登場人物が少ない生活






主役という言葉が秋山は苦手だった。どれくらい苦手かというと、ネギ嫌いの人がラーメンの上に必ず乗っかっているネギを嫌悪する程度には嫌いだった。秋山はラーメンがわりかし好きだ。別にネギが嫌いかというとそうではないが。話の根幹がずれてしまうがしかし、そういう必ずあるがしかしあったらあったでかなり疎ましい部類の言葉に「主役」という言葉がある。なんだか恰好のいい装丁で販売されている新書で「人は誰しもスーパーヒーロー」という本があったら「ぎゃっ」と思うくらいには苦手だ。学芸会の演劇では絶対に主役なんてものにはなりたくなかったし、「うちの子が主役じゃないっ」と騒ぎ立てる面倒な俗に言うモンスターペアレント様はちょっと理解できない。秋山はセリフもなんにもない木とか石とかそういう役をやっていたいのだ。なんなら舞台に上がらずに証明係だとか大道具、小道具、そういった演出の方を担当させていただきたい。

秋山がここまで主役というものを嫌うにはそれ相応の理由がある、というわけでは決してない。ただたんに目立つことに自分は向いていないと思っているだけだった。思い込みというのは恐ろしい。ときに人間というものは思い込みだけで死んでしまうことがあるくらいには恐ろしい。秋山はいつか誰かに、それは名前だって顔だってあやふやでどうしようもないくらいおぼろげな記憶なのだけれど、「あなたって、地味ね。主役になんてなれそうにないもの」と言われた記憶があるようなないようなそんな気がする。それはあるいは人類ではないかもしれない。たとえば秋山に反応してくれなかった不感症かこのやろうとなじりたくなる感度の自動ドアだとか、前の人にはティッシュを配っていたのに秋山だけスルーした販売促進活動に熱心なアルバイターだとかそういう部類のなにか、もしくは神かもしれない。いろんなものが秋山に「おまえはほんとうに地味な人間だな」とささやきかけてくる。もちろんそんなことはないのだけれど。本当にそんなことが聞こえてしまったならばそれは幻聴であり病気である。錯乱してみたあかつきにはきっと黄色い救急車が呼ばれてしまう部類のものだ。

しかし世の中にはいるのだ、確実に主役をまかされてしまうようなポテンシャルをもった無鉄砲馬鹿野郎様が。たとえばでもなく日高暁その人だ。日高は秋山に比べるとなんにもできない。なんにもできないのにどうしてかいつも人の輪の中心にいる。そして漫画の主人公にしか起きない不思議な出来事がよくよく降りかかる。それはたいてい不幸のかたちをしていたけれど、ラッキースケベもたまに起こる。こないだは淡島の着替えに出くわして顔面を変形させていた。とにかく日高はきっと主役だ。ヒーローだ。自分の中ではだれだって自分が主人公だがしかし、それは自分の中だけにとどまる。他人を巻き込んだストーリーの主役だなんて、そんなのは神様が気まぐれで作り上げ、気まぐれに世にはなって、気まぐれに鼻をほじりながらでも目をかけてくれるごく少数の人間だけだ。それがわかってしまっていて、どうしてたった30分、映画なら120分程度の世界で主役になろうとするのだろう。秋山にはわからない。ラーメンならどうせ人間に食べられてしまうのに主役みたいな顔をして底に居座っている麺くらい理解できない。いやそれは理解できる。ラーメンはおいしい。話がずれる。秋山は主役をはるようなだいそれた人間がとにかく嫌いだ。日高も嫌いだ。しかし日高はなぜか秋山に「好きです」と言ってきた。日高はBL漫画の主役になりたいらしかった。

秋山はもちろん丁重にそれを断った。断ったがしかし主人公日高はあきらめてくれなかった。なにかにつけて秋山にかかわるようになった。今の秋山のポジションはどうしてかヒロインになってしまった。ヒーロー日高とヒロイン秋山の楽しい物語が日高の中では繰り広げられているらしい。たまったものではない。そこらの弁財のほうがまだヒロインに向いている。見た目のわりに声が低いヒロインだ。いいじゃないか、ギャップがあって。秋山は道端の石とか樹木の役をやっていたいのだ。なのに日高がコマンドをミスったのかなんなのかしらないが道端の木とか石に話しかけ始めた。危篤だ。日高はちょっと頭がおかしい。秋山はいつしか日高を宇宙人を見るような眼でみるようになった。すると日高はちょっと悲しそうな顔になった。さびしそうな捨てられた子犬、もとい大型犬の顔で秋山を見た。ちょっと胸が痛んだ。


「秋山さん、誕生日おめでとうございます」

10月20日に日付が変わった瞬間に、なぜかちょうど秋山と居合わせていた日高がおもむろにそう言った。よくよく考えれば一番におめでとうと言いたいがために帰りたがる秋山をひっぱって腰にしがみついて、こんな真夜中まで連れまわしていたらしかった。俗に言うデートというものをしていたらしかった、日高の中では。秋山は犬の散歩のような気分だったのだが。

「え、あ、うん、ありがとう」

秋山がそっけない返事を返すと、日高は「誕生日を喜ばないんですか?」と顔面に油性マジックで書いたがように文字を貼り付けながら首をかしげた。秋山はもう自分の年がひとつ増えたことに喜びを感じるような年ではなかった。それに誕生日を特別に祝われるような人気もなかった。毎年弁財がなんとなく思い出したように「誕生日おめでとう」と言ってささやかなプレゼントを差し出してくるくらいだ。そんなものだ、一般人の誕生日なんて。

