小説 | ナノ



天使のキスはとびきり甘い

「室長……。伏見君はもしかして…何者かに誘拐されていた?」

「これは伏見君誘拐事件です」

日頃からセプター4は十代にしてNo.3まで上り詰めた伏見を心の中で可愛がる者が多かった。
セプター4のトップ、室長であり、青の王である宗像、一部ではツンドラの女と呼ばれる副長、淡島も例外ではない。
故に伏見のこととなると頭のネジが緩むこともあるのだろうか。
日高はそりゃねぇよと机に突っ伏す。
伏見を誘拐できる相手なんてそもそも少ないだろうし、それに伏見は無傷で帰って来ている。(機嫌は悪かったけど)
「今日の伏見君、帰りが遅くないですか?…まさか…」
宗像に淡島が頷き、
「では、私と日高で様子を見て来ましょうか?」
何で俺、と目を淡島に向けたがそれは意味がなく、かわされる。
「そうですね、お願いします」
「行くぞ、日高」
淡島に連れられ部屋を出た。
お茶菓子、食べ途中だったのに。



伏見は路地裏に身を潜めていた。
八田から逃げたはいいが、すぐに帰る気分にはなれなかったのだ。
もう、この姿じゃ会えねぇな。
ワンピースの裾を強く握ると皺がついてしまったが気にならなかった。
何やってたんだろ。
でも少しだけ、女でいられたか?
八田にどう見られてたかなんて、どうしてもはっきりはわからないけど。
だけど、恋をしていた。
今もしている。
やっぱり、八田美咲が好きなのだ。



「発見した」
淡島の声が、日高の背中にかかる。
振り向くと、彼女が路地裏を指差し、小声で、
「私の指示で日高は様子を見に行くこと。こちらは万が一に備え、待機する」
日高が小さく敬礼したのを見ると、表情を厳しいものへと変えた淡島が言った。
「あそこにいるのが誘拐犯候補だ」



伏見は状況を理解しかねている。
伏見を真ん中にして、右には部下である日高、左にはさっき別れたはずの八田がいる。
八田は恐らく追って来たのだろうが、じゃあ、日高は?
冷や汗が滲んだ。
「青服がなんでここにいやがる!」
八田が怒鳴るのも関係ないといった様子で、日高は伏見との距離をつめた。
日高は今も誘拐なんてこれっぽっちも信じられないのだが、淡島の推理では目の前の女性が犯人らしい。
「お前に用がある。…セプター4の……伏見さんを誘拐したのか?」
こんな女の子が誘拐…?
何の目的で?
八田は驚いた顔で日高を見て、一方伏見は口角をあげた。
「…ちっ…ここまでか…」
「は…お前…何言って…?」
「上司には敬語使えって教わらなかったか?日高ぁ」
伏見は嘲笑を浮かべ、ナイフを取り出し青の炎を灯して見せた。
ナイフに青い炎。
これを使う人を、俺は一人しか知らない。
「伏見さん…?」
「せーかい」
すぐにナイフを袖にしまうと再び日高に目をやった。
普段はやる気無さげにタンマツに向かうその目から、必死さが伝わる。
「俺のことは室長に報告するなり好きにしていい。だから今は、失せろ」
それは部下への態度ではなく、ただの拒絶で、叫びだ。
「しかし…」
「きけないなら俺に倒されるか?」
この人は本気だ。
殺気がピリピリと渦になって日高を襲う。
淡島の指示は様子を見ること。
副長、十分任務完了じゃあないですか。
日高は一礼すると、八田の横をすり抜けて大通りの方へ歩いて言った。



日高が視界から消えるのを認識した途端に、足の力が抜けるのを感じた。
伏見はぺたんと地面に膝をつく。
「なぁ。お前、猿なのか?」
八田の震える声に頷き、顔を手で覆い、蹲った。
いつもみたく『みぃさぁきぃ〜俺の変装もわかんないのか?騙してたんだよ』、なんて意地悪く言えたらどんなに良かったか。
でも、伏見を支える意地なんて、もうこれっぽっちもなかった。
どうにでもなってしまえとすら思う。
それでも、伏見は願ってしまうのだ。
八田がこの状況を受け入れて、自分の手をとってくれるのを。
それを切望する自分が嫌いで、嫌いで、どうしようもない。
「美咲、美咲。…みさ、き」
八田は何も言わず、ただただ伏見を見下ろしていた。
嫌われたか?…ってそんなの前からか。
ほんと、どうにでもなっちまえよ。
「悪かったな。もう何もしないから…。でも」
幻に、したくなかった。
「でも、あれは、……あの言葉だけは、嘘じゃないから」
ひとつだけ、信じて欲しかった。
「美咲が好き」
伏見猿比古は確かに、八田美咲に恋をしたと。
頬を一筋、涙が伝った。



そこには、吠舞羅と八田の裏切者も、セプター4のNo.3も、中学の頃を共に過ごした同級生もいなかった。
ただ、一人の男を好きだと言う、女がいたのだ。
聞きたいことならいっぱいある。
吠舞羅にいたときどんな気持ちだった?
どうして裏切った?
女だったのか?
でも、それらはもう八田には気にならなかった。
「…みさ、き……」
伏見を優しく、だがけして弱くない力で抱きしめる。
逃げ出さないように、もう離さないと言うように。
腕の中で静かに伏見が顔を上げた。
「な、んで?」
「いきなり好きとか言われてもわっかんねぇよ。…だけど、こうしたいって思ったんだ」
てっきり拒絶されるとばかり予想していたのに、今は八田の腕の中にいる。
たくさん積もった細かい問題を溶かす様に、伏見は今までで一番綺麗に、笑った。



「どうでしたか?」
セプター4本部へ帰還した淡島と日高に宗像が問いかけた。
「日高に見に行かせたのですが…」
淡島が口ごもったのを横目に日高が後の言葉を述べる。
「…言いにくいのですが…その……」
怪訝そうに宗像が顔をしかめた。
日高が慌てて口を開く。
「……伏見さんが…」
「伏見君が?」
「…女装した伏見さんを路地裏で発見しました」
一息で言い切った彼を前に、宗像は返す言葉が見当たらなかったのか、パチパチと瞬きを繰り返す。
「その際にヤタガラスとも遭遇しました」
やけになった様子で、日高は事務的に報告を続ける。
淡島はその隣で眉間を押さえて宗像の返答を待っていた。
「女装云々は今は忘れましょう。それより…ヤタガラス、ですか」
「はい。伏見さんのもとに俺が着いたのと同じタイミングでヤタガラスも来たんですが…」
実は伏見が誘拐されていないであろうことを、宗像は予測していた。
彼が無傷で帰還したのに加えて、誘拐されて黙っているのは普通の態度ではない。
ただ、その可能性がないとは言えない状況下ではあったので、誘拐説を立てた淡島に乗ってみたのだ。
伏見はクランズマンの中でかなりの強者の部類だ。
その伏見を誘拐するとなれば、彼を上回る力を持つ者が抑えこむことが必須だろう。
まず、一般人には不可能。
可能な者はクランズマンかストレインだ。
そのどちらかが誘拐を目的に動いたというのにセプター4の情報網にかからないはずがない。
もともとそう思ってはいたが、今の話をきき、誘拐説は99%宗像の中で有り得ない説となった。
ヤタガラス、その名前がでたからだ。
普段は優秀過ぎるほど優秀なな伏見が問題を起こすのは、きまって八田と関わりがある時だ。
今回も恐らくはそうだろう。
あの始末書も、何かしら八田とのことがあったから虚偽を書いたという方が腑に落ちる。
宗像は薄く笑った。
「大体は把握しました。日高君は下がっていいですよ」
日高が宗像に向かって一礼し、ドアの向こうに消えた。
「さて、淡島君」
「はっ」
「君は何故誘拐だと思ったんですか?」
今されるとは予期しなかった質問に驚きつつ、淡島が言う。
「伏見君と連絡がとれなくなったあの日、私は捜索のためバーHOMRAに行きました。そこで、そのパズル持った女性を見たのです」
淡島の目線をたどると、宗像がちょうど取りかかっていたパズルに行き着いた。
「室長は伏見君が買ってきたパズルと言いましたよね」
「これは確かに伏見君が買ってきたものですよ」
「室長に『誘拐されたのでは?』と申し上げた時は自分でも半信半疑だったのですが…」
ひとつ区切ってから、淡島は小さく息を吸い込んだ。
「あの日と前1ヶ月、そのパズルはこの周辺地域で一つしか売れていなかったことが調査で判明しました。ですから、HOMRAで見たパズルと室長の持っているパズルが同一の物だと考えます。すると、パズルを所持していた女性が伏見君と接触したということになるのですが、その後、伏見君はパズルを室長に渡しています。なので、一度誘拐された伏見君はパズルを取り返して逃げ帰ったのではと」
宗像は淡島の話の間に自分用のお茶をたてていて、茶碗を優雅に持ち、一口口内に含んだ。
「淡島君、君の説には結構矛盾がありますね」
自分でも、今は矛盾していると思う。
数えるのも面倒なほどに。
恥ずかしさに少し頬を染めた。
「君は部下をたいそう可愛がっている様でしたから。伏見君が音信不通となり頭が混乱してしまったのでしょう。…心配、だったのですね」
図星をつかれ、顔をあげられなくなった淡島は、軽く唇を噛んだ。
「ですが、伏見君行方不明事件というパズルのピースはほぼ揃いました」
「室長は理解されたのですか」
相変わらず宗像は薄く笑って肯定を示す。
「全てではないですが。……誰かに話すのはやめましょう」
後半は独り言の様に小さく言う。
「伏見君にもプライバシー、ありますから」



