かたちのないものがこわい、かたちのないものだけがさびしい





遠く伸びた影が僕の後ろをついてくる。僕には影がある。そして、日高にも、影がある。それはだいたい同じ長さをして、大きさをして、ゆっくりと、後ろをついてくる。だから僕たちはきっと四人で歩いてるのだね。こんなことを言ったなら、日高はきっと笑うだろうけれど。

ベッドの中で触る日高にはかたちがある。べつに僕たちはそういう関係じゃない。そういういやらしいこともしない。ただ僕がこっそりと眠っている日高の冷たいようで暖かい頬に手を添える。それがリキッドでなくソリッドで存在していることを、確かめる。僕たちはちゃんと液体ではなく固体として存在している。それなのにところどころが液体で、それがあふれると涙に代わる。いつか日高の頬も濡れていた。僕の頬はついぞ濡れることがなかった。僕はいつだってたしかめている。この体から液体が漏れださないように。きっとそれは悲しさなんてものではなくって、きっと寂しさがあふれだしてしまったものだろうから。

「ゴッティーってさ」
「うん」
「さびしいやつだよな」
「…そう」
「うん」
「その言い方だと、日高はさびしくないやつみたい」

僕がちょっとしたいじわるでそういうことを言ったら、日高はちょっとどうしようかという顔になって、それから、自分に言い聞かせるみたいに、「さびしくないよ」といった。日高は嘘がへたくそだ。

僕たちはね、日高。きっと、寂しさから生まれているんだと、思うよ。そのときこんなことは口にしなかったけれど、僕はそう思っていた。人なんて生き物はずっと昔からさびしがっている。さびしくなかったら言葉なんてものは生まれないし、人も生まれないし、文化も生まれない。どこかしら欠けているところに隙間風が吹き込んで、それがさびしくて、どうにかして、それを埋めようと躍起になっている。だから僕も、きっとさびしい。日高の言う通り、僕はさびしい人間だ。別に、意識して言葉になんて、しやしない。けれど、僕は自分がさびしい人間なんだって、ちゃんとわかっている。さびしいということが認められないのは、きっとその寂しさをどこかで遠ざけようとしているからなんだと、僕は思う。日高はまだ、どこかでなにかが信じられていないんだね。だって日高の頬はたまに濡れている。悲しいって気持ちは、なにかがなくなってしまったときにしか、感じない。そしてなにかがなくなってしまって悲しいってことは、さびしいって気持ちに、よく似ているんだ。そんなこともわからないくらい、日高は馬鹿じゃないんだろう。ほんとうは自分がさびしい人間だって、わかってるんだろう。わかって、けれど認められなくて、認めてしまったらこわいことしかなくて、それで、逃げてるんだろう。それでもいいと、僕は思うよ。

僕の中にはたくさんのリキッドな感情が閉じ込められている。それはきっと、日高と会うたびに、日高と話すたびに、日高の頬が濡れるたびに、ぶわりとあふれだしそうになる。あふれだしそうになるのを、僕はぎゅっと我慢する。不思議なんだ。液体に似た感情は、液体よりずっと固い僕たちの隙間からあふれ出してくる。一人でいるときはべつになんてことはないんだ。けれど、二人になると、だめなんだ。でも日高は一人になると、だめなんだね。それってもしかしたら日高がいつかなくしてしまったものがひっそりと隣にあるからなのかもしれないね。なんて、僕は絶対にこんなことは教えてあげないのだけれど。僕はいじわるだ。僕は自分だけにやさしい。自分だけが大好きだ。ずっとずっと、これまでも、これからも、ずっと、そう。そう、それがね、僕のさびしさ。僕はさびしい人間なんだ。けど、日高だって、さびしい人間なんだ。さびしい人間とさびしい人間が二人で手をつないであるいたって、きっと、さびしいんだ。きっと。


ある日、仕事終わりに日高とふたりで並んで歩いた。遠く伸びた影が僕の後ろをついてくる。僕には影がある。そして、日高にも、影がある。それはだいたい同じ長さをして、大きさをして、ゆっくりと、後ろをついてくる。だから僕たちはきっと四人で歩いてるのだね。こんなことを言ったなら、日高はきっと笑うだろうけれど。

「この時間帯にさ」

そうつぶやいたのは日高だった。だって僕はしゃべっていない。だから、つぶやいたのは日高だ。僕に向けてじゃない。きっと、それはなんだかかたちのないものに向けられていた。僕のさびしさはきっと液体のかたちをしている。けれど日高のさびしさは、わからない。

「うん」
「この時間帯にふたりで歩いてると、なんだかふたりじゃない気がしてくる」
「うん」

僕はきちんと頷いたけれど、日高が僕の思っていることとぜんぜん違うことを思っているのは明白だった。だって、日高は二人で歩いてるのになんだかずっとひとりでしゃべっている。日高はひとりぼっちだった。だから、僕もひとりぼっちだ。ひとりぼっちがただふたりぼっちになるわけでもなくひとりぼっちのまま歩いている。かたちのない寂しさが、僕のまわりにわだかまりはじめた。だって、こんなのは、おかしい。ずっとずっと、さびしい。

「ひとりで歩いてるみたいな気がするんだ」
「そう」
「ゴッティーは」
「うん、そうだね。そうかもしれない。けど僕はね、もう少し違う気もする」
「そうか」
「そうだよ」

僕たちは四人で歩いているはずだったのに。四人でさびしいねって言いながら、けどどこかさびしくない面持をして歩いているんだと、信じたかったんだ。日高は馬鹿だ。さびしいことを認めないってことは、さびしくない方に歩いていくことができないってことだ。きっとそれは僕だって同じだ。日高がさびしい方に歩いて行ってしまったら、僕もそれについていってしまう。不思議だ。ひとりぼっちがふたりあつまったって、ひとりぼっちだった。きっと、僕と日高じゃ、そっちの方向にしか歩けないんだろうね。きっと、僕たちが二人でいることは、とてもさびしいことだ。さびしくて、涙も出ない。

二人の影が重なって一つになって、僕たちはいつか四人から三人になる。三人になってすこしすると、もう日が沈むころあいになって、僕たちは二人になる。さびしい大人が二人集まると、きっとベッドに入る。そうして、ひとりになる。さびしくなくなるためにさびしさを重ねあって、液体を流して、そうして、僕たちはどうなるんだろう。リキッドな感情はいつか蒸発して、見えなくなって、かたちのない、もっとずっとこわいものになる。僕たちは二人だ。二人で、一人になる。かたちのないさびしさを、たったひとりで、抱きしめていこう。僕はそれでもいいと思ってるよ。ねえ、日高は。日高はどうしたいの。僕はさびしい。


END


SeiRin.さんへ
リクエストありがとうございました。

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