莫迦だねナイフなんて抱いてさ(みさきさん)





※伏見吠舞羅時代



開店前のバーはわりかし静かだ。静かすぎて少し寂しいのだけれど、草薙は開店前のバーでちょっと落ち着き、コーヒーを飲むのは嫌いじゃなかった。手間をかけたコーヒーだ。ミルで豆を曳いているときに、カランコロンとドアベルがなる。面倒な客だろうか、と思いながらそれを見ると、来たのは珍しく伏見だった。べつに伏見がここに来ることは珍しいことじゃない。伏見が一人で、こんな時間帯に来ることが珍しいのだ。大方八田と待ち合わせているのだろうけれど。

「…ちっす…」
「ああ、いらっしゃい。こんな時間に。誰かと待ち合わせでもしとるん?」
「わかってて聞かれんのはあんま好きじゃないです」
「はいはい」

草薙はミルの取っ手をまわし続ける。草薙はちょっとやそっと噛みつかれたくらいで怒るほど若くはなかった。若くないということはいろんなことをあきらめているということだ。幸福が長くは続かないこと、うまくいなかないこと、ままならないこと、男の恰好悪さ。あげだしたらきりがない。きりがないけれど、それらとうまく折り合いをつけて、妥協して、あきらめていると、とても生きやすい。脱力して、いろいろを受け流しているのと変わらないけれど、若いころよりはずっと、生きやすくなった。伏見はまだ、それができていない。草薙はちょっとばかしそれが疎ましくもあった。見せつけられる若さというものは、時に疎ましく映るものだ。

草薙はお湯とドリッパーを用意しながら、「俺、コーヒーいれるけども、伏見はどうする」と尋ねる。伏見はちょっと考えてから、「いただけるなら、いただきますけど」と答えた。

「砂糖とミルクは?」
「いらないです」
「そう」

草薙はカップをお湯で温め、コーヒーを丁寧にドリップした。こぽこぽと静かな音がする。こんな綺麗な音が響くのは、ここにいるのが草薙と伏見だけであるからだ。草薙はできあがったコーヒーを、ソーサーにのせたカップに注いで、伏見に出してやった。自分はカウンターの向こう側で一息つき、その香りを楽しんでから、「ええ出来や」と呟き、一口飲み下す。くたびれた大人の特権は、ブラックコーヒーをおいしくいただけることだ。世の中の苦いものをいろいろと飲み下してきた舌に、ブラックコーヒーは深く深くしみわたる。伏見はというと、カップに口をつけて、少しだけ眉をしかめていた。若いというものは、そういうものだ。莫迦だね、ナイフなんか抱いてさ、と、草薙は笑った。もちろん口には出さない。大人だから。


END


みさきさんへ
リクエストありがとうございました。


title by 獣

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