ああそうだきみはぼくのなんとかだ
道明寺はしゃべることにかけてはとにかく得意だった。初対面でお互い言葉が出てこず、ずっと気まずいまま過ごすという体験をしたことがない。話題なんてものはそこらへんにころがっている。ころがっているものをひょいとすくいあげて隣にいる人に投げてしまえばいい。それはぶつかってころがることもあるけれど、跳ね返ってきたり、投げ返してもらえたりもする。いくら投げてもかえってこない人はまぁしょうがない。きっと道明寺が嫌いなのだ。だから「おまえつまんないやつだな」とさっさと席をはずしてしまえばいい。相手が好意をもって沈黙しているのか、悪意を持って沈黙しているのか、道明寺にはすぐわかる。すぐわかってしまうからすぐにそのけったいな関係をぶつりとちぎってしまう。そっちのほうがお互いのためだ。
道明寺はしかしなんにも考えないで相手に言葉をぶつけているかというとそんなことはない。相手がどういう言葉がほしいのかも考える。むしろ道明寺はそうしていることのほうが多い。人間関係はスムーズな方がいい。日高の馬鹿みたいにどこでも馬鹿正直にものを言うように道明寺はできていなかった。ちゃんと相手が望んでいることばをあげて、望んでいるように話を運ぶことができる。そうできなきゃ19歳で小隊長なんてやっていられるものか。世の中は若者の若さがまぶしくて疎ましいものなのだ。
「加茂」
「なんだ」
「髪切った?」
「そうだな」
「前のほうがよかった」
「そうか」
きっとこれがほかのひとなら「そっちの髪型も似合うよ」というのだろうけれど、どうしてか道明寺は「前のほうがよかった」と言った。加茂には取り繕った言葉がつかえない。取り繕った言葉を加茂に投げかけるととたんに「お前、思っていないだろう」と言われてしまう。だからあんまり言いたくもないことをぽろりとこぼす。黙っていればいいのだけれどしかし道明寺は間が持たないのが嫌いだ。加茂は道明寺といるとあまりしゃべらなくなる。むっつりとだまってしまう。けれど加茂から跳ね返ってくる言葉はべつに道明寺が嫌いだとかそういう雰囲気ははらんでいない。だから困ってしまう。道明寺は取り繕うことのできない言葉を吐き出しつづけてしまう。加茂の欲しい言葉がわからない。
「加茂はさ」
「なんだ」
「なんでそんな俺と二人のとき黙ってんの」
「そうだな、別にしゃべることもないだろう」
「みんなの前ではしゃべってるのに?」
「間が持たないからな」
「今も間が持たないんだけど」
「お前は別に取り繕った俺の言葉なんてほしくないだろう」
加茂があんまり真面目な顔でそういってのけるものだから道明寺はちょっとばかり考えなければいけなかった。もっとこう、わかりやすく「月がきれいですね」だとかそういう言葉にしてくれればいいのに。きっと加茂はほんとうはこれくらい無口なのだと道明寺は思った。取り繕う必要のないところはとても居心地がわるい。自分の深いところまで見透かされているような気分になってくる。けれどずっとこの場所にいたいとも思うのだ。そうして、道明寺は加茂がどういった言葉を返してほしいのか考えようとして、口を閉じた。言葉が見つからなかったからだ。
END
山本さんへ。
企画参加ありがとうございました。