きっと君は星の欠片を食べてしまったんだね





この世界にはそれこそ数え切れないほどの言葉があって、それは今こうしているあいだにもどんどん増えている。どうしようもなくたくさんの言葉の中から、みんながみんな、自分に必要なぶんだけ覚えて、そこからに選び取って、つなぎ合わせて、そうして、自分の中にある感情や、情景や、記憶を、誰かに伝えようと躍起になっているのだ。けれどどうして、それはどんなに言葉を尽くしても、つなぎ合わせても、貼り合わせても、どうしたって、完璧には伝わらない。誰かの頭の中にあるものと、自分の頭の中にあるものは、全く、違うものなのだ。そう思うと、ほんとうに、言葉というものは不便だと、弁財は思う。それは、しゃべるのが億劫になるほど。

「弁財さん」
「日高」
「俺昨日めずらしく仕事でミスしなかったんです」

弁財はえ、と目を見開いてから、窓の外を眺めてみた。それはどこまでも晴れ渡っていて、雨も霰も槍も降りそうにはなかった。だから、真面目な顔になって日高に向き直る。

「日高、嘘はつくもんじゃない」
「ひどい!ちょ、今外の天気確認してましたよね!俺がミスしなかったら大雨か大雪になるとでも思ったんでしょう」
「いや、槍くらいは降るかな、と」
「もっとひどい!」

日高はべらべらとよくしゃべる。舌を噛まないのが不思議なくらい早口になることもあれば、ぐっと言葉につまって、あーだとかうーしか言わなくなることもある。それに比べて弁財の口はそんなに回らなかった。弁財はいつも、日高の口元を見て、なにか色のついたものがこぼれ落ちているようだ、と思うときがあった。日高が弁財の知っている言葉をつなぎ合わせると、弁財がつなぎ合わせるよりずっと色彩豊かで、表情豊かで、いまにも踊りだしてしまいそうに、楽しい装いになる。それが耳に心地よくて、ずっと聞いていたいような、ずっと、その色を楽しんでいたいような気になるのだ。

「弁財さん」
「なんだ」
「弁財さん、今晩とか暇ですか」
「ああ、まぁ」
「なんか、今日エノが遅番で部屋にいないんです。俺、暇なんで、晩御飯どっかに食べに行きませんか。最近俺、料理がめちゃくちゃうまい居酒屋みつけて。なんか、しゃれてるわけじゃないんですけど、おふくろの味的な。見た目も気取ってなくて、店の雰囲気とかもくだけたかんじで、すごく好きなんです」
「そうか…まぁ、いいんじゃないか」
「じゃあ、俺、仕事終わらせてきます!定時には上がれるように頑張るんで!」
「ああ」

弁財の口から出てくる言葉はどうにも、鈍色をしているようだった。抑揚に欠けて、華やかさもなく、淡々と、事実だけを伝えるための、それだった。どんなに長く言葉をつなげても、どうしたって日高の前ではかたくなってしまう。だから必要なぶんだけ選び取って、なるだけ、短くすませる。日高に自分がどうしようもなく面白みのない人間だと思われるのがいやだったのだ。あのばしばしと流星に打たれているようなキラキラした言葉の断片を口からこぼす日高の前で、弁財の言葉はあまりに輝きがなかった。きっと同じだけの言葉を、むしろ弁財のほうがずっと多くの言葉を知っているのに、それはどうして、使い古された言葉だった。


日高が弁財を連れて行ったのは、少し古ぼけた佇まいをした居酒屋だった。大通りから少しはいった隘路にあって、店内は少し閑散とさえしているようだった。小上がりに通されて、薄っぺらい座布団に座ると、お通しではなくつきだしが出てきて、弁財は少し驚いてしまった。

