あなたにはなにもない(ひすいさん)






まだずっと、凍えるように寒かった。紫原はまだ雪すら残ってるような校門の近くに立っている。赤司を待っていた。紫原は上着を着て、マフラーを巻いて、手袋までして、立っていた。この学校は数日前に卒業してしまっていた。卒業式も終わって、だいたいの人がもうこの学校にいなくなっている。在校生の人数をごっそりと減らした学校は、ちょっとだけさびしそうな面持ちをしていた。紫原はそんなこと知るかと思いながら、突っ立っていた。

「紫原」

声の方にゆっくりと首をもたげると、マフラーだけ巻いた赤司がいた。そんなのじゃぜったい寒いのに、と紫原は眉をひそめる。赤司は寒くない顔で「待たせたね」と言った。赤司はこの学校に忘れ物をとりにきていた。赤司が忘れ物だなんてめずらしい。むしろなにかおいていったのではないかと紫原は思っている。置き忘れたものだって、言い方を変えれば「忘れ物」だ。赤司はそういう言葉遊びをよくする。紫原の頭が痛くなるくらい。

「忘れ物、あった?」
「ああ、あったよ」
「じゃあもういい?」
「ああ、いいよ」

紫原はとくにこの学校に特別の親しみを持っているわけではなかった。うしろを振り返るのは性分じゃない。ただいろんなものを踏み潰して進んでいる。紫原が踏み潰していったものの中にこの学校は含まれていた。これからもきっとたくさんのものを踏み潰していく。赤司もそうだ。そうだと思っていた。だからこんなことをする赤司はきっと赤司ではないのだと紫原は思っていた。知らない人がそこにいるみたいだ。

「赤ちん」
「なに」
「俺明後日出発する」
「そう」
「もう会えなくなる」
「そうだね」
「秋田と京都は遠いね」
「そうだね」
「新幹線でもね、7時間もかかるんだよ」
「ああ、そうだね。飛行機でなら3時間だよ」
「…ねぇ」

赤司が「なんだい」と首をかしげたときのしぐさがなんだか妙だった。もう知らない人を見るような眼で、赤司は紫原を見ていた。そうだそれはさっきまで紫原がそこの校舎に向けていた視線ととてもよく似ている。紫原は自分の心のすきまに残っていたわずかな寂寥を見透かされたような気がしてこわくなった。とてもはずかしいと思った。赤司はきっと忘れ物なんてしていなかった。ただふと、捨て忘れたものを捨てにきただけだったのだ。それはきっと、紫原や、ほかのメンバーや、思い出や、青臭いものだ。紫原がなんとなく持っていこうとしたものを、赤司はさっと捨ててしまっていた。紫原はポケットに入っている新しい携帯電話を握りしめて、言おうとした言葉を、飲み込んだ。

「ああ、そうだ、紫原」
「…なに」
「携帯の番号、教えてくれないか。新しいほうの」
「俺そんなん言ったっけ」
「言ったよ。離れてしまったら余計、連絡がとれないから」
「うん、わかった。赤ちんはかわらないんだよね」
「ああ、かわらないよ」
「そう、じゃあ、あっちについたら、メールするよ」
「そう」
「うん」

別に「さよならだね」ということはなかった。「さよなら」するのが当たり前すぎて、別段の言葉でそれを確かめる必要性を、紫原は感じなかった。けれど、赤司は、やはりふと忘れ物をしたような顔になって「敦」と紫原を呼んだ。

「どうしたのさ、いきなり」

赤司は紫原をじっとみつめた。じっと乾いた瞳で見つめられると、紫原はちょっとだけ悲しくなった。

「そう、敦、さよならだね」

カランと言う音がした。何かが捨てられるような、乾いた音だ。


END


ひすいさんへ
企画参加ありがとうございました。


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