正義ってなんだ






正義ってなんだ。

後藤は近頃そういうことばかりを考える。正義と書いてせいぎと読む方の話だ。正義と書いて「まさよし」と読むほうではない。もちろん。下の名前が正義な方の羽佐間のことを考えることはとくにないと信じたい。しかし職場のパーソナルなのか公のものなのかわからないパソコンでは暇さえあればサムライフラメンコというふざけた名前の男を追っかけているし、たいていその動画を見たあとは羽佐間にメールのひとつでも送ってやる。最近彼女に送るメールの数より、彼女様にかける電話の数より、サムライフラメンコの中の人に送るメールの数や、かける電話の数のほうが多くなっていた。しかしどうして電話は発信するものなのにいまだに「かける」というのだろうか。どうしてなのかデジタルな世代に生きる後藤にはよくわからない。そしてそんな後藤よりもずっとデジタルで、言うなればデジタルネイティブな世代の羽佐間は、今日もヒーローもののDVDを見ながらカレーを食べていた。そんなことでは栄養が偏るだろうし、指先も黄色くなるだろう。後藤は最近なんだか飽きてきたこのインスタントなカレーの味にうんざりしたあとで、ちょっとうんざりするほどこの部屋に来ているという事実に少々のっぴきならないものを感じた。

正義ってなんだ。

辞書で引いてみたら答えがかいてあるような簡単で日常的に使う言葉のくせして、その本質なんてものはどこにも存在しない概念的な、つまるところあやふやな言葉だ。いまだに正しさ、正義については論争があるし、答えが見つからないからこそ正義を主題にした小説やらアニメやらドラマがそこここに転がっているのだ。そんなどうしようもなくいい加減な言葉を羽佐間は自分の中の考えこそが正しいと言わんばかりに主張している。それってどうなのよ、と思わなくはないけれどしかし羽佐間の言うことはわりかし正しい。やっていることはどうしたって変態ちっくだけれどしかし、納得してしまうところがわりとある。羽佐間正義と書いてきっと正義なのだ。羽佐間は正義の味方なのだ。しかし正義って、なんだ。

正義ってなんだ、と後藤は羽佐間に寄りかかられながらそう思った。後藤には彼女がいる。そろそろ結婚という年齢にさしかかり、いつまでもぷらぷらしていられなくなった。いや、警察官という職業柄ぷらぷらはしていないのかもしれない。後藤はわりと真っ当な人生を歩んできたと自負している。しかしながらその「真っ当な人生」というものは、何を基準に「真っ当」と言えるのだろう。正しいとこに向かっているのかもわからない国家のお犬様になった程度で真っ当と言えるのか、それともいい年して正義の味方の恰好をして夜な夜な街を徘徊する羽佐間と比べて真っ当と推しはかっているのか。なにはともあれ後藤はこの状態はまずいのではないかと思うのだ。いい年したおっさんの肩にいい年でもない未成年が頭を押し付けている。なんならそのままうまいこと力を加えられて、うまいことソファに押し倒されそうなことになっている。まずここで断っておかねばならないのは、後藤はゲイではないということだ。日本語で言うなれば同性愛者ではないということだ。羽佐間はどうだかしらないがしかし、後藤にはれっきとした、二次元ではなく三次元の彼女がおり、清く正しくお付き合いしているということだ。

「おい」
「…はい?」
「寄りかかるな」
「なんでですか。いいじゃないですか。同姓なんですし」
「いやえっとそうだけど、いやだめだろ、同姓なんだから」
「どうして。女の子同士ならいまどきちゅーくらいしてますよ」
「お前がさすいまどきがいつなのかわからないがしかし俺の世界観だと女の子同士がちゅーしてるのは二次元だけだ」
「後藤さんそういうのが好きなんですか?」
「そんなわけないだろう」

後藤はなんだか羽佐間にいいように言いくるめられているような気がしていけなかった。ほんとうにいけない。羽佐間はどうしてこううまく後藤のペースを乱してくるのか。心臓に埋め込まれたペースメーカーをうまいこと狂わせてくれる医療機器のような高度なメカニズムでもその体に埋め込んでいるのだろうか。そんなものを埋め込んでいるのであれば羽佐間は街を出歩いてはいけない。バスの優先席付近で携帯電話をいじくる学生や社会人よりずっと迷惑だ。