「なんか、店長が関西出身らしいっすよ」
「ああ、それで…」
「なんか、珍しくていいですよね」
「そうだな」

とりあえず生といくつか食べ物を注文した。生ビールだけはさっさと出されて、ふたりだけだったけれど、習慣のように、乾杯をした。ありきたりな味のビールが、喉をとおりすぎる。弁財はそれにもあまり反応はしないのだけれど、日高は大げさに「うまい」と言って、それを飲んだ。なんだか眩しかった。日高の見る世界はどんなにかキラキラ輝いているのだろうと、そう思う。弁財の見る世界と、どう違っているのだろう。どうすれば、そんなに目まぐるしく表情を、仕草を、言葉の色を変えられるのだろう。

「そういえばなんだかんだ弁財さんとふたりってめずらしいですよね。普段はわりと秋山さんとか、道明寺さんとか、あとはエノとかゴッティーとか誘いますもんね」
「いや、お前が誘っていると思っていたから」
「え、あ、そっか。そうですよね。なんか気が回ってなくてすんません。でもここ、あんまり大人数でくる雰囲気じゃなかったんで。たまにはいいかなって」
「そうだな」
「俺、わりと弁財さんと話してるの好きなんですよね。ほら、俺ってべらべらべらべらうるさいじゃないですか。うるさい同士だとぎゃーぎゃーになっちゃうし、でもしゃべらなすぎる人でも俺ばっかになっちゃって。弁財さんすごく話聴いてくれるんで、話してて楽しいです。それに弁財さんの言葉ってなんかすごく…なんていうか、うまいですよね。少しのことなのに、ちゃんと俺の話聴いてくれてるんだなってわかるんですもん。そういうの、すごく羨ましいです」

そう言われて、弁財は思わず「え」と日高をみつめた。日高は屈託なく笑っていて、もう目を眇めなければいけないほどだった。

「だってだって、俺語彙とか少なすぎていっつもやたらめったら喋んないと相手に伝わんないんですよ。まぁしゃべるの好きだからいいんすけど。だからなんていうか一言二言で相手の気を引ける?そういう話し方の人に憧れるんです。弁財さんみたいな」
「…おい、まだビール半分も飲んでないのに、お前、酔ってるのか?」
「ほら、そういうの!そういうのが好きなんです」
「…俺は、どちらかというとお前のほうが、羨ましいけどな」
「え」
「お前の、そういう口から虹やら星やらでも吐き出しているんじゃないかっていうほど、キラキラした言葉があとからあとから出てくるような、そんな喋り方が好きだ」
「え、あ、はは、なんか、照れますね」
「お互い様だろう」

なんだか気恥ずかしい会話をしていたら、頼んでいた料理が届いた。テーブルに並べられたそれらはたしかに大通りでやっていくには華やかさが足りなかった。けれど箸をつけてみると、どうにも深い味がして、どれもこれもお腹の中が暖かくなるようだった。

「うまいな、これ」
「ですよね!誰かに教えるのもったいなくて!でも誰かときたかったんです!」
「…それは、俺でよかったのか?」
「なにいってんすか。弁財さんだから誘ったんですよ」

日高の口からは本当に、ぽろぽろぽろぽろと星の欠片が零れ落ちる。弁財は、必死に頭を巡らして、そうして、今のこのどうしようもなく穏やかで、満ち足りていて、そうして、温かな、それこそこの料理のような感情を、どう言葉にすればいいのか、考えた。けれど、考えても考えても、その答えは見つからないのだ。今まで生きてきた中で覚えて、利用して、応用してきた言葉も、どうにも使い勝手が悪かった。もしかしたら新しい言語を考えないと、この感情は言葉にできないかもしれない。むしろ、言葉なんて野暮ったいものに変換してしまったら、せっかく、自分の中できらきらと小さく光るこの感情が、ぶすくれた鋼のようになってしまいそうで、もったいなかった。ああこんなことも、あるのだなぁと。

「なに笑ってるんですか?」
「いや、なんでもない。ただ、ほんとうに、おいしいなぁと思って」
「はは、ですよね」

言葉というものは、本当に不便だ。どうしようもなく不便なくせに、どこか温かみをもっているものだから、憎めない。


END

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