「今日は秋山さんが主役ですよ」
「ぎゃっ」
「えっなんですかびっくりしたっ」
「いや俺主役とかそういう言葉が嫌いなんだほんとうに」
「え、すみません」
「まったくだ。それから俺ははやく家に帰りたい。もう帰ってもいいだろうか」

秋山がそんなそっけないことを言うと日高はしゅんとした。「やっぱり迷惑でしたか」とぽそぽそつぶやいてくる。

「いや迷惑とまでは言わないがしかし理解ができそうにない」
「なんでですか」
「いや誕生日とか祝うのそんなに大事かなって。俺はむしろ誕生日だからって普段仲良くもないのに『誕生日おめでとう』って声かけてきたりメールしてきたりする人が苦手だから」
「えっ俺と秋山さんって仲良くないんですかっ」
「いやお前とは言っていない」
「えっじゃあ仲良しなんですね」
「どうしてそうなった」
「えっえっじゃあ…」
「いやいい、やめよう、うん」

日高はちょっと空気が読めないのか、首をひねってから、「まあとにかくおめでとうございます。主役って言葉嫌いって言ってたんですがまぁ、今日は俺の中では秋山さんな一日ですよ、主役は秋山さんですよ」とにかにか笑った。まぶしい。白い歯がきらりと光るくらいにはきっとまぶしい。秋山はまぁそんな狭い範囲の主役ならまぁいいかと思わなくはなかった。大変ほだされている。しかし「ん、まてよ」と思った。日高の中で秋山が主役、つまりはヒーローということはヒロインは誰だ。日高か。いやだそんな筋肉むきむきなヒロインは。

「あ、すんません、最後にレンタルビデオ的なものをレンタルしてる店に寄ってもいいですか。返し忘れてたDVDあるんで」
「…俺ついていかないどだめか?」
「いいじゃないですか、道すがらなんだから」
「まぁいいけど」

秋山は最近寒くなってきたからさっさと帰りたいのだけれど、とちょっとものぐさなことばかり思っていた。日高はなんにも怖いことがないように秋山にぽいぽい自分の感情を投げつけて、押し付けて、笑っている。まるでその気持ちに際限なんてありませんよ、とでも言わんばかりに。きっと秋山が受け取りつづけて、投げつけられ続けて、その気持ちの山で見えなくなってしまったあたりに日高はちょっと怖くなるんだろう。だって秋山はなんにも返さない。ただ受け取る一方だ。ただただ、やり過ごそうとしている。道端の石がそうするように。

レンタルビデオショップは深夜でもあたりまえに開いていた。文明は夜をどんどん狭めている。眠らない町も存在する。秋山はそろそろ眠りたい時間だったので、まぶしいその店内をぼんやりと眺めた。日高は返却ボックスにもってきていたらしいDVDをそそくさと返すと、なぜかショップの棚を物色しはじめた。秋山はうんざりした顔でそれを見ている。秋山と日高はそんなに年齢的に開きがあるかというと、そうでもない。そうでもないのに、どうしてか日高はとても若い行動をする。秋山はと言えば中学生のあたりから大人びているだの、子供らしくないだの、じじくさいと言われていた。日高はよく言えば少年の心を忘れていないし、悪く言えば餓鬼くさい。

「あ、これこないだまで映画やってましたね。もうDVDになったんですね」
「んー…そうだな」
「見たかったんですよねーこれ借りようかなー」

日高はレンタルDVDを返しにきたら次のDVDが気になってついでにほかのも借りてしまうというレンタルショップの魔のスパイラルにうまいことからめとられているらしかった。秋山はべつに映画というものにさほど興味がなかった。映画が公開されれば、その映画を観るよりも原作の小説を読む部類の人間だ。DVDもあまり見ない。だから秋山がDVDの棚に目をうつすとそこには「話題作」だとか「新作」だとか「準新作」だとか表示されていたがしかし、秋山が知っている作品は少なかった。テレビでCMでもやっていないかぎり秋山は映画のタイトルだって目にしない。

「あ、このDVD面白いんですよ」
「そうか…」
「主人公かっこいいですし」
「ふーん」
「あ、あとこれとかっ」
「うん」
「えっと、秋山さん眠いですか」
「…まぁ、さすがに」
「ですよね。すみません、誕生日なのにこんなに連れまわして」

日高はしゅんと大きなガタイを一回り小さくして、とぼとぼと手に持っていたDVDだけレジに持って行った。日高が会計をすませている間に秋山はぼんやりと、照明に照らされた山のようなDVDを眺めた。この世界にはこんなにたくさん、いろんな物語があるのだなぁと、おもった。この店にあるぶんだって、ほんの一握りだけだ。きっと、ぜんぶぜんぶは数えられない。その数えきれないストーリーの一つずつに必ずといっていいほど主人公は存在して、必ずと言っていいほどメインキャストは存在する。星の数ほどの主人公と、星の数ほどのヒロインと、星の数ほどの悪役がいる。そこらへんの石ころのように、たくさんいるのだと思った。そうしてから、あ、ほだされてる、と秋山はぼんやり思った。日高からばんばん押し付けられるなんだかぬくい気持ちに埋もれながら、ちょっとだけさびしいと思った。

会計を済ませた日高は、ぼんやりと棚を見つめていた秋山の服のすそをちょいちょいとひっぱって、「かえりましょ」と言った。顔面にマッキーで「まだ一緒にいたい」と書いてある。もちろん比喩表現だ。若いということは愚かなことだ。秋山と一緒にいたって日高にはなんにもいいことがない。秋山は日高になんにもあげようとしない。きっと全部全部取り上げてしまう。秋山は「ああ」と答えてから、そろりと日高の手を握った。


END


秋山誕生日おめでとっ

title by 深爪

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