おなかがすいたからだよ、きっと






料理というものは大事なものであり、必要なものであり、恐ろしくもあり、暖かくもあり、冷たくもあり、おいしくもあり、まずくもあり、甘くもあり、しょっぱくもあるものだ。けれどそういった表現は基本的に場合分けをして使われ、口の中がいっぺんにそんなワンダーランドになるというようなことは、もちろんない。日高もそう思っていた時期があった。たしかにあったのだ。かわいいかわいい後輩の手料理を食べるまでは。


楠原剛は日高にとってかわいい後輩だ。日高曰く、食べちゃいたいくらいかわいくて、目に入れても痛くなくて、はにかんだ笑顔が特別キュートでかわいいということだった。この際「キュート」と「かわいい」が同じ意味という問題はおいておく。もちろん日高の脳内辞書では「キュート」という単語には「かわいい」という意味しかなく、「頭の回転が速い」「抜け目ない」「ぶりっ子」なんてともすればマイナスなイメージにつながる意味は存在していない。していないにもかかわらずおんなじ意味の単語を重複して使用しているあたりお察しだ。日高はおバカさんだ。そんなことは楠原でも承知している。

そして日高が「食べちゃいたいくらいかわいくて、目に入れても痛くなくて、はにかんだ笑顔が特別キュートでかわいい」とほざくと、楠原は「食べたら犯罪ですよ」だとか「目つぶししますか?」だとか「キュートとかわいいはおんなじ意味ですよ。おバカさんですね」といちいち指摘してくれる。その言葉どもはいちいち辛辣であるがしかし、日高には「俺の間違いを指摘してくれるなんて楠原が俺を思ってくれている証拠」というふうに映るらしい。日高の脳内は年中春だ。

そんな楠原と日高はとにかく小型犬と大型犬、セプター4では名物わんわんコンビとして有名である。とにかく大型犬の日高が楠原をかわいがり、そんな日高を天使のほほえみをたたえた小型犬楠原が「うざいです」とあしらっている。日高はめげないし、楠原の笑顔も崩れない。道明寺は面白がっているがしかし、布施と榎本あたりは「よくやるよ」という目でふたりを見ている。五島は「んふんふ」笑うばかりだ。けれどみんなどこかで「日高早く目を覚ませ」と思っているあたり剣四組の結束は固い。

「日高さん、僕、料理ってすごいなって思うんですよ」

楠原が定時上がりで一緒に帰寮しているときに突然そんなことを言いだしたので、日高は「なんでまた」と首を傾げた。たしかに料理は偉大だ。特に加茂の料理は絶品だ。他隊の隊長であるが、寮は一緒なのでたまに日高も加茂の料理にありつくことがある。加茂の料理の腕は嫁にきてほしいくらいの腕前であった。いやほんとうにあんな高身長で強面でムキムキな加茂に嫁にこられたら困るのは日高であるが。

「だって、料理って、食べるじゃないですか」
「そりゃあ食べるな」
「食べたら消化されて栄養になるじゃないですか」
「そうだな」
「そしたら、その人の身体を構成するのは、食べた料理ってことになるじゃないですか」
「タケ、頭いいな」
「そりゃ日高さんと比べたら誰だって頭いいですよ」

日高は楠原の発言に対して特に思うこともないのか、しきりに「たしかにそうだなー」と頷いている。臓器にもよるが、人間の身体というものは日々新しい細胞を生み出している。若いうちは特にそれが活発で、個人差もあるが、十代二十代のあたりがピークにあたるらしい。楠原はそんなことを日高に事細かに、馬鹿でも理解できるように説明してやってから、「それってなんだかどきどきしませんか」と言った。

「うん?」
「たとえば日高さんが毎日料理を僕に作ってくれて、僕がそれを食べ続けて、そうしたら、いつか僕は日高さんがくれたものだけで構成されるようになるんですよ。それってなんだか不思議ですね。不思議で、なんだか、日高さんのものってかんじがしますね」

この楠原のセリフによって日高が陥落したのは言うまでもない。

そんなこんなでその日から日高は楠原のための自動米炊きマシーンになった。日高はべつに料理が下手なわけじゃあない。むしろそれなりにできるほうだ。さすがに男の料理になってしまうが、ハンバーグやらオムライスやら、果てはポトフやらシチューやらカレーやらハヤシライスやら、一通りはこなせるように躾けられている。後半三つはルーが違うだけ、というご指摘は勘弁していただきたい。とにかく日高は料理ができないわけではなかったし、楠原の甘言によって「楠原に飯を作り続ければ楠原を自分のものにできる」というおかしな法則が成り立ってしまっていた。ニュートンもびっくりである。そして日高は単純だ。単純すぎて涙が出てくる。別に楠原は頼んだわけではないので、当然のごとく食事は日高負担である。そして日高負担によって購入した食材を、日高が調理し、三食決まった時間に楠原に提供しつづける。なんなら弁当もこさえる。忠実なる大型犬っぷりだ。楠原はちょっとした言葉と天使のほほえみで難なく自動米炊きマシーンを手に入れた。ともすれば悪い方の意味でイッツソーキュートだ。

