私たちはいつも目に見えないものを手に入れたがる/翡翠さん
宗像が真新しく固いシーツの上で起き上がったとき、隣では伏見が息苦しそうに寝息を立てていた。二人の間には十分な距離があって、それを許すほどにそのベッドの容量は大きかった。宗像はそろりと枕元に置いておいたはずの眼鏡をかけて、丁寧にハングされた上着からジッポと煙草を引っ張り出した。そうして、枕元に灰皿を引っ張ってきて、起き抜けの一本を吸おうとした。かちんとジッポを開ければ、じりじりと煙草の焦げる苦しそうな音がする。息を吸い込んで、吐き出したとき、それは後悔とも言えないかたちをして、空中に吐き出された。真っ白な煙だ。肺は真っ黒にするくせに、吐き出される煙はいつだって白かった。その凝った暗いものを胸に落としていくからかもしれない。とにかく宗像は溜息を繰り返すようにそうして、そうしていたら伏見が「煙草くせぇ、」とうめき声をあげた。どうにも煙草にいい思い出のない男らしい。宗像は伏見の顔に煙を吐いてやろうかと思ったが、下世話な意味に取られても面倒だったので、そのまま、天井に吐き出した。じりじりとフィルターが焦げだすあたりに、伏見の腕が枕元を探っていた。眼鏡を探しているらしい。宗像はそれの在処を知っていたので教えてやってもよかったのだが、そうはしなかった。ただじっと伏見のあがいているようなその手の動きを見ている。
伏見がやっと自分の眼鏡を見つけたとき、宗像は二本目に火をつけていた。伏見はだるそうに上体を起こし、がしがしとだらしなく頭を掻いた。疲れが抜けきらないらしい。宗像は煙草の灰を落としながら、「よく眠れましたか」とありきたりに尋ねてみた。すると伏見は舌打ちを先に返して、それから「隣に人がいて、そんなわけないでしょう」と答えた。宗像は「そうか、人が隣にいると眠れないものなのか」と、少し考えて、それを煙にして吐き出した。伏見は何か言いたげだったが、終ぞ、何も言わなかった。何も言わずに身支度をはじめてしまう。そういえば今日も仕事だった、と宗像はじりじりと煙草を灰皿に押し付けた。煙が少しだけくすぶって、すぐに途切れる。未練のようだ。少しだけ残って、いつか立ち消える。そういうものだ。
「私はよく眠れました」
宗像がそうぽつりとつぶやいても、伏見は衣擦れの音だけを返した。宗像は吸殻をじっと見つめながら、「よく、眠れましたよ」と、もう一度繰り返した。未練のように。だからこれはいつか立ち消えるのだと、わかっていた。瞼を伏せて、もう一度持ち上げるその時には。
END
翡翠さんへ。
リクエストありがとうございました。
title by 深爪