きみからとりあげたいものがある






きっとこのひとはいろんなものがいらないんだろうなぁと秋山は思った。はじめ伏見に抱いた印象だ。まだ青年の域を出ない彼の瞳は世の中をずいぶん斜に見ていたし、人との付き合いも一定のところから先は絶ってしまっていた。彼の世界はどこかで完結している。どこかで、きっと、いつか、完結してしまったのだと秋山は思った。ただの世間知らずというには伏見は少しばかり色々と知りすぎていたし、生きていく技術にも事欠かないようだった。いったい彼には何が残っているのだろう。もしかしたらもうなにも残っていないのかもしれない。だとしたらそれはとても悲しいことなのではないか。かといって秋山はどうしようとも思わなかったし、どうにかなりたいとも思わなかった。ただ寂しいひとなんだなぁと思った。ただ、それだけだ。

別にどうにかなりたいと思ったわけではないのに、どうにかなってしまうのだから世の中は不思議だ。なにがどうなって伏見と付き合うことになったのか、秋山はよく覚えていない。その場のノリだったかもしれない。とにかく、よくは覚えていない。ただ合図のようなものがあった。秋山はそれを見逃せるほと鈍くはなかったし、子供でもなかった。たったふたりぼっちの仕事の合間に、伏見は何回か脚を組み換え、頬杖をついた瞳で秋山をじっと見つめた。ただそれだけだった。秋山が少し困って「どういう意味ですか」と聞いたら、「わからないならべつにいいです」と伏見は応えた。仕事が終わったら当然のように秋山は伏見の部屋へ行った。伏見の部屋はなにもなかった。何もない中に、会話もなかった。さしてお互いお互いのことを知る必要を感じなかったからだ。ただそんな気分だった。季節が、少しだけ蒸し暑い時期だったので、汗がひどかった。秋山が上にいたので秋山の汗がぱたぱたと伏見に落ちたのを覚えている。脱いだインナーで拭ってもどうにもならなくて、かといって伏見の部屋のエアコンは壊れたまんまになっていて、とにかく暑かった。なのに、伏見はしっとりとわずかに肌を濡らしているだけで、秋山ほどの汗はかいていなかった。伏見は口の端におちた秋山の汗を舌ですくって、「しょっぱい」とだけ言った。秋山は「すみません」と眉尻を下げた。秋山が覚えている会話らしい会話はそれぎりだった。ほんとうに、それぎりだった。だから、そのときはたまに伏見のくぐもった声と、秋山が歯を食いしばる音以外はなんにもなかった。ベッドの軋む音も、ひどくはなくて、思い出したような時計の秒針の音だけが響いていた。あんなに音のないセックスを、秋山は今までに経験したことはない。だから、それだけになんだか生々しくて、感触だけがいつまでもいつまでも残った。なんにもなかったはずなのに、それはやけにモノがありすぎた。おそろしくなるほど夥しいものが、そこに息を潜めていたのだ。

ことが済んだあとで、秋山は「どうしますか」と聞いた。伏見は少し考えてから「どうとでも」と言った。曖昧な関係だ。都合のいい関係かもしれない。きっと、どちらもが恋愛というものをするにはすこし疲れていた。なにがあったとか、なにかあったとか、そういうことではなしにただ疲れていた。けれど、それではあんまりな気がしたので、秋山が「じゃあ付き合いましょうか」と持ちかけた。伏見は「好きにすれば」と応えた。それぎりだ。覚えておくにはあんまりなはじまりかただったので、秋山はよく覚えていないことにしている。

それでも、秋山と伏見は今でもだらだらと付き合っていることになっている。それらしいことはそれらしいことくらいしかやっていない。それでも、どうしてか、続いている。近づいてもいないのだから、別れたいとも思わなかった。秋山は人より少しだけ多く伏見と話す。伏見のプライベートなタンマツの番号を、秋山だけが知っている。どこかで終わってしまった伏見の世界のそのすぐ外側に、秋山は立っている。けれど決してそこから先へは進めなかった。進んでしまったらきっとお別れのお時間というものがぐっとちかくなる。だから秋山はただ立っている。いつか、終わってしまったものだから、どうとも思わなかった。けれど、彼にはたくさんのものがあったことを、知ってしまった。そうして、伏見はもうそれでいっぱいいっぱいになってしまって、だからいろんなものがいらなくなってしまったのだということも、わかってしまった。わかってしまったから、辛い。とても辛い。


(きみからとりあげたいものがある)


END

title by 深爪

みどりさんへ
遅くなりましてすみません。
ついでになんかえろい雰囲気ですみません。
リクエストありがとうございました!


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -