故意は盲目
秋田から東京へ行くのと、京都から秋田へ行くのとでは少々公平ではなかったが、しかし、紫原の都合がついたので、二人は東京で待ち合わせをした。東京で待ち合わせ、というのもなんだか壮大な話だ。学生にとってそんな遠出は修学旅行を彷彿とさせるし、親もなかなか許してはくれない。しかし、紫原も赤司も、中学は東京であったために、色々と工面しやすいようではあった。二人は東京で待ち合わせ、ということだけ取り付けて、細かいことはなんにもとりつけなかった。東京のどこそこ、どこどこ、ということもメールや電話を介さなかった。日取りとだいたいの時間だけ、というとても大雑把な取り決めだけして、その日、東京へと向かう決心だけ固めていった。
そしてその日その時間に、紫原は東京駅のホームに降り立った。秋田から東京までは新幹線を使った。夜行バスでもよかったが、それだときっと京都から新幹線でやってくる赤司と待ち合わせるには時間を持て余してしまう。三時間ほど前の秋田ではまだまだ冬であったけれど、現在に至る東京はもう春めいた景色をしていた。息が白くなることもなく、むしろ紫原が着ていたダッフルコートは大きな荷物となってしまう。紫原は待合室の隅の方でそのダッフルコートを折り畳み、泊まりの約束はしていなかったが持ち込んでいたキャリーバッグへと詰め込んだ。それでもなお暑い。紫原の恰好は冬物のセーターに、細身の濃い色をしたパンツであった。セーターも脱いでしまおうかと思ったが、袖をまくればそれほどに暑さを感じなくなったし、日が陰った時のこととこの春休みめいた人混みの熱気とを考慮して、脱がずにおいた。袖をまくった腕には安い時計がある。それがもうじき正午を指そうとしていたので、紫原はさっさと改札を出て、出たところにあるコインロッカーに財布と携帯以外の荷物の一切を預けた。預けたのち、赤司に電話でもかけてみようかと携帯を開く。
「敦」
紫原が振り返ったところには、少し薄手のシャツに、春物の濃い色をしたカーディガンを羽織った赤司がいた。広い東京駅で連絡も取りあわずに、適当な取り決めだけで待ち合わせができるものだなあと紫原は思いながら、赤司の方を向いて「よくわかったね」と応える。
「いや、秋田はまだ寒いだろうから、荷物が増えるだろうと。敦は荷物を嫌うだろうから、改札を出たらここに来るんじゃないかと思って。ちょうど、正午のくらいだったし」
「ふうん。いや、でも、うん。その通りだよ。びっくりした。こっちはもう春なんだね。三時間で冬から春に変わるって、すごいね」
「帰りはその逆だろう。なかなか、季節というのはむつかしいものだ」
赤司と紫原は、立ち話もなんだから、と、そこからなんとはなしに山手線に乗った。東京の主要な場所をずっとぐるぐる回っているそれに乗れば、まあ行きたいだろう場所には向かえるし、座ることもできる。座席はありがたくもちょうど二人ぶん空いていて、赤司と紫原はそれに乗り、さあどこへ行こうか、どこで昼食をとろうか、という話をした。
「普通に渋谷でいいんじゃない?駅周辺にだいたい色々そろってるし。駅近くの適当なとこでお昼食べて、それからちょっとそのへんぶらぶらしてーってかんじな気分」
「そうだね。じゃあ、そこまで少し座っていようか」
「うん」
秋田からであろうと、京都からであろうと、東京という場所はそれなりに観光すべきところではあった。しかし、それより先に、二人にとって東京という場所は懐かしさと親しみのある街でもあった。電車や地下鉄でだいたいの場所へ行けて、駅周辺にだいたいのものがそろっていて、その駅周辺あたりにそれなりにそれぞれの特色がある、そういう街だ。赤司と紫原は渋谷に到着するまで、さほど言葉を交わさなかった。他の迷惑を考えてのことではなく、ただ単にここは移動するための場所であって、話をするための場所ではないと認識していたからだ。電車の中は時間が時間だったせいか、言葉を交わす人も少なく、誰しもが他人の方を見ないように、時間をつぶしていた。目的の場所に到着するまで。
赤司と紫原は、紫原が先に言ったように、適当な場所で昼食をとると、適当にぶらぶらと街を歩いた。買い物をするでもなく、観光をするでもなく、ちょっとその辺の近所を散歩するように、歩いた。日差しが春めいていたので、それに苦痛はなかった。紫原はまくりっぱなしの服が時折落ちてくるのを、何度か元の場所までおしあげては「ちょっと暑いね」と文句を言った。赤司は涼しそうな顔をして、「敦が厚着なんだろう」と笑って返した。
二人はしばらく歩いたのち、大通りから少しそれたところにある喫茶店に入った。その喫茶店は三階建てで、二人は注文した飲み物をカウンターで受け取ると、三階の一番見晴らしのいい席まで、それを運んだ。二階までは人がまばらであったが、三階までくると無人であった。だから二人はそれなりに広い店内を占領して、やっと話ができるところにきた、という顔になった。東京という場所はなかなかに、人と人が話すための場所が限られている。
「そういえばさあ、今日、俺、赤ちんにわりと話したいことがあったんだよね」
「…なんだい」
「うん、まあ、たいしたことかもしんないけど、そうたいしたことでもないかもしんないんだけど」
「それはどちらかわからないな」
「でも赤ちんはなんとなくわかってるんじゃないかなあっても思うんだよね」
紫原はシュガーを足して甘くしたハニーカフェオレを口元に持っていきながら、「赤ちん、未来見えてるようなもんだし」と溜息をついた。赤司はそれを受けて笑いながら、「そんなこと、ふふ、そんなことは、ないよ。敦がしようとしていることだって、注意してみなければ、わからない」と、嘯いてみせた。紫原はつと、時計をしていない方の手をテーブルに持ち上げて、「今のはわかった?」と首を傾げた。赤司は「どうだろう」とブレンドコーヒーを一口、口に含む。紫原はそれがソーサーに戻されるのを確かめてから、時計をしている方の長い腕を赤司の方にするりと伸ばした。伸ばして、そのまま、赤司の目を広い掌でふさいでしまう。
「敦、これじゃ見えないよ」
「これで、わからないでしょ」
「ふふ、そうだね。これじゃあ、なんにも見えやしない」
赤司は戯れるように紫原に好きにさせておいてから、「で、何を話してくれるんだい。意外なことなんだろう?」と口の端を持ち上げた。紫原は「わかってて言ってるんだ、それ」と言ってから、椅子と腰を離した。そのあとに、言葉は続かなかった。ただ、窓から差し込む春らしい日差しに、二人の影が重なるばかりだ。終ぞ、その先は続かなかった。あとははじまるばかりだったもので。
END
夜薙さんへ
リクエストありがとうございました