Chapter 2 : one year ago 3.1






五島は今回、隘路に迷い込む予定も、特務隊の人たちと絡む予定もなかった。五島はそことは関係のない場所でひっそりと生きて、ひっそりと死ぬ予定だったのだ。なのに、楠原という男は本当におせっかいやきでいけない。

「なにかお困りですか」

そこは夢の中だった。だから五島は油断していたのだ。普段ならばそんなふうに声をかけられたとしても絶対に振り向くことはないし、ましてや会話に応じることもなかった。

五島は耳が聞こえないからだ。

昔はたしか、聞こえていた。けれどだんだんと聞こえなくなっていって、今は聞こえたり、聞こえなかったりを繰り返している。五島の耳のなかではたいてい細波のような音だけが、響いていた。五島は面倒だったので、聞こえていても聞こえないふりをしたり、きちんと障害者手帳を発行してもらったりして、耳が全く聞こえないことにしていた。そうすればこんな風に声をかけられたときでも、適当に受け流せる。

「なんで出てくるのさ」

五島がため息のようにそう言うと、楠原は邪気のない顔で笑ってみせた。

「だって、待ってても五島さんは来てくれないかなぁと思いまして」

ここは夢の中なのだと、五島はちゃんとわかっていた。まわりは真っ白に輝いているし、どんなに目をこらせど自分と楠原しかいなかった。夢とわかっていて、しかし、そういえば自分の声を聴くのも久々だなぁと、思った。

「そうだね、そんな気はなかった」

五島には前世というか、別の世界の記憶が、楠原と同じくらい残っていた。それでも五島は普通に生まれ変わることができたのだ。楠原を見たところ、彼は人間どころか生命としてこの世界に生まれることができなかったらしい。五島はいったい楠原はどれだけ欲張りなお願いを神様にしたんだろうなぁと、思った。

「どうしてなんですか」
「なにが」
「どうして、そうやってみんなを遠ざけるんですか」

楠原が、真面目な面持ちでじっと五島を見つめるので、五島はへらりと笑ってから、楠原をみつめた。

「だって、僕と君くらいしか、覚えてないんでしょ」
「そうですね、多分、そうです」
「なんかね、それが腹立たしくて」
「嘘です、それは」

五島はだから楠原は苦手なんだ、と、口の端を持ち上げた。五島は自分の領域に人をいれるのが、とてもいやだった。自分は自分だけのもので、他の誰かに影響されたり、侵食されたりするのが我慢ならなかったのだ。それなのに、楠原という人物は、さらに言えば日高という人物はずかずかと土足で五島の中に入って来て、あげくそこにどっかりと居座ってしまうのだ。

「ほんと、君と日高ってそっくりだよ」
「そうですか?」
「そうだよ」

楠原は「僕あんなに恰好よくないですよ」と言った。ふざけているでもなく真面目な顔で。

「日高は?」
「まだ来てないです。もうそろそろだとは思うんですが。他の方はもうあの家に入居されてます。秋山さんは小説家で、弁財さんは書道家で、加茂さんは料理人で、道明寺さんはホストで、榎本さんはプログラマーで、布施さんは声優です」
「それで君は幽霊なんだ」
「残念ながら」

脚は生えてるんですけど、と楠原は甚平の裾を持ち上げてみせる。よくよくみると楠原はわりと珍妙な恰好をしていた。青服でないどころか、洋服でもない。涼しげな甚平姿だった。今はまだ雪の残る季節なのに。けれどそれがやたら楠原に似合っていて、五島はおかしくなってしまう。

「欲張るからだよ」
「欲張りたかったんです」
「もういいじゃない」
「もっと欲張りたいんです」
「次はもうないんじゃない」
「なくても、いいんです」
「僕たちが死んだら、そしたら君はひとりになっちゃうよ」
「それでも、いいんです」

楠原は、他の人に比べたらずっとずっと特務隊として生きた時間が短い。なのにどうして、こんな面倒なことをするのだろう。別に、日高だけでいいじゃないかと、五島は思った。

前の世界で五島から日高をかっさらっていって、ほとんど一生しばりつけて、それで、次の世界でもそうしようとしている。幽霊になると強欲になるのだろうか。けれどそれはほんとうに、ささやかな願いのようにも、思える。楠原が願っていることは、ほんとうはひとつだけだったからだ。

「だって、僕、神様に聞いちゃったんですよ」
「何を」
「みなさんが、どこかしら欠けたかたちで生まれ変わるんだって」
「うん、そこまでは、僕も聞いた」
「日高さんは絶対に、前世のこと思い出せないようになってるらしいです」
「そう」
「そこだけは、神様に感謝してます」

楠原は、顔に似合わず、随分長く生きたような顔になった。睫毛をするりと伏せて、一瞬、五島から視線を外す。しかしすぐにまた、まっすぐに五島を見つめた。

「僕は幽霊なんです」
「うん」
「だから、日高さんとまた、あのときみたいに幸せとか、あたたかさとか、そういうのを共有することは、できないんです」
「うん」
「最初は、もう一度会えるだけで、よかったんです」
「うん」
「でも、欲が出ました」
「うん」
「多分、五島さんも、そうなんでしょう」

五島は一呼吸置いてから、「そうだね」と頷いた。

今度は楠原が見送る仕様になっているらしい。いつか楠原を、日高が見送らなければいけなかったように

ほんとうは前世の記憶なんてものはないほうが、いい。五島はわがままを言って、そっとそれを残しておいたのだ。しかし五島はただ記憶を残しておいただけだった。だから、この世界でおんなじように八人が揃って生まれ変わったのは、楠原のせいらしかった。見た目によらず強欲なんだなぁと、五島は少し呆れてしまう。

「欲張るからだよ」

五島はもう一度、同じ台詞を口にした。

「欲張りたかったんです」

楠原も、もう一度、同じ台詞を口にした。それを聞いてから、五島は「まぁいいか」と思った。どうせおんなじ世界におんなじように、日高はいる。それなら少しくらい欲張ったって、バチはあたらないだろう。バチがあたってしまった人は、目の前にいるけれど。

「あのさ」
「はい」
「その家って、ペット、飼える?」
「はい、大丈夫です」
「そう」
「五島さん」
「まだなんかあるの」

五島がそろそろ目覚めてしまいたいなぁと考えていたあたりに、楠原がするりと笑った。まぶしいなぁと、五島は思った。

「おかえりなさい」



どこに帰ってきたって言うんだ、と五島が文句を言おうとしたあたりに、目が覚めた。枕元では目覚まし時計がけたたましく鳴り響いている。

五島はベッドから気だるげに起き上がり、枕元の時計で時刻を確認した。三月一日だった。まだまだ寒い季節だ。
五島は早々と障害者枠で東京の大学に入学を決めていた。今日は前期後期日程で大学に入学する人よりはやく、引っ越す物件を見に行く予定だったのだが、丸一日どころか、引越しの手間がほとんど省けてしまった。
五島はぼんやりと窓の外を眺めながら、バイトでもしてお金を貯めてしまおうと、思った。物件を探す時間をつかって、猫を探さなければいけなくなったからだ。名前はもう、決めてある。



End

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