世の中そんなに甘くない






羽佐間を見ていると馬鹿馬鹿しくなるがしかし、世の中大変腐っているのだな、と思うことがある。不思議だ。世の中には人様に迷惑をかける輩が大変たくさん存在する。けれどたいていの人はそれを見なかったことにして、迷惑をかけられたのが自分でないなら、なんとなくこういう人がいた、ということをTwitterなりmixiなり、適当なSNSにつぶやき、もしくは友達に愚痴り、自分に迷惑がかかったとしても、大体の場合は迷惑そうな顔を作ってから先に述べた行動をするばかりだ。この世界には正義の味方なんてものは存在しないし、モンスターや怪物が出てこないかぎりは必要とされない。平和だ。大半の人が平和だと思っている。しかしこの世界のどこかで、今も戦争は起こっているし、紛争なんて日常茶飯事だし、肌の色の差別は消えないし、理不尽な理由で命を奪われる人は後をたたない。この世界はきっと、平和じゃない。でも、正義の味方は必要ない。不思議だ。後藤はもういい大人だったので、まぁそんな腐った世の中の甘かったり酸っぱかったりどろりと苦いところをだいたい経験しているし、知識として知っている。だからしょうがないと妥協する。妥協して、妥協を繰り返して、そうして大人になった。社会的に見て、24歳公務員はもういい大人だ。だいたいの人が大人になってしまっている。けれど、羽佐間を見ていると、なんだか自分がみっともない大人に見えてきていけなかった。別に全裸で隘路にうずくまっていた羽佐間をではない。正しいことを正しいと訴えかけ、間違っていることをちゃんと間違っていると他人に大きな声で伝えることができる羽佐間の方だ。後藤は溜息をつく。世の中のなんだか甘いような酸っぱいような、苦いような混沌としたにおいのする溜息だ。

後藤はとりあえず、頭の腐っていたらしい学生様にぼこぼこにされた羽佐間をどうにかあの御大層なマンションに送り届けなくてはいけなかった。たいてい特撮ヒーローもののスーツには防御機能がついている。モンスターと戦うのだからそれくらい都合がよくなくては身が持たない。そういう便利機能がついていたら羽佐間も少しは楽だったがしかし羽佐間の似非ヒーロースーツはちょっと手触りのいいそれっぽいだけの布きれだった。そのため一般人にぼこぼこにされた羽佐間は一人で立ち上がることができずに肩を貸してやっても生まれたての小鹿のようにかわいらしく膝を笑わせてしまってる。救急車でも呼んでやろうかと思ったがしかし、羽佐間はこのまま放っておいても餓死するまでは死にそうになかったので、夜間のカツカツなところに割りいるのは大変気が引けた。仕方ないから自転車の後ろにでもくくりつけて運んでやらねばなるまい。

「二人乗りは違法です」

虫の息のくせにそういうことばっかりはのたまうので仕方がなく後藤は羽佐間に肩を貸し続けることとなった。しかし今は曲りなりにも勤務時間中だ。そして自転車を少しの間とはいえ放置しても大丈夫なものか。しかし羽佐間は送り届けなければいけない。後藤はしばし考えなければいけなかったがしかし、答えはいくつもあるように見えて一つだ。結局後藤は念入りに自転車の鍵を確認し、上司に連絡を入れて羽佐間をマンションまで送り届けた。こういうとき物わかりのいい上司で助かった。日本が平和で助かった。

後藤は羽佐間をマンションに送り届け、とりあえず救急箱はあるか、と尋ねた。すると羽佐間は「はい」と答えたので、「そうか」と踵をかえす。なら大丈夫だな、という意味を込めたのだがしかしどうして背中に視線が突き刺さる。音を立てながら振り返ると捨てられた子犬、もとい大型犬のような眼でこちらをみつめるヒーロースーツの男がいた。大変面倒だとは思いながらもこういう時にこういう大型犬を見捨てることができないのが後藤だった。

「とりあえず、着替えろ」


着替えた羽佐間は一般人だった。いや先ほどまでの羽佐間も一般人だ。ヒーロースーツを着たなんだか怪しい一般人がただの一般人に進化しただけだ。その普通の一般人の目に見えるところの傷に手あたり次第消毒液を吹きかける。羽佐間は痛そうに眉根を寄せたがしかしこればっかりはしょうがない。

