いつからそんな笑いかたをするようになったのと聞けばもうずっと昔からだよと知らない顔で笑うばかりだ(はじめさんへ)





朝目が覚めた時、秋山はここ一か月ぶんくらいの記憶が抜け落ちていることに気が付いた。もしも秋山に昨日の記憶があればきっと、それが昨日のストレインがらみの事件のせいかもしれないということに気が付いたのだがしかし、そんなことは記憶にない秋山はデジタル時計のカレンダーを見て、愕然とするばかりだった。そんな様子にいち早く気づいたのは伏見ではなく弁財だ。なにせ秋山は伏見ではなく弁財と同室なのだ。ベッドからいつまでたっても起きだしてこない秋山に弁財が「どうしたんだ」と尋ねて、秋山が「いや、わからないんだ」と答えたところで弁財は迅速に動いてくれた。弁財には昨日の記憶があるらしかった。秋山はストレインになんらかのかたちで接触しており、それを昨日から危惧していたらしい。弁財はすぐに淡島に連絡をいれると、とにかく出勤して現状の報告をし、ついでに昨日捕縛したストレインの言うところを聞いたのちに経過観察という指示がくだった。秋山は一か月ぶんくらいの記憶だったらそんなに騒ぐことでもないのになぁと思わなくはない。もしも残念なことがあるとすればそれは最近見たであろうドラマの内容を覚えていないことくらいか。いや、仕事の記憶もないのであればそれは支障がある。しかしべつにここ一か月怒涛のような生活を送ったわけでもないのであればまぁそれくらい、死ぬとか負傷するとかそういうものに比べればきっとずっと軽いものだ。労災はおりるだろうか。

などと考えていた時期が俺にもありました、と秋山は溜息をつく。秋山が出勤したときにオフィスには同僚のほかにも伏見が早々と出勤していたので、秋山は上司に対する礼儀だろうと「おはようございます」と挨拶をした。すると伏見は「え」という顔になり、何かしらいぶかしんだあとに、「ああ」とだけ返してきた。秋山は首をかしげる。なにか報告の必要なものがあったかもしれない。そこで秋山は実は、と伏見にわかっているかぎりの状況を説明したのちに、「俺はなにか伏見さんに報告すべきことを昨日までに承っていましたか」と聞いた。これがほんとうに一か月ぶんとはいえ記憶喪失になった人間のできる行動だろうかと誰かが驚くくらいには完璧な受け答えだと秋山は思った。けれど伏見は不機嫌そうに舌打ちしてから、「あっそ」とだけ言った。秋山もこれ以上なにか話すべきことが見つからなかったので、すぐに「では、副長に報告がありますので」と退席した。

事態はそんなに深刻ではないようだった。しかしながらそのはた迷惑なストレインさんの話によると、奪われた秋山の記憶はどうあってももとには戻らないらしい。秋山は「そうか、もどらないのか」と少し寂しい気持ちになったがしかし、たかだか一か月ぶんの記憶だ。それも新入社員ならわからなくもないが、セプター4にはいってそれなりに経つ隊員のありきたりだろう一か月ぶんの記憶だ。生活面のことは弁財に聞くとして、仕事については記録がそこここに残っているだろうから、一日二日は苦労するかもしれないが、まぁ過ごした時間が消えたわけではないのだ。そこにあるけれど覚えていないだけなのだ。幸い秋山はスケジュール帳は事細かにつける方であったし、報告書についても丁寧に記載する方であった。その日秋山は通常の業務から外され、とにかく現状整理にいそしむようにとのお達しも出た。そこから秋山はとりあえず必要だろうという仕事面の進捗状況の確認をはじめた。といってもそんなに時間がかかるものではない。ここ一か月というのはとくに大きな事件があったわけでも、なにか大事があったわけでもなく、平穏でどちらかというと暇な日が多かったらしい。秋山は何かしら昨日までの報告が必要である場合に限って事情を説明し、各所に謝罪をした。謝罪といってもかたちだけのものだ。秋山には不注意があったかもしれないがしかし、秋山が悪いわけではない。覚えていないのだから仕方がない。秋山が懇切丁寧に説明し、自分の非を隠さずに謝罪をするとたいていの人が秋山を心配し、報告書や書類の件はいいよ、と言ってくれた。急を要する案件がなかったことも幸いして、秋山はその日一日で仕事面のもろもろにはかたをつけることができた。

