鏡越しの自分だけ(秕さんへ)






この人はきっといろんなことから目を背けて、見ないようにして、そうしてその考え方をずっと現実に反映してきた面倒な人なんだろうなぁと秋山は思った。それは心からの軽蔑とは違う。ただただかわいそうな人だと思った。だから、伏見が「あんた、俺がいないとだめだな」と言ったときにも、なんにも思わなかった。ただ、「そうですね」とへらりと笑った。

「あいつは俺がいないとなんにもできないやつだった」

伏見はいつか誰かのことをそう言った。きっと、その人がいないとなんにもできなかったのは伏見の方なのに。そうして、過去のことをぼろくそになじった。普段はそんな会話を避けているのに、秋山にだけはどろりと心にたまった毒のようなものを吐き出す。それがよかった。秋山はきっと特別なのだと思った。伏見の中で秋山は特別だ。秋山の中では、そうでもない。

伏見はいつも相手をなじるとき、それがたとえば道明寺であっても、日高であっても、とても強い言葉を使う。「お前はなんにもできない」だとか「死んだ方がいい」だとか「生まれる前からやり直してこい」だとか、そういう言葉だ。それはナイフのようになって相手をザクザクと斬りつける。けれどその言葉はそのまま、伏見に向けられているのだろうと、秋山は思った。彼はきっとこの世界で一番、自分のことが嫌いなのだ。なんにもできない自分が嫌いなのだ。仕事ができるのは、必死でそうしているからだ。誰にだって回せる仕事をとにかく自分ひとりでこなして、そうしてくだらない「自分はできる」という自尊心を作り上げている。秋山はそのたんびに「伏見さんのお手伝いをさせてください」と伏見の抱える仕事の山を切り崩さなければいけない。ほんとうはみんなでやったほうがずっと早い仕事だ。ひとりでやることにはなんにも意味がない。意味はないけれど、伏見がそれで保っているのであれば、その自尊心というものを傷つけないようにうまくふるまうべきだ。そんなこともできないなら、秋山はきっと伏見のそばには立っていられない。伏見が切り捨ててきたたくさんの人のようになるだけだ。伏見はいろんなものを捨ててしまう。それもあっさりと。まるで自分にはこれがあれば十分、というものを確信しているかのように。

「秋山」
「なんでしょう」

伏見に呼びかけられたとき、秋山はちょうど休憩用のコーヒーをいれているところだったので、それを伏見にも出してやった。伏見はブラックが好きだ。なんにも混ざり込んでいない純粋なものが好きだ。伏見はそれを受け取って、一口飲んでから、秋山に「お前って俺がいないとほんとだめだよな」と言った。秋山はちょっと笑ってから、「すみません」と言った。伏見はそれだけ確かめると、すぐにまた書類の海におぼれてしまった。だから、秋山は「お手伝いしましょうか。必要はないかもしれませんが、俺、今手が空いてしまっているので」と言った。ああ、この人が俺がいないとダメなんだろうなぁと思いながら。


END


秕さんへ
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