どうしてだか夜は短い






夜ってものの定義はあんまりにも曖昧すぎる。紫原は日が沈み切った、夜を見つめて、そう思った。紫原は寮の窓をがらりと開け放ち、窓際に座ってじっと、うごめくような、さざめくようなそれを見つめていた。夜は季節によって訪れる時間が違うし、天気にだって左右される。確固たる定義がなかった。けれど、それは必ず毎日やってくる。毎日やってきて、紫原の時間を奪っていく。

夜になると、部屋に氷室が来たり、紫原が氷室の部屋へ行ったりしていた。それはもう、毎日のように。部活が終わると、氷室は決まって「じゃあ、夜にまた」と言う。氷室の言う夜というのは、宿題が終わったあとの空き時間を指しているらしい。入浴時間もそこから差し引かれる。それを差し引いたとしても余りある時間を、紫原と氷室はよく、肌を重ねることに費やしていた。氷室の身体は紫原にとっての夜だ。しっとりと湿っていて、温かく、指先は冷たくて、眠たくなるくらいの快楽を与えてくれる。氷室は夜だ。ひっそりとした暗闇の中で、窓からしくしくと流れ込んでくる夜と、氷室は同じにおいをさせていた。一緒にいるのにどこか寂しい。紫原をひとりにする、夜だ。

「アツシ、どうしたんだい、窓なんか開けて。風邪をひいてしまうよ」

紫原が振りかえると、そこには困った顔をした氷室が立っていた。ノックは一応したよ、と肩をすくめている。

「ん、ああ、ちょっと換気してたー」
「そう。俺は空気を入れ替えるついでに、床を掃除することを勧めるかな」

氷室は散らかり放題の紫原の部屋を指して、眉尻を下げた。ついでに、ゴミだけは拾って、ひとまとめにしてしまう。こういうところ、甘やかしすぎだと部のメンバーにはよく叱られるところだ。紫原はがらがらと立てつけの悪い窓を閉めた。ぴしゃりとはねのけられた夜の空気が、ガラスに当たって真っ暗になる。部屋が明るいせいで、窓には紫原の顔だけがうつっていた。外がいっそう、暗くなったようでもある。

「室ちん、そんなのいいから。あとで俺がやっとくから」

紫原はそう言って、氷室を背中から抱きしめた。氷室の髪から、夜のにおいがする。外で何かしていたらしい。うっすらと汗のにおいもするので、大方、コンビニまでひとっ走りしていたか、外で少しバスケをしていたのだろう。紫原はその髪から首筋までに鼻を押し付けて、「しよ」と言った。氷室は「夜は長いんだぞ、アツシ」とくすくす笑った。まるで子供をあしらうような声音だ。紫原は冷えた手を氷室のジャージの裾にしのばせて、首に歯を立てた。軽くだ。それだけで、紫原にはいっぱいの夜が流れ込んでくる。今は夜だ。夜の真っ只中に、紫原はいる。氷室が「今日はどうしたんだ」と、身体をよじって紫原を捕まえると、その目をまっすぐに見つめてきた。紫原が腕を緩めると、氷室はしっかりと紫原の頬を両手で挟み込んで、「さびしくなったのかい」と。紫原はどんなにか、「そうだよ、さびしいんだよ。だからなにかしよう、ふたりでしかできないことをしよう、」と言いたかった。けれど、結局、言うことができないで、ただ「今日はそんな気分」とだけ、答えた。

「アツシはいつだってそんな気分じゃないか」
「そう、」
「そうだよ」
「…そうだね。きっと、そうだよ」

窓の外から、そのずっとずっと遠くから、朝の足音がする。小さく小さく、響いている。紫原はそれがただ、怖かった。夜が怖くて、けれど、夜は幸福だった。だから朝が待ち遠しく、朝が恐ろしい。洗い立てのシーツのような朝より、自分のにおいが染みついた夜のほうが、いくぶんかましだった。紫原は少しうつむいて、髪の隙間から、氷室の胸のあたりをちらりと見た。その胸に、そっと大きな掌を押し当てて、「室ちん、二人でしかできないことって、なに」と聞いた。紫原にはひとつしかわからなかった。肌を重ねることしか、知らなかった。氷室もきっとそうに違いなかった。氷室も、「そうだね、一緒に寝ることくらいかな。俺にもよくわからない」と答えた。だから、だめなんだろうなあと、紫原は思った。わかっていた。ほんとうは、もっとたくさん選択肢があることくらい。けれど、どちらもこの方法しかわからないから、だから、肌を重ねるしかないのだ。紫原は夜のにおいが染みついた氷室の首筋に額を押しあてて、「室ちん、しよ」と言った。氷室は、その髪の毛をなでながら、「そうだね、明かりを、消そうか」と言った。

部屋が真っ暗になると、窓の外が明るくなる。この部屋の方が暗いからだ。窓の外が明るいと、朝が近づいたように思える。この部屋には夜がわだかまっている。滞留している。流れることなく、凝った夜が、ずっと、ここにある。紫原は息を荒くしながら、自分の髪から、手から、汗から、夜の気配を感じていた。ああ、自分は氷室にとっての夜なのだ、と、わかった。朝の足音が聞こえる。どんどん大きくなる。二人はずっと夜をかかえている。ふたりでいるのに、ひとりだった。夜はさびしい。どうしてだか、夜は短いからだ。


END


しいさんへ。
リクエストありがとうございました!

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