そろそろ明日の話をしようかな(ゆりさんへ)






中学のときの話だ。緑間は部活の前に、赤司から「部活が終わったら明日の練習について話があるからちょっと残ってもらっていいだろうか」と言われた。緑間はとくに今日、赤司の願いを断ってさっさと家へ帰らねばならない重要なのっぴきならない事情というものを思いつかなかったので、赤司に「ああ、かまわない」と言った。きっと二人ははじめからそういう関係だ。赤司がなんでもないことを求めれば、緑間はちょっと予定とか、都合とかそういうものに差しさわりのないようであれば、頷く。きっとそれだけだった。けれど緑間は、思春期のそういうあれこれに少しも脳味噌をやられていないかというと、そうでもない。さすがに中学生というのは性であったり、自尊心であったり、とにかくそういった内的欲求にとても従順で、欲求不満で、満たされない。自分という器がどれくらいの大きさをしているのかもわからないのに、いつだってその器は乾いていた。緑間はそうだった。赤司はわからない。

部活が終わって、汗をぬぐってから、緑間は部室に残っていた。赤司は顧問に呼ばれて職員室だ。赤司はいろんなひとに必要とされ、存在を認められ、赤司がいなくてはうまくいかないようになっている。緑間だって、青峰だって、黄瀬だって、紫原だって、きっとそうだった。そうであってほしいと願っている。緑間は、ぐるぐると考えてから、練習が終わったあとだというのに、余裕だな、と思った。赤司はこういう余裕みたいなものをみんなから奪ってしまいたいのかもしれない。練習が終わったあとにみんなぐったりとして、帰ることだけ考えてしまうような、そういうメニューに組みなおしたいのかもしれない。だから、こうして緑間は残されている。ああたしかにそうかもしれないと、緑間は思った。最近練習に慣れてしまっていた。慣れてしまう練習には意味がない。それはアップには最適だけれど、練習にはならないからだ。緑間はなんとなく赤司が来る前に、今の部内の問題やら課題やらを頭の中から掘り出しておこうと思った。パスワークが乱れがちかもしれないし、オフェンスリバウンドもやや弱いかもしれなかった。オフェンスリバウンドが弱いのは基本的に打てば決まるシューターがいるからだ。なかなかにはずれないのだから試合中にオフェンスリバウンドの位置に誰も入っていなかったとしてもまぁいいだろうとは思うのだがしかしよくないと言えばよくない。あとはファウルの数や、オフェンスとディフェンスの切り替えなどなど、問題や課題はほじくり返そうと思えばいくらでも出てきた。まだ中学生だ。まだまだこれからなのだ。できることの方が、できないことよりもずっと多い。

緑間が顎に指をあてながら考えごとをしていたら、部室のドアがガラリとあけられた。赤司だろうと思ってみたら、赤司だった。赤司はちっとも疲れた顔なんかしていないで、「遅くなってしまったね。帰りながら話そう」と言った。緑間はバッグを持った。

「ずいぶん話し込んでいたようだが、なんの話だったのだよ」
「うん、目立って大事なことはなかったのだけれど、今後の方針みたいなものかな。それから、メニューを組みなおす必要があったから、その相談も」
「ああ、そうか」
「予想していたみたいな口ぶりだな」
「今日の練習を見ていて、終えてみて、まだ余裕があった。慣れてしまっては練習ではなくなるだろう」
「そうだな。俺もそう考えていた」

緑間はそうなんでもないような顔で話していながら、内心は赤面していた。赤司は緑間よりも確実にはやくそのことについて予想していたし、わかっていた。べつに恥じることはないのだけれど、それは口惜しさに似た面持をして緑間の腹の中にあった。帰り道はもうずいぶんと暗くなっている。街頭だけが道しるべだ。赤司はそんな街頭がなくてもきっとどう歩けばいいのか、どの道を選べばいいのか、わかっている。

「そうだ、緑間、俺は少し気になることがある」
「なんだ」
「お前は俺がなんでも知っていると思っているだろう」
「…まぁ」
「そうか。たしかに俺はいろいろと知っていることは多いけれど、知らないことのほうがずっと多いんだよ」
「…ふつうは、そうだな」
「そうだ」

そういって赤司は、緑間をするりと見上げた。たとえば、と赤司は少し考えて、「お前のことも、あまりよくは知らないかもしれない」と言った。それは少しだけさみしかったけれど、緑間だって、赤司のことはよく知らない。たった二年と少しだけのぶんのうち、さらに部活動のぶん程度しか、赤司のことを知らない。それでわかった気になるのは傲慢どころの話ではないと、緑間はさすがにわかっていた。

「なぁ、緑間」
「なんだ」
「キスの仕方はわかるか」

緑間はどうして今このタイミングでそんな甘いような酸っぱいようなことを赤司が聞くのか、わからなかった。緑間はキスというものの概念をひとしきり思い出してみてから、「仕方だけなら」と答えた。そこに多少の見栄がはいっていなかったと言えばウソになる。赤司は「そうか」と言った。

「俺はわからないから、教えてくれるか」
「…どういうふうに」
「口頭での説明でもいいし、実践での説明でも、もちろんいい」
「いや、その、俺も経験自体はないから」
「知ってるさ、それくらい」
「なぜ知っている」
「どうしてだろうな。わかってしまうものというのは、いくらでもあるからな」

緑間はちょっと考えてみてから、この要求はすこし都合が悪いかもしれないと思った。だから、「見栄を張った。じつは俺も知らないのだよ」と答えた。そうしたら赤司は「そうか」と言った。道はどこまでも続いているようで、二人の分かれ道はすぐそこに迫ってしまっていた。だから緑間は、「そろそろ明日の話をしないか」と言った。そうしたら、赤司も「そうだね、そろそろ明日の話をしようかな」と言った。きっとこの先も、これを繰り返して、二人は大人になっていく。


END


ゆりさんへ
リクエストありがとうございました!

title by 深爪

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