「後藤さんはすごいですね」
「なにが?」
「だって、僕が全然かなわなかった人たちが、後藤さんを見たら一目散に逃げていくんですもん」
「そりゃ警官だからな」
「正義の味方みたいですね」

そうでもないさ、という言葉を後藤はむしゃむしゃと噛んで砕いて飲み込んだ。警察は正義の味方じゃない。それは羽佐間だって言っていたじゃないか。警察はだいたい正義の味方だがしかし、だいたい法律の味方だ。法律はときに正義じゃないことがある。世の中の甘いところや酸っぱいところや苦いとことをそれなりに飲み下してきた後藤はそれがちゃんとわかっていたから言葉につまる。ああ目の前の子供じみた男もいつかはこういう味を知ってしまうのだろうか、そうして、いつか、ポイ捨てする人を見て見ぬふりした挙句に車にひかれてぺしゃんこになったゴミも、見て見ぬふりをするのだろうか。

「また手も出さずにぼこぼこにされて」
「はい。だって、いくら悪い人とはいえ、一般人に手をだしたらそれは正義の味方じゃないですから」
「まぁ、お前が手をだしてたらただの喧嘩だからな。一般人と変質者の。そしたら喧嘩両成敗だ」
「そうですね。でも、僕は手はだしません。言葉でわかってもらうことが重要なんです」
「お前がぼこぼこになることより」
「そう、僕がぼこぼこになることより」

羽佐間はどこか満足そうに、それこそ正義を守り通した、というような顔で笑ってみせた。後藤は、羽佐間はきっと子供のときからずっと同じ顔で笑っているのだろうなぁと思った。その顔がひどく子供じみていたからだ。

大体の傷の手当が終わってから、どこかまだ痛いところはあるか、と後藤は首を傾げた。羽佐間をソファから立ち上がろうとして、しかし「いた、」と腰をかがめた。だいたい腹の少し上くらいを腕で抱えている。肋骨だろうか、と後藤は羽佐間のシャツをベロンとまくり上げる。すると肋骨近辺がうっすらと青くなっていた。触ってみると羽佐間が「あっいたっいっ」と悲鳴を上げる。折れてはいないようだがしかしヒビくらいははいっているかもしれない。

「明日病院行けよ」
「はい…」
「あ、あと被害届出すか?一応、笑えるような怪我じゃねーんだし」
「いえ、出しません」
「正義の味方がそんなことしたら恰好がつかないから」
「そうです」

後藤はいつか肋骨を負傷したことがある。あの時はつらかった。起き上がるにしろ立ち上がるにしろ深く息をするにしろ、なんなら歩く振動でも肋骨がギシギシと痛む。とにかく四六時中、動くたびに痛い。息をするのもつらい。羽佐間も少し苦しそうに息をしていた。痛み止めがないと今晩はつらいだろう。

羽佐間がそんな思いまでして、どうしてあんな頭の腐っている人間に正義のいっぱいつまった、きらきらした、それこそまぶしい言葉を浴びせかけねばいけないのだろう。まっとうに学校に通い、真面目に勉強している学生よりも、ああやって夜間にたむろして、人様に迷惑をかける輩にばかり、大人は時間をかけなければいけない。そのひん曲がった根性をアイロンがけするようにまっすぐにのばしてやらなければいけない。だいたいの大人はそんなことはさっさとあきらめて、真面目な生徒の方に手をかける。努力している方が報われるべきだ。けれど、しかし、そうしたら一度折れ曲がってしまった心の子供たちは誰が助けるのだろう。正義の味方だろうか。しかしこの世界には変質者以外に正義の味方は存在しない。世知辛いものだ。そういう世の中の酸っぱくて、苦い、猥雑としたところを飲み下すのが大人だ。羽佐間もいつか、と後藤が思ったあたりで、ばちりと羽佐間と目が合った。きらきらと正義の味方のような曇りのない眼だ。もの●け姫でいうなら某アシタカの目をしている。

「そんなきれいな眼で見ないでくれ」
「え?」
「なんだか自分をたいそう汚れた大人のように感じる」
「そんなことないじゃないですか。だって、カレーうどんとはいえ正義の味方っぽいようなそれ風味のご職業じゃないですか」

