声を殺して泣いた夜






もっとずっと、つめたいものだと思っていた。もっとずっと、それこそ刃のようにつめたく、かたく、するどく尖っていて、触れたものなら手のひらだろうと髪の毛だろうとすっぱりと斬られてしまうものだと、その瞬間まではたしかに思っていたのだ。それなのに、いざ触れてみると、卯ノ花のからだはただただやわらかく、たおやかで、あたたかかった。こんなのは違うと、更木は思った。これではただのおんなだ。更木はただの女というものになかなか触れる機会はなかったけれど、とにかく、おんなというイメージにふさわしいかたちをしていた。

「なんだ・・・こりゃあ・・・」

更木はぶしつけに手のひらを肩から首、頬と移動させてみたけれど、それでも卯ノ花はやわらかかった。むしろこんなにも軽々しく触れられるものだったのかと。拍子抜けするほど、卯ノ花は更木にそれを許していた。更木の手で卯ノ花の髪が解かれる。それはきつく結ってあったにもかかわらず、刀のようにまっすぐに伸びた。しっとりと、いい油の匂いがした。血の匂いなんてものはしていない。鼻がむずがゆくなるような匂いだ。

「女性の身体に・・・そう馴れ馴れしく・・・ぶしつけに触るものではありません」
「なら斬ればいい。気に入らねぇならそうすればいい」
「だって、そうしたらあなた、よろこんでしまうでしょう」
「ああ、そうだ。ちがいない。むしろそっちのほうが、ずいぶんマシだ」

卯ノ花も更木も人がくるだとかこないだとか、そういうことは気にしていないようだった。それもそうだ。ここは更木の自室だ。誰がくるはずもない。間違って班目の一人や二人くるかもしれないが、そんなのは卯ノ花にしてみればすぐにわかる。卯ノ花は別に来たくてここにきたわけではなかった。ただ呼ばれたのだ。当たり前だが更木が呼んだ。呼んだといえるほどのことはしなかったかもしれない。ただ目を合わせて、そらしただけだ。それだけでわかってしまった。けれど更木も、卯ノ花も、今ここで二人でいることがあまり信じられなかった。きっとなにか、夢現のようなものかもしれないと、思っていた。

「あなたと話すことなんて、ないと思っていました」
「俺もねぇな」
「ふふ・・・よくないわ、こんなのは」
「なんだ、体面がよくないのか。そんなのは今更だ」
「違いますよ」

だって、おとことおんながこんな夜に、部屋で話すことがないだなんて、よくないわ、と卯ノ花は静かな目をした。そこで、更木ははじめて「そうか、こいつはおんなだったのか」と。それまではほんとうに、わからなかったのだ。ただ、刀のひと振りにしか、見えていなかった。けれど、よくよく見ると卯ノ花は美しいのだ。よくよくみずとも、美しい。髪をほどけばそれはいっそうだった。透き通るような白い肌にはくすみのひとつもなく、まつげは目の下に影をおとしている。刀を抜かぬ腕はたおやかに細く、そのくせ、うつくしく脂肪をまとっていた。更木はうつくしいというものをあまり見たことがなかったので、その卯ノ花の様子を、うまく言葉にできそうには、なかった。ただ、しばらく鏡は見たくないとは、思った。こんなにも違う。自分はこんなにも、醜い鬼のような顔をしている。ふたりはおなじ道の上に立っているはずなのに、どうして、こんなにも卯ノ花はうつくしい。

「その目も、女性に向けるようなものではありませんね」
「・・・そうか」
「そう。そうですね、何か、話しますか」
「話さねぇといけねぇのか」
「ええ、話さなければいけません。黙ってしまったら、やることはひとつになってしまうのだから」
「・・・どういう意味だ」
「あなた、ほんとうに子供なのね」
「・・・面倒は嫌いだ」

さて、どうしましょうか、と卯ノ花は少し考えた。考えてから、黙った。卯ノ花が黙ってしまうと、更木もとくに話すことはないので、黙ってしまう。そうすると、どうして、自然に手が伸びた。そうして、はじめは卯ノ花の髪を弄び、その指通りに感心してから、うなじに手をやった。卯ノ花の目がひっそりと閉じられる。心地よさそうにしている。不思議だった。更木はこんなに丁寧にうごく自分の指というものを、はじめて見た。けれど、そうしなければいけないことはちゃんとわかっていた。このひとは大切にあつかわないといけないと、わかっていた。目を閉じたら、あとはすることはひとつだけだ。