「俺達、お互い言葉が足りなかったんだな」
八田がポツリと後悔が滲む顔つきで言った。
そんな彼の頬に伏見がひんやりとした手の平で触れる。
「そんな顔するなよ」
八田が伏見の手に自分のそれを重ねたの感じて、にこと笑った。
「美咲、これからがあるだろ」
「そうだな」
八田も笑う。
それは中学だった時に見たのを思い出させるような、屈託のない笑みだった。
俺はこの顔が見たかったのだと改めて思う。
伏見が八田の背中に手をまわすと驚いたらしくびくっと体を震わせた。
「びっくりしちまったじゃねーか」
「ごめん」
若干拒否されたのかと不安を浮かべた伏見の頭に八田が優しく手を置く。
「別に嫌じゃないからな。…むしろ、嬉しいっていうか」
照れた様子でボソボソと言う八田に伏見は笑顔を取り戻す。
腕の力を少し強くして抱きしめ、顔を上げて彼のそれに寄せた。
二人の唇がほんの一瞬、かすかに触れた。
「な、にしてっ」
八田の顔が真っ赤に染まるのもまた、一瞬のうちだった。
「…キス。てか、美咲真っ赤」
しれっと言う伏見の頬も赤く色づいている。
「お前もだろ。あ、のさ、俺…やっぱりまだ恋愛ってわかんねーしさ…」
ここまで慌てた八田は久しぶりに見るなと、可笑しくてふっと笑う。
今日は何回笑ったんだろ。
「美咲ぃ。キス、嫌だった?」
先程触れあったばかりの熱を持った唇を、人差し指でなぞりながら問いかけた。
「嫌、じゃねぇよ」
「素直によかったって言えっての」
言って、間を開けずにもう一度唇を重ねた。
三秒くらいたった頃、名残惜しそうにそれを離し八田を抱きしめ、耳元でそっと囁いた。
「お前も俺が好きなんだよ」




その日の自分の仕事は夕方からだった。
本部に帰還した伏見はドアを開けて、立ち止まる。
そこには特務隊の面々に加え、淡島に宗像がいたのだ。
舌打ちをして自分のデスクへ足を進めると視線が伏見に痛いほど向けられた。
「あの、伏見君。……制服は?」
淡島が珍しく遠慮がちに言って、自分現状を理解した。
セプター4の制服に着替えぬままなのだ。
ちなみに制服は自室にあり、今日は気づかれない様に窓から今の格好で出かけて行った。
「着替えて来ます」
日高に好きに報告しろ、と言ってあるので、自分の性別は知れ渡っていると推測していた伏見に動揺はない。
「そのままで結構ですよ」
宗像が口の端に面白がった様な笑みを浮かべた。
伏見が意味がわからないと言った目で宗像を見る前に、日高がデスクからがばっと立ち上がる。
「俺の言った通りだろ!伏見さん女装似合うって」
じょ、そう?
「俺が女装だって……は…ははっ」
大げさに腹を抱えて笑うと、伏見は淡島の目の前に立った。
「?」
淡島の手をとり、自分の胸に置く。
「えっ、詰め物じゃ、ない」
詰め物な訳ねぇだろ。
伏見が息をついたところで、部下達から声が上がる。
「じゃあ……」
「伏見さんって、」
「「「女っ!」」」
驚愕の事実だった様で狼狽える彼らを視界から外し、舌打ちをする。
「伏見君いえ…伏見ちゃんかしら」
淡島までよくわからないことを言い出すので、ほんのちょっとの期待を込めて宗像を見るが、にこにこと笑っているだけだった。
この人はそもそも驚いていないみたいだ。
「室長ー。驚かないんですね」
「セプター4全員の戸籍情報は把握してます。室長、ですから」
はぁ、と肩を落とすと宗像が見透かした様な顔で、
「伏見君は八田美咲君と上手くいきました?」
「はい。それはとても」
「…伏見君は吠舞羅に戻る気ですか?」
小声で、でも伏見には聞こえる音量。
伏見は鼻で笑った。
「そんな都合のいいことできませんよ。……室長は俺にいなくなって欲しいんですか?」
「いいえ。…ここには伏見君が必要です」
不意をつかれて、まさかそんなことを言われるとは思わなくて、不覚にも嬉しいと感じてしまった。
「ここにいます。…ここの居心地は悪くないですから」
HOMRAで櫛名アンナにきかれたことに、今なら理由を付けて答えられる気がした。



セプター4は実力主義、能力主義の機関であり、そこに性別による差別は一切ない。
女性の淡島が副長という地位にいるのがよい例だろう。
それ故に伏見の性別が露見した今も、セプター4になんら変わりはなく、女子制服を纏う隊員が一人増えただけなのだ。
ただ、伏見は少しだけ変わった。
前項に上げた通り女子制服を着用するようになり(淡島より丈の長いものだが)、週に一度休暇を必ずとる様になった。
寮からばっちり身だしなみを整えて出ていく伏見を誰も男とは思わない。
伏見猿比古は女だ。
八田美咲の女になった。