route munakata 8






伏見が困惑している間に宗像は「失礼」と言って伏見を腕から解放し、「では、私は仕事がありますので」とありきたりな言い訳をして退室した。あっというまの出来事だった。伏見は静かに、しかし全力疾走してしまっている心臓のあたりを握りしめて、やっと息をつく。体温が持ち直したどころが熱がまた上がってきてしまったかのように頬が熱かった。結局伏見は看護師が「どうしました?」と部屋に入ってくるまでそうして茫然として、うろうろと定まりそうにない視線を持て余していたのだった。

伏見はその次の次の日に退院し、その翌日には職場に復帰した。緊急入院という大きな見出しがついてしまったせいで秋山はやたら心配しているし、日高はわんわんとうるさかった。とりあえず秋山には「大丈夫だから」と言い、日高には肘鉄を食らわせておく。休み明けのデスクというものが伏見は嫌いだ。誰彼かまわず報告書や書類をポストイックだけ貼り付けて積み重ねていく。今回はしかし入院ということで気が引けたのか、それほど書類は山になっていなかった。伏見はまず日高の報告書に目を通し、「おい日高てめぇ喧嘩売ってんのか!」とそれを日高に投げ返す。そのほかはだいたいミスがないのでまぁいいかと判子を押し、宗像に提出する必要があるものはなるだけまとめてしまった。二度手間だけはごめんである。

伏見が休んでいた日のぶんの仕事を終えるころにはもう定時が近かった。宗像にはまだ書類を出していない。嫌がらせにはちょうどいい時間帯だろうと伏見は書類を持って席を立った。心臓が少しうるさい。

結局伏見が入院しているうちに宗像が訪ねてくることはもうなかった。退院のときも特に誰が祝ってくれるというわけでもなかったので荷物をまとめてさっさと出てきた。一人暮らしの退院なんてものはそんなものだ。

伏見が宗像の執務室のドアをきっちり三回ノックすると、宗像は「どうぞ」と言った。伏見はそのままふつうに「失礼します」と言って入室し、「書類を提出しにまいりました」となんとなく固い言葉を選んだ。

「おや、もうすぐ定時なのですが」
「さっき終わったんです」
「まったく君という人は私が心底嫌いなようですね」
「…好かれてると思ってたらそっちのほうがびっくりですけど」

宗像はまぁいいでしょうととりあえずその書類の束を受け取り、ざっと目を通していく。

「そういえば退院おめでとうございます」
「…どうも」
「もうあんな弱り切った君が見れないというのも残念ですねぇ」
「悪趣味です」
「そこは『そのせつはお世話になりました』じゃないですか」
「ソノセツハオセワニナリマシター」

これでもかという棒読みに宗像は嘆息してから、「はい、問題はないようです。ご苦労様でした」と。伏見は少し拍子抜けしてしまい「はぁ…」と変な返事をしてしまう。すると宗像はいつものように揚げ足をとるでもなく、「退室してくださって結構ですよ」と。

「…では失礼しました」

伏見は部屋を出るまで何かしら嫌味のもう一つ二つでもくらうのではないか、引き止められるのではないかと身構えていたのだがしかし、何事もなくその部屋の扉を閉めることができてしまった。伏見はほっとした気分だったのだが、なにか忘れ物をしたような、うまくいっていないような気がしていけない。なんだろうなぁと、思う。しかしそれは思いつかず、ぽとりと置いてきぼりにされたような気分だけが、なんだか不快だった。


END


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