けれど、仕事面のもろもろにかたをつけたところで、秋山は「もういいや」と思った。なんだか疲れた。知らない人間の尻拭いをしているような気がして、気がめいってしまった。ついでに、まったく記憶にないせいで、一か月ぶんのことを覚えるのがとても大変に感じられた。別に覚えていなくたっていいことに決まっているのに。秋山は部屋に戻るとベッドに倒れながら、なんとなくタンマツを起動させる。そうしてから、首を傾げなければいけなかった。着信履歴はともかく、発信履歴がおかしかった。そこには弁財でもなく、加茂でもなく、なんなら道明寺でも日高でも五島でも榎本でも布施でもなく、ずらっと伏見の名前が並んでいたからだ。はて、と秋山は考える。最近の自分は何か伏見と共同で重要な案件でも進めていたのだろうか。それにしたって伏見は今日秋山が報告をしたときに舌打ちこそしたが、そんなことはすこしも言ってくれなかった。それに仕事の整理をしていてもそういう記録は残っていなかったし、なにより重要なことであるならば宗像や淡島から何か助言があってもいいものだ。そんな疾風怒濤のような生活をしていたのであれば、と秋山は考えてから、なんとなく、発信履歴からそのまま、伏見に電話をかけてみた。もちろん、でない。秋山はまぁ生きていればそんな人に舌打ちばかりする人にこう電話をかけてみたくなる危篤な時期もあるだろうと思って、あきらめた。秋山は寝るときはタンマツの電源を落とす派だ。だから夜中に伏見から短い着信があっても気が付かなかった。タンマツの電源を落として寝ていたものだから。


翌日になって伏見からの着信に気づいた秋山は、着信履歴を見てから首を傾げなければいけなかった。着信履歴はたいてい弁財で埋まっていたからだ。その上に夜中の伏見からの着信が異様にのっかっている。まぁ職場で顔を合わせるだろうから、そのときに話でもすればいいかと思った。このとき一か月ぶんの記憶がある秋山であれば狂喜乱舞し伏見に変な笑顔であいさつをしているところなのだがしかし秋山には一か月ぶんの記憶がない。一昨日の夜中から付き合い始めた恋人の存在なんて、知らないのだ。なんならちょうど一か月前に、街中でちょうど顔を合わせた伏見と一緒になんとなくお茶をして、なんとなく一緒に買い物をして、なんとなく、なんとなくを積み重ねたのちに恋に落ちたことなんて、秋山は知らないのだ。


「おはようございます、伏見さん」
「…ああ」
「その、昨日の電話の件なのですが」
「ああ」
「発信履歴を確かめてみたところこのところ俺は伏見さんによくよく電話をかけていたようなのですが」
「ああ」
「どうしてなのか、俺にはわからなくて。なにか共同ですすめている案件等ございましたか」
「ない」
「そうですか。なら、よかったです」
「そうか」

職場について、秋山はまず伏見とそういう会話をした。そういう会話の中で伏見は秋山をどうして人間以下のゴミをみるような目で見ていた。秋山はきっとこれは自分がなにかしてしまったに違いないとわかってしまうのだがしかし記憶がないものだから仕方がない。とにかく謝罪だけはしようと思い、伏見に「何か俺の方で失礼がありましたならほんとうにすみません。一か月ぶんの記憶をストレインに奪われてしまったのは俺の落ち度と言うほかなく、これに関しては言い訳のしようもありません。何か俺にできることがありましたらなんなりと申し付けてくださればと思います。もちろんそれによって許されるとは思っておりませんが…」云々とながったらしくテンプレートに沿った謝罪をした。そうしたら伏見は珍しく溜息なんてものをついてから、薄く笑った。

「秋山」
「え、」
「もうどうでもいい」

その笑顔があんまりこう、なんというか、思いのほか言葉にできず、思いのほか胸に突き刺さるもので、秋山は思わず「いつからそんな笑い方するようになったんですか」と聞いてしまった。伏見は答えた。「ずっと昔からだよ。もう、ずっと」と、笑った。そんなに長い一か月があってたまるものか。秋山は焦ってしまう。伏見はなんだかおかしそうに笑っている。不覚にもすとんと恋に落ちてしまいそうなくらい、こわい笑顔だった。


END


はじめさんへ
リクエストありがとうございました!

title by 深爪

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