欲張りだと嘘をつく/日弁/緋衣さん






「日高にはなんにも怖いものがないんだろうな」

弁財がそっと、くたびれた溜息のようにそう言ったときに、日高はぎくりとした。弁財に他意はないようだった。二人は夜、寮の隅にいた。弁財と秋山の部屋だ。秋山は今日は帰ってこないとわかっていたから弁財が日高を呼んだのだ。それでなくとも日高が「弁財さん弁財さん」とうるさかったので。最近は二人っきりで過ごせる時間というものが極端に減ってしまっていた。だからこういうのもいいかもしれない、と、部屋で二人してくすくすと笑い合っていた。歩いてるわけでも、離れてしまうわけでもないのに手を繋いでいる。そうするのがなんだかくすぐったくて、温かくて、しあわせだった。手だけではなく、肩と肩が触れ合ってしまうと、二人して「あ、ごめん」だとか「すみません」だとか言って、それから笑っていた。そうしていた時に、弁財がなんとはなしに「日高はなんにも怖いものがないんだろうな」と言ったのだ。日高にはなんにも怖いものがない。なんにも、なかった。ふたりでいるこのときは、そうなのだ。そう思うようにしている。

「弁財さんは何かあるんですか」

日高がそう尋ねると、弁財は少し汗ばんでしまった手から力を抜いて、考えるそぶりをした。それは返す内容を考えているというよりは、言うべきかどうかを考えているようだった。きちんとした答えは弁財の中にあるだろうに、弁財はそれを出ししぶっている。

「重いって思われないかが心配なんだ」
「弁財さん、それもう言ってるようなもんじゃないっすか。ていうか俺の方が絶対重いからそんなん今更気にしなくていいですよ」
「そうか?」
「そうです」
「そうか…」

二人して耳を噛むような会話をした。弁財はまた少し考えてから、ひそひそと、二人しかいないのに、内緒話をするような声音で、「日高がこの手を離してしまうのが、こわいんだ」と言った。そう言ってから、照れたような顔になって、うつむいて、長い髪で顔を隠してしまう。日高はへへ、と笑って、「弁財さん」と弁財の名前を呼んだ。呼んで、そうして、手を離した。弁財はすぐに日高を見た。日高はその視線と視線が交わる前に、弁財を抱き寄せた。

「ずっと手ぇつないでたらなんにもできないじゃないですか」
「…そうだな。まあ…そういう意味じゃ、ないんだが…まあ、そうだ」
「なんすか、もう。俺難しいことなんもわかんないんですよ」

そうして日高はまた「弁財さん」と名前を呼んだ。弁財さん、弁財さん、と、何回も。そうして、たくさんのものを欲しがって、たくさんのものを手に入れて、弁財を手に入れて、抱きしめて、キスをして、身体を重ねて、一緒に眠って、それでもまだ弁財さん、弁財さん、と欲しがりつづける。欲張りなふりをして。ずっと。


END


緋衣さんへ
リクエストありがとうございました。

title by 深爪

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