスにスプーンを一旦置いて、伏見は八田の目をじっと見た。
「美咲」
「……」
真っ直ぐ向けられた視線は八田を捕らえて離さない。八田は自分の体温が一気に上がる気がした。
「ファミレスで野菜食べたから、これはそのご褒美」
伏見が白くて細い指でパフェを指す。
「さっき美咲が守ってくれたから、ご褒美あげる」
結局お前の部下だったんだろとか、俺がいなくたってお前は強いから大丈夫だったはずだとか、言いたいことを口に出す前に八田の唇は伏見のそれで塞がれる。いつかのキスと同じ、そっと触れる様な優しいキスだった。八田はそれが好きだ。そんなことを言えばきっと、童貞と笑われるだろうが。そっと唇を離して、伏見がパフェのグラスを持つ。
「これじゃ美咲のご褒美じゃなくて、俺のか」
八田は、ちゃんと俺の褒美になった等とは恥ずかしさで言えないかわりに、今度は自分からキスを贈った。



「室長ー、伏見です。書類をお持ちしました」
「ご苦労様です」
書類を受け取った宗像は、伏見の顔を見て数秒間固まったかの様に動かなかった。
「俺の顔、何かついてます?」
伏見がニコニコと問う。宗像が固まったのは、その笑顔故にだった。屈託のない無邪気な笑顔ならば良かったが、生憎全くの別物だ。口角は上がっているのに目が笑わない。含み笑いの様だ。宗像は寒気を感じた。
「いいえ、ついていませんよ」
「そうですか。では、俺はこれで失礼します」
部屋を出ようと踵を返した伏見がドアの前で振り返って、更にこれでもかと口角を上げる。
「あー、言ってみたい言葉があるんですけど」
「私に、ですか?」
「はい。いいですか」
宗像は深呼吸して、自身を落ち着ける。
「……どうぞ」
「じゃあ、遠慮なく。………クソ親父」
その瞬間、ぽかんと宗像が再度固まった。伏見は表情そのままで、彼の耳に唇を寄せる。
「ごめんなさい。いい顔してますよ、お父さん」
伏見は八田との時間を邪魔した宗像を許していなかったらしい。まるで、反抗期の娘を持ったみたいだと、懲りもせず宗像は思うのだ。