どこで間違えた
テスト期間だった。テスト期間には部活動ができなくなる。学校側から禁止されるのだ。学校側から許されて部活動をしているのだというなんだか不思議な心持になりながら、緑間と高尾は夕方の教室の隅で今日返された数学の小テストの答案とノートを開いていた。その小テストで、緑間は特に悪い点をとったわけではなかった。むしろいい点数を取っていた。答案には丸ばかりが赤いボールペンでつけられていて、それと向きを逆にしている高尾の答案は芳しくない。ぺけがいくつか並んでいて、その答えを緑間の答案から写しているのだ。高尾は「こっち向けていい?」とそれを断って、緑間の答案を自分の方に向けた。
緑間の答案も、高尾の答案も、点数が書いてあるところを折り曲げたあとがついている。高校生という生き物は良かったとしても悪かったとしても自分の点数を隠したがった。ほんとうにそこを隠したいわけでは、決してないのだ、きっと。ほんとうに隠したいのはその点数によって催す自分の劣情や優越に違いない。しかし今、二人の答案は全てあけっぴろげにされていた。そういうところに二人は静かな安心を感じていた。
「数学の先生もさーいじわるだよなあ。テスト前で俺ら忙しいんだから、計算の過程とかも教えてくれればいいのに、答えしか配ってくれないんだぜ」
高尾の言うように、数学の先生は生徒たちにちょっとしたいじわるをしていた。数学という教科は高校になると答えだけわかっていてもなんにもならないのだ。それを知っていて、「調べたり考えたりするのも勉強のうち」と、答案を返すときに一緒に配るべき解答を、配らなかった。解答というのにはいつも、計算の過程が書いてあったり、ここでこういう考え方をして、というのがしっかりと書いてあったりするものだ。その学生にとってとても大切な解答を配らずに、答えだけ配った。答え、というのは解のことだ。計算の過程やらなにやらをすっとばして、その過程ののちに導き出される答えだけを生徒に教えたのだ。
「そんなに難しい問題はなかったからな。教科書の公式に当てはめれば簡単に導き出される答えなのだよ」
「真ちゃんは頭いいからそうやって余裕ぶってられるんだって。俺はどの公式つかえばいいのかとかそういうのもわかんねーの。特に最近のとこはなんかほんと意味不明な単語の羅列にしか見えねー」
「それは貴様が授業中寝ていたり他の生徒と筆談しているからなのだよ」
「まあそうなんだけどさあ」
高尾は正答とおぼしきものが書かれた緑間の答案とにらめっこをしはじめる。緑間も一通り会話が済んだとなると、テスト用にノートをきっちりまとめにかかった。板書に付け加えて書いた部分を整理したり、重要な部分にマーカーを引いたり、と、そういう作業だ。
そういう作業をしているところに、高尾の顔がちらついた。高尾の頭は緑間よりも幾分低いところにある。緑間はそれを見下ろすかたちになるので、自然とそのまつ毛の長さまで見えてしまっていた。釣り目がちな目の際を縁どるまつ毛は黒々とそれなりの長さで、そのしたにある瞳は夕焼けを反射したのかオレンジ色に見えた。そのオレンジ色や、なめらかに秀でた額のあたり、髪の毛の光沢に、緑間の思考はしばしばもっていかれがちになってしまう。すっと通った鼻梁まで視線が下りてきたあたりに、高尾が「真ちゃん、ここの計算過程…」と、緑間の方を見た。ばちり、と視線が合ってしまう。緑間は気まずさをごまかすように「どこなのだよ」とその答案に視線をやった。
「えっと、ここなんだけどさあ、ここの計算過程真ちゃんすっとばしてっけど、真ちゃんが書いてるところまで俺がといたらなんか答えが合わなくなっちゃって」
「…どう、だったか…」
緑間は急いでその解答に目を走らせるのだけれど、支離滅裂になるところ寸での脳味噌では、ただただ数字と記号の羅列を目がなぞるばかりだった。高尾がどこで間違えたのか、わからない。それもそうだ、緑間がなぞっているのは正解の、自分のほうばかりである。間違った方をみなければ間違いはわからない。間違いというものは正解と見比べてはじめてわかるものだ。正解は正解としてはじめから存在しているのだけれど、間違いばかりは間違ってしまわなければわからない。緑間は目の端にちょっと笑いたいような高尾の顔を捉えてみたり、自分の答案を捉えてみたり、高尾の少し読みづらい字を拾ってみたり、散々、どこで間違えたのかを探していた。どこで間違えた。正解はどこかにあるはずなのに、それが見つからない。見つからないうちは、きっと、どこかで間違えているのだ、きっと。
END
みのさんへ
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