モルトワーム(えむさん)






※伏見が吠舞羅時代の話








草薙の運営するバーには、少なからず常連というものが存在する。それは周防はもちろんのこと、十束や、八田や、鎌本のことだ。他にも日替わりで足蹴く通う面子というのは決まっている。しかしながら、先に挙げた常連というのは、狭義での常連の面子だ。広義であれば、アンナや、伏見も含まれる。さらに細分化してみれば、アンナと伏見はやはり違う常連のカテゴリーに分類される。その日のバーには、広義での常連が全員そろっていた。他に客はいない。草薙にとって商売はあがったりだったが、アットホームな空間も、彼は嫌いではなかった。

周防が普段通り指定席であるソファに腰掛け、その周りに鎌本や八田、アンナが集まっている。十束はその輪からは外れているが、近くのカウンター席に腰を下ろしていた。そこから椅子三つ分を空けて、隅の方に伏見が座っている。伏見は会話に参加することなく、いつものようにタンマツをいじっていた。草薙もだいたい、固まっているセットの中の会話を楽しんでいたのだが、グラスを洗う際に、その輪からちょっと外れてしまった。そうしたときに伏見のつまらなそうな顔に気づいたので、ちょっとした溜息をつく。

「そういや伏見、今日はどないしたん」
「…なにがですか」
「いや、会話に混ざらんと、タンマツばっかいじっとるさかい」
「べつに、いっつもこんなじゃないですか」
「八田ちゃんはあっちで楽しそうにしとるのにな」
「…そういえば、ここのBGMって音量低くないですか」

伏見はなにか不都合なことを聞かれてしまった、というふうに、話題を逸らした。たしかに店内のBGMは普段よりも音量が低く設定してあった。草薙は洗い終わったグラスを丁寧に磨きはじめる。

「ああ、おしゃべりするんにはこれくらいがちょうどええやろ」
「…そうですか」
「普段はもうちょい大きくしてるんやけどな。BGMが大きいと酒の進みもはやくなるんやて」
「はぁ、そうですか」
「けどまぁ、今日は儲けたいわけでもなし、野暮な音楽で野暮な大声のおしゃべりさすのも、それこそ野暮やと思わんか」
「わかんないっすけど」

そのあたりで、草薙はひとつ、グラスを磨き終わった。伏見の声は低く設定したBGMの音量にも負けてしまいそうだった。その小さな声音をジンジャーエールに溶かすようにして、それを飲んでいる。この場所と伏見はとことん合わないらしい。

草薙がバーを運営するにあたって、一応方針というものは決めてある。常連メインの、活気のあるバーにするということだ。それは一見様お断り、というわけではない。もちろん受け入れる。場所には受け入れるという意味だ。けれど、会話は常連だけの楽しみに設定してある。初見が一人でバーに入ってきたって、会話は楽しめない。ただ一人さびしく、隅の方でグラスを傾けるだけだ。それを何度繰り返したって、それはただのモルトワームにしかならない。恰好のつかない、うじ虫野郎と揶揄されるだけだ。けれど、草薙が気に入れば、バーカウンターの向こう側から話しかけて、会話の輪の中に入れてやる。そうやって、このバーのおしゃべりは時間がくるまで、続いていくのだ。草薙の中で、そういうふうに決まっている。

「なあ伏見」
「なんすか」
「俺が、この場所からお前に話しかけるのはな、たぶんあと一回やで」
「なんすか、それ」
「わからんやつでも、ないやろ」
「…まぁ、そうですけど」
「お前はそれでええんか」
「…さぁ、どうでしょう」

伏見はあきらめたように、笑って見せた。ジンジャーエールのストローが薄っぺらな唇にくっついたまま、首を傾げて、そう言った。草薙はちょっと考えてから、「やっぱ二回にするわ」と言った。きっとこの回数制限は、無限に増えていくのだろうなぁと、半ばあきらめながら。


END


えむさんへ
リクエストありがとうございました。

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