涙の味





※なぜか弁財さんが味覚障害というトンデモ設定です



生まれつきこういうわけではなかった。いつのまにか、そうなっていたのだ。はじめて気づいたのは高校のときで、朝食に食べたトーストがスポンジのようだったのがはじまりだ。なんの味もしない。匂いはちゃんとしているのに、味だけがごっそりと抜け落ちていた。妹はなんでもないような顔をしてそれを食べていたし、丁寧にマーガリンまで塗ってあった。スポンジにマーガリンを塗るわけがないのだから、自分が食べているものは間違いなく普通のトーストなのだろうと。きっと少し栄養が足りていないだけなのかもしれない、と弁財はそれを咀嚼して飲み込んだ。たっぷり塗ってしまったマーガリンが、どろどろと洗剤のように気持ち悪かったのだけは、覚えている。

親に心配をかけたくなかった。周囲から好奇の目で見られたくなかった。弁財はそれを隠したまま高校を卒業した。大学へ進学し、一人暮らしをはじめてからやっと病院へ行ったのだが、原因はわからなかった。そのままずるずると、現在に至る。弁財はものが美味しいだとか、甘いだとか、苦いだとか、そういうことをもう忘れてしまっていた。食感と匂いだけが、わかる。食事は義務であり作業だった。変に抜くと体重が落て、周囲から心配されてしまう。自意識過剰かもしれないが、変な面倒は避けたかった。このことは医者以外には言っていない。その医者も、随分前に廃業したらしく、どこでどうしているのかはわからなかった。だからこのことを知っているのはもう弁財だけだ。それでよかった。

「伏見さん、本当に野菜食べないんですね」

食堂でたまたま弁財の正面に座った伏見のプレートは全て茶色かった。むしろ伏見が食堂にきていることすらめずらしい。ごみごみと混み合っているそこで、弁財の前の席だけが空いていたのだ。

「野菜嫌いなんで。ていうかあんなのよく食えるな。味とかクソじゃないですか」

敬語とそうでない言葉が入り混じっているのは意図的なのか、無意識なのか、弁財には測りかねた。業務時間外であれば敬語を使われる機会が多々あったのだが、今はただの昼休みだ。そのあたりが曖昧になっている伏見はなんだか新鮮なかたちをして、そこにいた。

「食感とか、俺はわりと好きですけど」
「・・・今食感とかそういう問題じゃない話してましたけど」
「え、あ、そうですね」
「苦いのとか、駄目です。あと変に酸っぱいのとか」

伏見の言葉を弁財はゆっくりと噛み締めてみた。甘いだとか、苦いだとか、酸っぱいだとか、そういう言葉の意味がよくわからず、それが少しだけ、寂しかった。弁財はなんでもないような顔をして自分のプレートに乗っているサラダのミニトマトを口に入れた。ゴムボールを噛んだような感触がして、中から汁が飛び出してくる。

「ミニトマトも酸っぱいから駄目です」
「そう、ですか」

弁財はそうか、そういえばミニトマトは独特の酸味があったな、と思い出した。けれど、その酸味がどういったものなのかまでは、思い出せない。ただこの少しだけ賑やかな食感に、酸っぱいという情報だけを付け足してみた。それだけだ。

特に会話することもないので二人して黙々と箸を動かしていたのだけれど、なんだか周囲がいつもよりざわめきだした。なにやら食堂のレジに大勢が詰めかけている。なんだなんだと目をそちらに向けると、どうやら味噌汁に大量の塩が混入してしまっていたらしかった。しょっぱくて飲めたものではないと一人が文句を言ったことで事件が発覚したらしい。
「あれ、でもあんた、普通に飲んでなかったか?」

伏見は弁財のプレートに乗った味噌汁を見ると、首をかしげた。そうして、弁財が止める間もなくそれに口をつけて、すぐに吹き出した。

「おい、あんた舌おかしいんじゃないか。これ、まじでしょっぱいですよ」
「え、あ、考えごとを、していたので・・・」
「なにそれ」

弁財はどうして今日に限ってなのだろう、と内心冷や汗をかいていた。たしかにいつもより少し喉が乾くなぁとは思っていたのだ。唇も少ししわしわしているような気がしていたのだ。けれどそれが多量の塩分からくるものだったとは、全く、気付けなかった。もうしょっぱいだなんて味覚も忘れてしまっていたものだから。

「なんか、食券の払い戻しやってるみたいですね。行ってきたらどうです。まぁ、100円ですけど」
「はぁ・・・まぁ、もう少し騒ぎが落ち着いてから、行きます」
「以外に面倒がらないんですね、そういうの」
「100円あれば、食後に缶コーヒーが買えるので」
「へぇ、味もしないのに、そんなん飲むんですか」
「舌ざわりが好きなんです」

そう答えてしまってから、弁財は驚いて伏見を見た。なんだか意地の悪い笑みを浮かべている。

「やっぱり」

ぷつん、と、何かが切れる音がした。自分の中で水のように溜め込んでいた秘密が、どろりと逃げ出してしまったのが、わかった。そうすると途端に口の中で色んな情報が暴れ狂った。どうしていいかわからないほど、複雑な味がして、それからとにかくしょっぱくて、しょっぱくて、たまらなくなった。

「え、あ、」
「なんすか、変な顔して。カマかけただけですよ。さすがに、ほんとだとは思いませんでしたけど」
「いや、ちが、くて、」
「べつに隠す必要なんて・・・」
「ちが、ちがうんです。ちがう・・・」

ちがうんです、と自分でつぶやいている間にも、さっきまで食べていたミニトマトのねっとりと舌に絡みつくような酸味や、白米のささやかな甘さが、舌の上でつぎつぎと蘇ってきた。口の中が虹色になっているのではないかとすら思えるそれに、弁財は困惑してしまう。どろりと、秘密ではない何かまで、溶け出すような気がした。

「え、弁財さん?」

たくさんの、頭がパンクしそうになるほどの味に紛れて、ひっそりと、懐かしい味がした。ずっとずっと自分の中に閉じ込めていた、涙の味だ。


END


わけがわからない感じになりましたが、前にぼそぼそ呟いてた味覚障害な弁財さんの話でした。ちょっとはじめて書いたので全然伏弁じゃなくて申し訳ないです・・・。
あらがたさんへ!
お粗末様でした!


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