「・・・あなたのようなひとでも、こういうことは知っているのね」
「・・・わからん。・・・なんだ・・・甘い、のか」
「苦いわ。煙管でもふかしていたの」
「・・・そうか、苦いのか」
「はじめて知ったみたいね」
「はじめて知った」
「そう」

卯ノ花の頭は小さかった。手のひらに転がるのではないかというほど、小さかった。それを支える首も細い。そうして、指触りはなめらかだ。指に吸い付いてくるような潤いを閉じ込めている。口も小さい。唇は柔らかかった。そして、甘かった。何か塗っていたのか、それが更木の唇にまでうつってしまって恰好がつかない。更木がそれを舌でなめとると、卯ノ花が微笑みながら指でそれをなぞった。更木はなんとはなしに、舌を出して、その指を舐めた。おんなの味がすると思った。けれど更木は女を知らない。だから、このやわらかくて、ほのかに甘ったるくて、つるりとしたものがおんなの味なのだと思った。卯ノ花は「やっぱり黙ってしまうものではないですね」と諦めたように笑ってから、指でゆったりと更木の口を開けさせ、そこに舌を這わせた。更木もそれにならった。はじめからそうすると決まっていたように、手順は簡単だった。更木はずっとずっと、丁寧に卯ノ花をあつかった。自分という生き物が、こんなにもなにかに真摯になれるものなのかと驚きながら、そうした。そうしなければ、卯ノ花が簡単に更木の手の中で潰れてしまうような気がした。けれど、潰してみたいような気もした。腕を掴めばそれは簡単に布団に縫い付けられ、脚を持ち上げればそれは簡単にひらいてしまった。なにも難しいことはない。とても簡単なことだ。

「・・・拍子抜けする」
「あら・・・ひどい言葉ね」
「そういう意味じゃねぇ」
「そう」
「あんたはどうして俺に抱かれる。俺より強いだろう」
「弱いから抱かれるわけじゃないでしょう。男と女が黙ったら、することはひとつだといったでしょう」
「なら黙らなきゃよかった」
「黙らなければ、いけなかったの」
「なんでだ」
「どうしても」
「わからん」
「ならあなたはどうしてわたしを抱くの」
「・・・そうしねぇといけねぇと思った」
「ほら」

結局、身体を重ねるなんてことはお互いの違いを確かめることにすぎない。耳をなぞったところで、唇を重ねたところで、首筋に指を這わせたところで、そこが決定的に自分と違っているという事実をつきつけられるだけだ。更木の胸板はびっしりと筋肉に覆われていたけれど、卯ノ花の胸にはたよりなく豊満な脂肪がぽってりと乗っかっていた。そのしたには筋肉なのか脂肪なのかわからない、ゆるりとくびれた腹があり、そのしたには更木とは似てもにつかない下半身があった。着物を全部剥ぎ取るまでもなくふたりはべつべつの生き物だった。更木はそれをちゃんとたしかめた。卯ノ花もそうした。たよりなく、つたなく、指で、舌で、手のひらで、脚でもって、くまなく、違うところを探して、同じ場所がないことに、安堵し、ほんの少しだけのかなしみを覚えた。

「きれい」
「・・・どこがだ」
「おとこのひとのからだをしてる」
「そりゃあな」
「けだもののようなからだつきね」
「・・・ほめてんのか?」
「ほめてるわ。けだもののようではあっても、ちゃんとひとのかたちだもの」
「・・・おまえはおんなのからだだ」
「みたことあるの?」
「ない」
「どうしてわかるの」
「おれとちがう」
「ええ、そうね、そうだったわ」

言葉遊びをしているようだった。ふたりはきっと、同じ道に立っている。同じ道に立っているけれど、それば全然、べつべつのからだをして、べつべつの思考をして、べつべつの人生を歩んでいる。それが、どうして、重なっているのが不思議だった。うつくしいと思った。ただ、それだけの感情で、ひとはおとこにもおんなにもなれる。たったひとりを抱くためだけに、生まれてくる。それが更木にとっての卯ノ花であり、卯ノ花にとっての更木だった。しっとりと肌に汗が滲む。更木からはぱたぱたと汗が降ってくるようだった。どちらの汗かもわからない。ただ、おなじように、しょっぱかった。涙の味がした。


END


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