ピーターパンタイム・リターンズ
[寒い。寒くて死にそう]
確定、送信ボックスに保存。 タンマツを左手に持ちかえ、息をはくと白くなって空に登っていった。 八田は、さむ、と身震いしてポケットにタンマツごと手をつっこむ。 中にあるカイロが悴んだ手をほぐしていく感覚が心地いい。 こんな寒い日はアイツとコンビニであったまったな、なんて、まだそこまで遠くないはずの過去を懐かしく想った。 マフラーや手袋など身につけず雪の上を並んで歩いていたことや、八田の部屋でどちらがストーブの前に座るかで喧嘩したこと、雪合戦でお互い雪まみれになるまで争ったことなど、一つ一つが酷く懐かしい。 楽しかった、と呟いた自分に驚いてしまった。 今だって楽しいじゃないか。 敬愛する周防をはじめとした吠舞羅の仲間が八田の周りにいてくれる。 なのに、心に丸い大きな穴が空いたように物足りなさを感じることがあるのだ。 ここに伏見がいたらどうするか、と、そんな事を考える。 今も隣にいてくれたら、きっと寒い寒いと両手を擦り合わせながらあったかいもの飲みたいとか、そんなことを言うのだろう。 寒い、変わらず息は真っ白だった。 夜空に溶け込んでいく白は儚さを持ち綺麗に映っていた。 さっきはき出したばかりの白はもう見えない。
この周辺で一番小さいが品揃えがいいコンビニの前で立ち止まった。 まだ店があったことに嬉しさを感じる。 しばらくここには入っていなかった。 伏見と中学生だった冬に行ったのが最後で、それから立ち寄る気になれずにいた。 いつの日か、また二人で寒さに震えながらここにくるのを夢見た。
「よぉ」 短く呼ぶ声が響く。 この声を、過去にあれほど聞いたこの声を間違えるはずはなかった。 「猿比古」 言って、くるりと振り返って相手を確認する。 普段とは違う黒いコートを羽織った伏見がそこに立っていた。 「凍死したいの?」 八田の薄着を見てふっと笑う伏見は、自分の身につけていたマフラーを外す。 そして、器用に八田の首に巻き付ける。 「何してんだよ」 「美咲ちゃんが死んじまわないよーにしてんの」 マフラーは綺麗に巻かれていた。 自分じゃこうはいかないだろう。 首に伝わる温かさが少し悔しい。 「こんくらいの寒さじゃ死なねぇし」 「可愛くないな。お礼も言えないのかよ」 「男に可愛さなんて不必要だ!…これはお前が勝手にやったんだろ」 「ひっでぇ」 特に傷ついた様子もなく伏見が言って、八田はふんと鼻をならした。 「俺、美咲が助けてって言うから来てやったのに」 「は?いつ俺がお前にそんなこと言った?」 伏見はコートのポケットから自身のタンマツを取り出して操作し、八田に画面を見せた。 [寒い。寒くて死にそう] それはさっき確かに自分がうったメールだが、未送信のままだったはず。 慌てて自分のタンマツを確認すれば送信済みになっていた。 寒さで手の感覚が鈍り、誤った操作をしてしまった様だ。 どんな言い訳をしようかとパニック状態に陥りつつ、伏見の様子をうかがう。 伏見はタンマツをしまい、手が冷えているのか息を吹きかけていた。 自分が動揺したのが馬鹿馬鹿しくなって、八田もタンマツを乱暴にポケットにしまった。 助けて、とは言ってないよな。 「美咲ぃ」 不意に、名を呼ばれた。 顔を上げて目を合わせる。 「なんだよ」 言ってから、びっくりした。 いつもの挑発するような嫌な笑みじゃなくて、嬉しいそうに笑うから。 「俺のアドレス、消してなかったんだな」 何て答えるのが正解かわからなくて、何か照れくさくて頷いた。
「美咲ぃ」 「今度はなんだ」 伏見が顎でコンビニを指す。 「入ろーぜ。あったかいもんが飲みたい」 「おぅ」 連れだってコンビニに入ると、店員の事務的な声がいらっしゃいませ、と耳に入る。 未だ変わらぬ店のBGMに酷く安心感を覚えた。 「あ。雑誌コーナー変わってる」 学校帰りによく立ち読みした雑誌のコーナーは、場所がずれて店の奥になっていた。 以前は店に入ってすぐに見える位置にあった。 「童貞の美咲ちゃんはエロ本見かけるだけで真っ赤だったよなぁ」 からかう様な口調の伏見に、図星で言い返せないかわりに睨みつけたが、もう既に彼の関心はお菓子のコーナーへと向いていて意味がなかった。 「これとこれとこれはまずい」 順に菓子を指差して伏見が言う。 「お前まだ嫌いなのか」 彼の嫌いなものは自分が把握していたのと一致している。 「だって、これは苦いし、それとあれは辛い」 たった今その菓子を食べたかの様に、苦い表情だ。 「子供だな」 「美咲だけには言われたくないんですけど」 表情をぱっと切り替えて仏頂面になった伏見に苦笑した。 その後、黙って飲み物コーナーの前まで歩くと、決めていたのか伏見が迷いなくココアの缶を取り出している。 「美咲はー?」 「…コンポタにする」 八田がコーンポタージュの缶をとろうと手を伸ばすと、伏見の缶を持った右手に止められた。 「おい、サル!」 伏見は無言のまま、空いている左手でコーンポタージュの缶を持ち早足でレジに向かう。 どうやら奢ってくれるらしい。 店の外に先に出て彼が会計を済ますのを待った。 すぐ近くにあるベンチに腰かける。 伏見に奢られるのは初めてかもしれない。
「あっつ!」 急に頬に何かをあてられ、驚いて隣を見ればコーンポタージュ缶を持った伏見がいた。 「お待たせ」 伏見は右隣に座ると八田に缶を手渡し、自分の缶を開けた。 ココアの甘い香りが漂う。 「その、……これ、サンキュー」 視線を手元の缶におとして言う。 「どーいたしましてー」
八田も缶を開け、口へ運ぶ。 「あったかい」 「ああ。……ココア、甘っ」 伏見は口に合わないのか、表情を歪めて舌を出した。 「美咲のやつちょうだい」 不意に右手で持っていた缶が奪われる。 「は?……」 「…………うま」 一口飲んだ伏見は八田の手にそれを戻した。 「ん?…美咲?」 今度は八田が伏見のココアを奪い、一口飲んでやった。 「確かに甘いな」 「……」 伏見はやり返されるとは思っていなかったのか、少し驚いた顔をしてココアをちびちび飲んでいる。 「甘すぎ」
「サル」 「何?」 「メール見て来たのはわかったけど、何でここいるってわかったんだ?」 愚問だな、と呟いて伏見は笑った。 「なんとなく」 「意味わかんねー」 「だって、美咲だから」 「そっちのが意味わかんねーよ」 わからないけど、それでも、それでも良い気がした。 今二人でこうしているのに何も変わりはないのだから。
「星、キレーだな」 飲み終えた缶を片手でぐしゃりと潰した伏見が、ポツリと独り言の様な小さい声でそう言った。 「今日は天気良かったしな」 夜空に輝く一面の星たちは、言われた通り綺麗に、よく見えた。 「…美咲って星座とか知ってんの?」 伏見は馬鹿にした顔できき、さっき潰した缶をゴミ箱に放り込む。 「知ってるし。……あ、あれがオリオン座だろ、それから…」 「それから?」 「っつ、くっそ、知らねぇよ」 彼の、やっぱり、とでも言いたげな目が気にくわなくて、飲み終わった缶を伏見の様に、でも伏見より乱暴に潰し、ゴミ箱に放った。 ゴンッと鈍い音がして缶が跳ね返り、八田の足元に落ちる。 「へたくそ」 心底可笑しそうに笑う彼が憎い。 「うるせぇ」 笑いを止めた伏見は落ちたそれを拾い上げ、投げた。 投げられた缶は綺麗に円軌道を描きゴミ箱に入る。 舌打ちしてベンチから立ち上がり、もう一度空を見上げた。 八田に続いて伏見も立ち上がる。 「帰ろーか」 そう言う彼の顔は、まだ帰りたくないと訴えている気がしたのを見えなかったことにして頷く。 八田も名残惜しいのは同じ、いや、伏見以上かもしれない。 「サル…次会うとき」 「わかってる」 伝わっている。 次会うとき、八田は吠舞羅のヤタガラスとして、伏見はセプター4のナンバー3としてだ。 「だってお前は青服だ」 伏見は伏せていた目をぱちりと開き、言う。 「でもさ、美咲。…今ここにいる俺はただの伏見猿比古だよ」 そして唇の端に笑みをうかべた。 一瞬呆気にとられたが、すぐに八田も笑った。 「俺もただの八田美咲だ」
中学生だったあの頃みたいだと思った。 何も知らなかったあの頃。 お互いもう子供ではいられなくなってしまったけれど、でも、今は前の様に二人で同じ空間の酸素を吸い込んだ。
八田はタンマツのメール画面を開く。 一言だけうちこむ。 確定、送信ボックスに保存。 未送信のメールが、また一つ増えた。
猿比古、 俺は今日を忘れない。
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