さらに楠原はよく食べる。一食につき米2合はぺろりと平らげるあげく、おかずもよく食べる。大食らいで有名な日高よりもともすれば食べる。楠原の胃袋にはちょっとしたブラックホールが発生しているのではないかという噂も一時期立っていた。そんなこんなで日高の財布は本人がよくわからぬ間に空っぽになっていく。無駄遣いをしているわけでもないのにとにかく空っぽになっていく。そこらへんで日高もさすがにおかしいと気づいたらしい。

「なあタケ」
「なんですか自動米炊きマシーンさ…じゃなかった、日高さん」
「うん、いや、なんかさ、俺タケに飯作るじゃん?」
「はい。おいしいです。もっとお肉が食べたいです」
「よし、今晩はすき焼きにしよう。あ、いや、それはともかくだ」
「なんでしょう」
「タケは俺にご飯作ってくんねーの?」

日高が感じた疑問というのは、「食費出してくれないの?」という至極全うな請求ではなく、「俺がタケのタケを作るならタケも俺の俺を作ってほしい」というわけのわからないものだった。ともすれば下ネタにも聞こえかねない。日高の主張としてはこうだ。

「俺がタケの身体をつくるから、タケも俺の身体つくってよ。そしたらウィンウィンだろ」

もちろん日高が「win‐win」なんて言葉を知っているはずがない。なんなら卑猥なオモチャの効果音くらいにしか思わないだろう。先のセリフは日高が発したものではなく、楠原が脳内で不快指数が少ないように変換したものだ。

聞いてみたところ、たまにでいいから楠原の手料理が食べたいらしい。楠原はちょっと面倒くさいなあと思いながらも、「ここで自動米炊きマシーンを手放すよりは」とでも思ったのか、「でも僕の料理、日高さんのよりずっとおいしくないですよ」と首を傾げてみせた。完璧な角度だ。日高は「いいよ、タケの手料理ならなんでもおいしく食べれる自信がある」と答えた。答えてしまったのだ。

料理というものは大事なものであり、必要なものであり、恐ろしくもあり、暖かくもあり、冷たくもあり、おいしくもあり、まずくもあり、甘くもあり、しょっぱくもあるものだ。けれどそういった表現は基本的に場合分けをして使われ、口の中がいっぺんにそんなワンダーランドになるというようなことは、もちろんない。日高もそう思っていた時期があった。たしかにあったのだ。かわいいかわいい後輩の手料理を食べるまでは。

楠原の手料理様はとてつもない代物だった。すき焼きの材料があったので調理場を借りて楠原がすき焼きを作成したのだが、なぜか汁が異常に少ない。なんなら鍋のはしっこのネギを箸で持ち上げると、全体が持ち上がってしまう。日高はそれでも心折れずにキッチンバサミでそれを裁断し、すき焼きのルールに従ってとき卵につけて口に含んだのだけれど、そこから先の記憶が定かではなかった。何かがおかしい。見ていたかぎり爆発しただとか、怪しげな薬剤を投入していただとかそんなこともなかったのに。途中まではいい匂いさえしていたのに、なにがどうしてこうなった、と日高はお口の中が悪い意味で宝石箱になっている状態でどうにか考えを巡らせようとした。目の前には申し訳なさそうに鎮座する天使がいる。なんなら「やっぱり、おいしくないですよね…」と瞳を潤ませているのだ。ここで「おいしくない」と言ってしまったら男が廃る。日高は呂律も回らなくなってきた口で「い、いや…ちょっとびっくりしたけども…おいしいぞ…」とやっと言ってのけた。日高は馬鹿だがしかし男ではあった。

しかしこんな料理をたまにだとしても食べていたら日高の男である象徴がもげてしまう。股間にダイレクトに衝撃のある料理というものを日高は生まれて初めて食べた。いや精力剤だとかそういうものはいい意味でダイレクトに衝撃を与えてくれるが、これは再起不能になるタイプのダイレクトさだ。これはいけない。

「なあタケ」
「なんでしょう日高さん」
「このさいお前が目の前で普通にカップ麺食べてるのはおいといて、やっぱ悪いし料理は俺担当で」
「え、いいんですか?」
「うん…」
「でも悪いですし…そうですね、皿洗いとかは僕がします!」

