それでも傍に居てほしいと泣き笑い
今朝のおは朝の占いにおいて、かに座は上位だった。ラッキーアイテムは赤いリボン。高尾はそこまで確認してから、家を出た。きっと今日は緑間が赤いリボンなんて似合わないものを左手に握っているのだろうなあなんてことを考えながら。果たして、緑間は左手に赤いリボンを持っていたし、今朝のじゃんけんに高尾は負けた。いつものことだ。いつも繰り返していることだった。学校までリアカーを自転車でひっぱり、それを駐輪場に停めて、そこからは歩いて教室へ向かった。そうして、新しい一日がはじまる。いつものことだった。
お昼休みに、二人は購買へ脚を運んだ。高尾はいつも購買で買ったパンやおにぎりで空腹を満たしているが、緑間は普段は弁当を持参していた。今日はたまたま、母親に時間がなかったのだと言う。高尾は自分のパンを選びながら、緑間に「そういや真ちゃん、このパン好きだったよな」と、以前緑間が食べていたパンを指さした。しかし緑間は「そういえばそうだったな」と言いながら、違うパンを取っていた。今日はそういう気分ではなかったらしい。そうして、パンを選び終わったら教室に戻って、二人で昼食をとった。昼食の間に、今週末の話をした。今週末の日曜日は部活が休みだったので、高尾がどこかへ出かけようという話を持ち出したのだ。しかし緑間は「週末は行きたい場所がある」と言って、すげなく断った。高尾が「行きたいとこってどこさ」と言うと、緑間は口を堅く閉ざした。高尾の唇が不機嫌そうに突き出るが、緑間はそれを見ないふりしている。見ないふりをしながら、甘い菓子パンをもさもさと口に運んでいた。高尾は惣菜パンを口に運びながら、もう一度「どこに行くのさ」と尋ねた。緑間は「お前が興味を持ちそうにない場所だ」と言った。高尾は朝から感じていた何かどうしようもないものを突き付けられたような気がして、意気消沈した。結局、どこまでいっても、二人は他人だった。そういうことを、今日一日で何度か突きつけられている。それはごくごく当たり前のことであったけれど、どうしてかこたえるのだ。高尾は味付けの濃いコロッケの挟まったパンの包装を引き破りながら、「別にどこかくらい教えてくれたっていいじゃんかよ」とぶつぶつと文句を言った。緑間はたった一言、「言ったところでどうしようもないだろう。クラシックの演奏会だ。チケットは一枚しかない」と答えた。高尾はそれだけで満足した。
二人はその後、昼下がりの気怠い眠気と闘いながら授業をこなし、部活もいつも通り参加した。部活後の自主練習までしっかりこなしてから、誰もいなくなったロッカールームで着替えをした。平日はジャージでの下校が禁止されている。いつもの学ランに着替えながら、学校側も面倒な校則を好むものだともたついていた。冷えた汗を吸った重苦しい練習着を脱いで、どこかさっぱりと冷たいシャツに袖を通す。二人とも同じ場所にいながら、別々に行動していた。例えば、緑間はカッターシャツのボタンをしたからつけるが、高尾は上からだった。ついで、スラックスのはき方も、緑間はボタンを止めてからジッパーをあげるが、高尾はジッパーをあげてから、ボタンをとめた。それは自然なことだ。けれど高尾は違和感のようなものを覚えた。今朝から注意して緑間を見ているが、そうするとどんどんと、高尾の知らないことが知れてくるのだ。ボタンの留め方から、ジッパーの上げ方まで、それは様々だった。ついでに言えば、それらは習慣からくるもので、ちょっとやそっとのことでは揺るがない。けれど好みのパンはというと、そうはいかなかった。それはうつろうものだ。だからきっと、誰か他人の全てを知るということは、できないのだ。高尾はちゃんとそれをわかっていた。けれど、知りたいとも思うのだ。何が好きなのか、何が嫌いなのか、そういうことを全部知りたいと思った。けれど高尾がそういうそぶりを見せると、決まって緑間はそれを隠そうとするのだ。暴かれることは羞恥だ。他人に全てをさらけ出すほど緑間は迂闊ではなかったし、逆に他人の全てを暴こうとするほど、無神経ではなかった。けれど、それは不自然にそうしているわけではなかった。必要なだけのものは全て高尾に預けていたし、それに見合うだけの高尾の秘密を、緑間はそっと手渡されていた。そのことに、時には失望することもあったし、あきれることもあった。逆の場合もまたしかりだ。そうして、二人は一緒にいるのだ。信じられるだけを信じて、信じられない部分は見ないふりをしている。緑間はそういうものだと思っていた。けれど高尾はそうではないらしかった。信じられない部分をどうにか、信じようとしている。それが重苦しくもあり、ありがたくもあったが、結局、その行為や思想はどこか落胆をはらんでいるのだ。緑間にはそれがわかっている。人間というものはそこまでできた存在ではないのだから。
緑間が週末の話を思い出して少し疲れた色を見せると、高尾はへらへらと笑いながら、「ねえ、今日のラッキーアイテムかしてよ」と強請ってきた。緑間は少し考えてから、「何につかうのだよ」と少しの拒否を顕わにした。高尾は「貸すのが嫌なら持ったままでいいよ」と言う。緑間は仕方がないので、赤いリボンの端を高尾に渡した。すると高尾は器用にも右手だけでそれを自分の左手の小指に結び、その逆側をするりと緑間の左手の小指へと結んでしまった。そうして「運命の赤い糸、なんつってね」と笑ってみせたのだ。緑間は少しあきれてしまって、眼鏡のブリッジを持ち上げながら、「そんなのはまやかしなのだよ」と言ってみた。そうしたら高尾は「それでもそばにいたいんだよ」と泣いたような顔で笑うばかりだ。緑間は「そうか」と答えたが、心中ではただひっそりと、今週末と、その先々のことを考えていた。このリボンはどこまで続いているのだろうと、そう思いながら。
END
なつさんへ。
リクエストありがとうございました!