新緑。少し肌寒かった風も今では暖かな陽と同じように肌を撫でる。閉塞されたトレミーから無理矢理引っ張り出されたのはつい数時間前のこと。突然ミッションが入る可能性もあるというのに何を考えているんだと、刹那は自分の手を引いて前を行く長身の男を見て思った。


「何処へ行く気だ」


語気を強めて問えばにこやかに微笑んだロックオンが振り返る。


「地球じゃこんな天気が良いんだ。たまには陽を浴びないとな?」


「聞いたことに答えろ。何処へ行く……」


ふと視線を逸らした先、澄み渡る晴天と眼下に広がる緑の大地。なだらかな傾斜を少し下っていけば春の陽を受けて育った花がゆらゆらと笑っている。


「花…」


ひらひらと飛んできた蝶が花に止まって蜜を吸う様子をじっと見ていると頭に何か乗せられた。驚いた拍子に頭から滑り落ちたのはシロツメクサで作られた小さな花輪。後ろを振り向けば大の大人が地面に座り込んでせっせと花輪を作っているではないか。


「ロックオン」


「ん?何だ」


「…お前が作ったのか?」


「ああ。意外と上手いもんだろ?」


そう言いながらも淀みなく動き続けるロックオンの手。シロツメクサを摘み取っては花の束に括りつけるという同じ動作を見ているのに刹那にとっては初めて見た光景で、物珍しかった。ロックオンの少し後ろにしゃがみ込んでそのまま、ころんと横になった。手の中にある小さな花輪に蝶が寄ってきたと思ったら気が変わったと言いたげに刹那の方に飛んできて髪に止まった。


「……………」


視界に入ってるのはロックオンと、自分を包み込んでいる緑と空一面の青だけ。喧騒もなくただ静かな空間がそこにあった。外出を強要されて逆立っていた気持ちもいつの間にか落ち着いてここに来れたことがとても良かったと思える。


「本当に、天気が いいな」


「そうだな…たまにはこうやって外に出ないと  刹那?」


聞こえはしたが、思考には至らなかった。





「   」

名前を呼ばれた。でも、迷わず引き金を引いた。鉛が人の体を貫くなど容易いことで、瞬きをするより早く散った。閃光が走って赤が弾けて鉄の匂いが部屋に充満したのを覚えている。

「   」

名前を呼ばれた。いや、果たして名前を呼ばれたのかはたまた何か言われたのか、それすらも一瞬の間に曖昧になる。





ふと目を開けた時、ロックオンの姿が見当たらず一瞬焦ったが、遥か向こうの方でしゃがんでいるのが見えてホッとした。


「まるで子供だな…」


いつの間にやら刹那の手には最初に貰った花輪の数倍の大きさのある花輪が一つ握らされていた。そしてロックオンの上着が上半身を覆うようにかけられていた。どのくらい寝ていたのだろうか。嫌な夢を見た。何故今更になってこんな夢を見るのだろうか。ロックオンの上着と二つの花輪を手にしゃがんで花摘みに夢中になっている男のもとへと歩き出した。

「おう刹那。起きたか」


草を踏みしめる音で気がついたのか振り返ってロックオンは言った。


「ロックオン、今日は何故」


ここに連れてきたのか、そう言えば素っ頓狂な顔をしたロックオンは座ったまま不思議そうに刹那を見上げた。


「今日は、お前さんの誕生日だろ?」


誕生日―?自分の生まれた日。自分は4月7日に生まれたと、刹那は安直に情報としてしか認識していなかった。故に刹那の誕生日だからと地球に来てゆったりと時間を過ごす、マイスターとしてある意味非日常的なこの行動の意味が解らなかった。


「おいおい、あのな刹那」


意味が飲み込めず立ち竦む刹那の腕を掴んで真正面から向き直ったロックオンは刹那の瞳を見て言った。


「誕生日ってのは、生まれたことを記念する大事な日なんだよ」


「記念?」


意味が解らない。疑問詞で聞き返せばまたまた素っ頓狂な顔をしてロックオンは刹那を見た。


「そうだ記念だ。生を受けた日にプレゼントを贈ったりして祝うんだ」


何がめでたくて祝うのか、生まれた日が記念日だから、ロックオンがわざわざこんな所に自分を連れてきた訳、未知の事象に対する知識と現実が全て繋がってロックオンの行動の意味を漸く理解した。しかし、自分が生まれたことに対して祝う意味が解らない。


「   」


「――――っ!」


声が、また聞こえた。夢の中にいるわけでもないのに何故。その声は生まれたことを祝うという行為を邪魔するかのように刹那の鼓膜を震わせている。


「刹那…?」


「知らない」


そんなの、知らない。混乱したような色を見せた刹那は苦しげに眉を顰め頭を振った。耳元でさっきの声が鳴り響いている気がしてならない。腕を振り払って逃げようとする刹那をロックオンは半ば無理矢理に引き寄せぎゅっと思い切り抱きしめてやった。寝てる間に、原因があると憶測がついた。


「怖い夢を見たんだな」


もう大丈夫だと背中を擦って落ち着かせようとする間も小さな背中は震えて目の前にあるものに必死に縋り付いた。


「怖くない、俺がいるだろう?」


「…、っ」


少し荒かった息が緩やかになりつつある刹那を見てそっと腕を緩める。幾分か和らいだ表情の刹那の額に自分の額を擦りつけて微笑みかける。その雰囲気につられて気持ちが緩んだ刹那は握り締めていたロックオンの服から手を離した。


「それでな刹那。プレゼントなんだが用意出来てないんだ」


「別に欲しくない」


さらっと言い返す様子にロックオンは苦笑しつつもう大丈夫だなと安心する。


「そう言うなって。プレゼントには程遠いが知って欲しいことがある」


「…なんだ」


訝しげに見上げてくる刹那の赤い瞳を見ながらロックオンは小声で呟いた。


「俺の本当の名前。ニール・ディランディ」


ハッと表情を一瞬険しくして刹那はロックオンに言い寄る。


「ロックオ 守秘義務が」


「お前には知っていて欲しいんだよ」


二人だけの時はニールって呼べよと笑うロックオンを見て控えめに口元を緩めた刹那は解った、と小さく頷いた。





生まれたことが記念なんて自分には烏滸がましいと思った。


「こんな良い日に『誕生日おめでとう』なんて言える俺も幸せだな」


「…?何故お前が幸せなんだ?」


何もかも優しく包んで抱きしめてくれたロックオンが、ニールが、大きな存在になった。



「刹那、」


生まれてきてくれてありがとう。