食費を半分出すとかそういうことを言いださないあたりが楠原の楠原たる所以である。

「ありがとう…タケは優しいな…」

そこからはもう記憶が途切れてほんとうによく覚えていない。


そんなこんなで日高が楠原の自動米炊きマシーンになってから三か月が過ぎた。日高はずいぶん料理のレパートリーが増えて、家庭的でオーソドックスな料理も得意になったし、魚も綺麗にさばけるようになった。加茂とレシピの交換までするようになり、和食に中華、フレンチにイタリアンも一通りこなせるまでに成長した。人に毎日食べさせるというのはなかなかに気を遣うものだ。その味を評価されるだけでなく、栄養がダイレクトにその人を形作る。日高が楠原の自動米炊きマシーンになってから、楠原の肌も髪もつやつやになり、なんなら身長も1センチ伸びた。体調を崩すことなく毎日元気に天使をやっている。セプター4内では「最近子犬の毛艶がよくなった」と評判にさえなった。大型犬のほうも楠原に食べさせるという目的のための自炊とはいえ、とにかく栄養のあるものを三食きっちり作って食べているためなのか、心なしか顔つきが精悍になった。いいことずくめだ。なにもかもがうまくいっていた。日高の財布の中身以外は。


料理というものは、大切だ。何を口に入れるか、何を栄養とするかで、その人の体調が大きく左右される。そうして、料理を誰かに作るというのは、大きな喜びを伴っている。その人の身体のすみからすみまでを、自分の自由にできるのだ。野菜が足りなくなってしまえば爪の形がゆがむし、タンパク質が足りなくなれば、肌が荒れる。あたりまえのことだ。そうしてなにより、「おいしいです」と笑いながら、たくさん食べる天使がいる。日高としてはなんにも文句はない。たとえ財布の中身が大変なことになっていても。料理というのは大切だ。生きていくうえで、とても大切なものだ。生きていたら、レトルトであれ、冷凍であれ、出来合いのものであれ、とにかく、食べる。食べて、身体をつくって、いらないものは出してしまって、また、食べる。それを繰り返して、人というものは生きていたんだなあと、日高は思った。この三か月間程度で、よくよく噛みしめた。





「日高」

真夜中に五島に呼びかけられて、日高は「あー?」と気の抜けた返事をした。季節はもう夏だった。部屋の中は窓を開けないと蒸し風呂のようになってしまうし、食欲もいい加減減退する。

「お腹減った。なんか作ってよ」
「んー?うん、わかった」
「え、断られると思ったのに」
「いや、だってお前、腹減ってんだろ。なんか作るよ。今なら食堂空いてるだろうし」
「まあそうだけど」

五島はなにかにと言ってきたけれど、空腹はほんとうだったらしい。日高が食堂のキッチンスペースに入って、あるもので適当に料理しはじめたら、おとなしく待っていた。日高が見てみると戸棚には大量の素麺があった。夏の風物詩だ。日高はそれを茹でて、もみ洗いして水を切り、そのうえにトマトとレタスをのせて、ついでに味を付けて焼いた豚肉も盛る。そのうえから豆乳を注いで、塩胡椒と七味で味を調えた。加茂に教えてもらった夏バテ防止サラダ素麺であるが、なかなかにうまくできるようになった。

日高がそれを五島に出してやったら、五島が箸をとりながら、「日高って、料理上手だよね」と言った。日高は「え?そうか?加茂さんのがうまくねーか?」と返す。五島の前には皿があったが、日高の前には皿がなかった。五島のぶんだけ作ったらしい。この夜更けに腹の減らない成人男子なんているものか。見てみると日高はぼんやりとテーブルにこしかけて、タンマツをいじっていた。夜中にこっそり食堂を使っていることがばれたら面倒なので、小さなキッチンの灯り以外は目立たないように消してしまっている。そのためかタンマツのブルーライトが、ぼんやりと、日高の顔を照らし出していた。海の底にいるみたいだった。ゆらゆらと光が揺れる。海の底というのは怖いものだ。真っ暗闇で、水ばっかりが大量にあって、水流に流されてしまうと、どこが上なのか、真っ暗な深海なのかもわからない。とてもこわいものだ。

五島はだらだらと何事か考えながら半分ほど素麺をおいしく食べたのだが、如何せん量が多い。どんな大食漢相手に作っているんだという量で、五島はちょっと溜息をついて、箸を置いた。


「量、多すぎ。日高も食べてよ。泣くほどお腹すいてるんでしょ」


END


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