ちがうんだ、ちがうんだよ、と後藤は言いたかった。警察は正義の味方風味でもなんでもない。ただ法律の味方だ。法律はときに正義じゃない。悪を裁けない。そんなものが正義の味方なのだろうか。後藤はたいていのちょっと悪い人は見て見ぬふりをする方の人間だ。ポイ捨てくらいじゃ法に触れないから逮捕もしない。今だって傷害罪を働いた頭の腐った学生様を逮捕することだってできやしない。そんな腐った大人なんだ。吐き気がする。

「…そうだな、お前も大人になったらわかるだろ」
「そうですか?えっと、大人、というとあと一年くらいですか」
「え」
「あれ、僕まだ未成年なんですよ。今19歳です」
「そうだっけ」
「そうです」

そういえばプロフィールにそういうことが書いてあったようななかったような。後藤はいまいち思い出せないでいるがしかしそうか、二十歳になればこの国ではだいたいが大人とみなされるのか、とちょっと不思議な気分になった。人にどんなに迷惑をかけていても、法律に触れない範囲の悪いことをしていても、それは大人とみなされる。逆に、どんなにまっとうに生きていても、自立していても、二十歳に満たなければ未成年、つまりは子供として扱われるのがこの国だ。不思議な法律だ。後藤はしかし、そんな不思議な法律の味方をしている。不思議なものだ。

「でも、後藤さん」
「んー?」
「僕はそんなに子供じゃあないんです」
「どういうことだ」
「手っ取り早く大人になれる方法ってなんだか知ってますか」
「…成人することじゃないのか」
「まぁそれは一番簡単なんですが時間がかかるじゃないですか。もっと猥雑としていて、もっとふしだらで、もっと簡単で、もっと甘いことですよ」

後藤はひとつだけ思い当たるふしがあったので、なんとなく気まずくなり、しかしそれは大人なのだろうかと首をひねった。そうしてから、なんだか羽佐間がきゅうに大人びて見えたきがして、目を瞬いた。

「それはどうなんだ」
「ええ、僕は正義の味方なのでちゃんと合意の上で、避妊もして、丁寧に大人になりました」
「生々しいこと言うなよ」
「だって、後藤さんだって、そうして大人になったんでしょう。甘いような酸っぱいような苦いような猥雑なものを飲み下して」

それは手前というより相手側の役割なんじゃないかと思ったあたりで後藤はあ、これはいけないパターンだ、と思った。後藤はそこまで鈍い方じゃない。鈍い方は鈍い方だがしかしここまで直球ストレートで下ネタを振られたらさすがに気が付くことがいくつかあるし、こんな敵地(羽佐間は別に敵というわけではないが)でそんな話を持ち掛けられるのは大体お決まりのパターンに相手が持ち込もうとしているというシグナルだ。

「よし、怪我の手当も終わったし俺は仕事に戻る。まだ勤務時間中だからな」
「あ、はい。ありがとうございました。お手数おかけして申し訳ありません」
「え、あ、いや、まぁ、今度からちゃんと気をつけろよ」

あっさりと羽佐間が引き下がったので、後藤はなんだか面食らった気持ちになった。いや別になにかいかがわしいことを期待したわけではもちろんない。相手は男だし、自分も男だ。何か起こるにしたってアブノーマルすぎやしないか。まずもって何か起こることの方が難しい。後藤は少し考えすぎたらしいと深く溜息をついて、さっさと羽佐間のマンションを出ようとした。

「あ、そうだ、後藤さん」
「ん?」
「明日の夜暇ですか」
「まぁ、とくには、なにもないけど」
「じゃあ、またここにきてください。一緒に見たい映画があるんです」
「またか。俺だって暇じゃないんだぞ」
「だめですか?」
「…まぁ、かまわないけれど…」
「じゃあ、また明日、ここでお待ちしてます」
「はぁ…じゃあ…」

後藤はなんとなく振り返って、羽佐間を見てみた。羽佐間はアシタカのように曇りなき眼で後藤を見返してくる。後藤はちょっと首をひねってから、しかしまぁいいか、と踵を返した。人は妥協を繰り返して大人になっていく。ちょっと妥協したくらいでなにか大事なものを失ってしまうかというと、きっとそんなことはないのだ。きっと。


「待ってますよ、後藤さん」


END



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