初恋は発酵しました






きっと誰かといつか幸せになる。人生はそうあるべきなんだと、誰が言っていたわけでもなく誰もがだいたい、心の底ではそう思っている。火神もそう思っている。きっとアレックスも、自分も、誰かといつか幸せになる。じゃあその誰かというのが、アレックスにとっての火神で、火神にとってのアレックスであったっていいんじゃないかと、そういうふうに思うようになったのは、いつからだったか。林檎のようなにおいをさせた思い出が、たしかになくはないけれど、胸が締め付けられるように苦しくて、泣きたくなるくらいさびしいと思うようになったのは、日本にきてからだ。火神はぎゅっと胸のあたりのシャツを握って、その掌をひらいた。そこになにかかたちのあるものがあるとでも思っているかのように、そこをじっと見つめて、そうして、火神のベッドでくつろいでいるアレックスを見てみた。アレックスはなんにも怖いことがないような顔で、「どうしたんだ、タイガ」と首を傾げた。眼鏡も外してしまっているから、きっと今火神がとてもせっぱつまった男の顔をしていることに、アレックスは気が付かない。

「アレックス。大事な話をしよう」
「なんだ?真面目そうな声で」

アレックスは首を傾げてから、枕元に置いたらしい眼鏡に手を伸ばした。けれどその細い手は火神が捕まえてしまって、シーツに押し付けたので、眼鏡を捕まえることはできなかった。アレックスは「どうした?甘えたいのか?」と火神を見上げる。火神はベッドを軋ませて、アレックスを今度はしっかりと押し倒す体勢になった。

「タイガ?」
「アレックス、俺はもう子供なんかじゃ、ない」
「タイガ、これじゃあ眼鏡がかけられない。どいてくれないか」
「そうやって、とぼけてれば俺がごめん、ふざけてた、なんて言うと思うのか。アレックスだって、もう、わかってるだろ」
「タイガ」
「いつか、きっと、でもずっと遠くにある未来に、あんたは誰かと幸せになるんだって、ガキの頃は思ってた」

ずっと、ずっと、思ってたんだ、と火神はつぶやいて、アレックスの首のあたりに頭をおしつけた。香水やボディミルクや、そういう人工的なにおいに犯されていない首筋だ。アレックスだけのにおいがしている。そこに噛みつくようにキスをして、火神は唸った。

「でも、それって、どうなんだって、このごろはずっと思ってる。このごろじゃないかもしれない。もっとずっと前から、俺じゃ、だめなのかって、思ってた。その、アレックスと幸せになる誰かは、俺じゃだめなのかって、思ってた」
「タイガ…」
「アレックス、嫌なら、拒んでくれ。俺でもいいっていうなら、拒まないでほしい。俺はもう子供じゃない。からだもおおきくなったし、自分でものもちゃんと見れるようになった。考えられるようになった。誰かにこうしろって言われたから、それこそ、タツヤに言われたから、こんなことしてるわけじゃ、ないんだ。アレックス、好きだ。好き、なんだ。嫌だったら、殴るでも、蹴るでも、なんでもして俺のことぼこぼこにしてくれ。そうして、ちゃんと、完璧に、完膚なきまでに拒絶して、遠ざけて、勘違い野郎だって、なじってくれ。お願いだ。お願いだ」

火神は情けないことをしていると思いながらも、腕をつっぱって、ちゃんとアレックスの顔を見た。アレックスの目は、ちゃんと火神をみていた。けれど、それはあまり上手に焦点を結べていないようでもあった。そうして、少しだけさびしそうな顔になった。でもそれは、大人が、子供の独り立ちを見送るような顔だった。火神はひどく、みじめな気持になる。アレックスは火神なんて、きっとなんとも思っていやしないと、わかってしまったから。それは弟子としてではない、もちろん。きっとアレックスは火神を大事に思ってくれている。思いやってくれている。けれど、違うのだ。火神はそんなこと求めていない。たしかに、求めているかもしれないけれど、それは一番にそう思っているわけじゃない。ちゃんと、大人と大人として、男と女として、見てほしいだけだ。それだけのことが、とてもむつかしい。

「私はお前を拒絶なんてできない」
「でも」
「でも、こんなことを受け入れることはできない。ありていに言えば、お前とメイクラブはできない。キスはできても、メイクラブはできない」
「アレックス」
「お前はそんなことがしたいのか」

むしろ、そんなこと、アレックスは「そんなこと」と言ってしまっているけれど、火神にとってはとんでもなく重要なことを、火神がしたくないとアレックスは思っているのか。火神は静かに、手にこめる力を強くして、アレックスにキスをした。お遊びなんかでなく、本気のキスだ。けれど、舌なんてものをいれた経験が火神にはなかったので、どこまでも真摯に、熱意をこめてキスをした。順番なんてしったことかと、火神は自分よりもずっとやわらかい唇に、角度をかえて、二回キスした。アレックスは黙っている。だって、しゃべっていたら、キスなんてできやしない。火神は唇をはなして、それからアレックスを抱きしめた。顔を見ていたら、自分が子供にもどってしまうような気がして。

「したい。でも、それは過程だ。俺はアレックスが好きだ。やるのは、その気持ちの表現だ。俺はそういう気持ちをアレックスにもってる。子供扱いだけはしないでほしい。やり方だって、もう知ってる。そういうことをしたいと思うように、お前が好きなんだ」

アレックスの空気がちょっとだけ変わったのが、わかった。肌のしたのさざめきや、呼吸の色で、においで、わかった。火神はからだの震える心地がした。こわかった。きっとだめなんだって、心のどこかではわかっていた。わかっていても、いまの状態が、どうしようもなく疎ましかった。だから、こうしている。アレックスにキスをして、抱きしめている。それは子供が親にするのときっとおなじ行為だけれど、意味はぜんぜん違っていた。

「タイガ、私はどうしたらいい」
「なに…」
「私は、お前にあまり嫌われたくない。でも、男としてお前を見ることはできない。お前のいう過程とか、表現とか、そういうものを受け入れられそうにはない。私はお前を殴るべきか」

初恋はかなわないと相場が決まっている。火神はきっともうこの肌に触れることはできないのだろうなぁと思いながらも、ちゃんと、アレックスのうえからどいてやった。親に怒られた子供のように。そうして、「殴ってくれ」と言った。泣きそうな声で。

「わかった」

けれど、アレックスは火神を殴ったりなんてしなかった。火神の頭に少しだけこぶしをあてただけだ。それこそ、ぽすんとかわいらしい効果音がつくような強さで。そうしてから、そのこぶしをほどいて、火神の頭をなでた。なのに、とても、痛かった。火神がいままでいきてきた中で、一番、いたいと思った。


END


title by ダボスへ

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