「いや俺には一応彼女がいるから」
「一応なんですか」
「いや、れっきとした彼女」
「別に、僕は男なんですから、いいじゃないですか」
「まぁそれもそうなんだけど」
「じゃあ、いいじゃないですか」

そうして羽佐間はまたぐりぐりとふわっふわの髪の毛を押し付けてくる。後藤はしかしこれはなんだかいけないような気がしてきた。まず浮気というものの定義から考えなければいけない。浮気はどうなんだ。正義というものがあるならば、その対義語は不義だ。正義は悪に屈しないという言葉がはやってしまったせいで舞台から叩きだされたが、正義の対義語は悪ではなく不義だ。悪の対義語は善なのだから当たり前だ。不義という言葉には男女が道にそむいた関係をむすぶことという意味もある。だいたい浮気がこれにあたるだろう。しかし今回は男女でないからして、そこが問題なのだ。後藤はうんうんとうなってから、結局、溜息だけ吐き出した。正義って、なんだ。

「なあ、正義」
「なんですか、後藤さん」
「浮気って、悪か」
「悪でしょうね」
「どこからが浮気だと思う」
「それは、浮気をした人、された人、どちらの視点からでしょう」
「…じゃあ、した人で」
「それは、ほんとうの相手に心苦しいところや後ろめたいところができたら、たとえ目を合わせただけでも、同じ場の空気を吸っただけでも浮気でしょうね」
「厳しいな」
「そうですか?」

羽佐間は、そう答えてから、あきらめたように頭を後藤の肩からどかした。けれど、今度は後藤の腕を捕まえて、うまいこと体重をずらして、ぼふりと後藤をソファに押し倒したのちにその腹の上にのっかった。

「後藤さん、後藤さんはたいてい、する方とされる方、そういうふうにしか考えない」
「おい、ちょっとこれはしゃれにならないんだけども」
「でもね、後藤さん、浮気には、させた方っていうのも、あるんですよ。なんでかって、浮気は最低三人いないと成立しないんですから」

羽佐間は正義と不義の間に悪が割って入ったと説明するように、そう言った。後藤と羽佐間だと年齢のせいか、それとも羽佐間がしっかり鍛えているせいか、羽佐間の方が細いくせに力がある。上に乗っかられてしまうとうまいこと押し返せない。といってもだいの男ふたりなのだ。後藤は殴る蹴る、もしくは忘却のかなたにある柔道や剣道の知識をうまいことつかってこの場を逃げおおせることはいくらでもできるだろう。それをしないのはびびっているからだ。うしろめたいからだ。不義を働いているからだ。羽佐間はそんなこと、後藤に突きつけてなんてやらないがしかし、後藤は勝手につきつけられた気分になっている。不義を働いている気がしてくるからいけない。あ、と思った。

「あ、いけないんだ」

羽佐間はそう言って、笑った。浮気させるほうは、悪じゃないのか。羽佐間の顔に書いてある。浮気させる方はきっと悪でも不義でもない。だって、人を好きになることは悪いことじゃあない。悪いことじゃないということは、その反対だ。いいことだ。悪の反対側で、たいていの人が想像してしまうのは、善ではなく、正義だ。人を好きになることは、いいことで、正義だ。その人にたまたま決まった相手がいるのだとしても、好きになることは悪じゃない。その好きな人が決まった相手でなく、誰かほかのひと、例えば羽佐間に少しでも心許してしまったなら、その決まった人がいる人物、例えば後藤が、不義を働いている。けれど、日本の民法的な何かだと、浮気は罪じゃない。不倫だけが、罪だ。こんな茶番には正義も悪も、不義だって存在しない。はじめっからなんにもきまっていないからだ。後藤には口約束でお付き合いをしている女性がたった一人だけいる。それだけで、羽佐間はなんにも悪いことをしていない。道徳的にいけないことをしているのは、後藤だけだ。それって、どうなんだ。後藤はなんにも、していないのに。

「いけないんだ」

羽佐間はまたそう言って、こつんと後藤の額と羽佐間の額をくっつけた。悪とか、不義とか、そういう不純物の含まれていない瞳で、じっと後藤をみつめながら。

正義って、なんだ。


END


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