そう、そのときまでは忘れていてください、私の体温のように




※死ネタ





こんなところまできてしまったのか、と伏見はふと思うことが間々あった。それは肩の重くなるような残業を終えた1人のオフィスの中であったり、脚を引きずるようにする仕事からの帰り道であったり、ひんやりと冷たい孤独に濡れた部屋の片隅であったりした。それと同じ重さをもってままならないと思うことはあったが、どうして自分がこんな場所にいるのか、忘れてしまうことは流石になかった。しかし、どうしてそうしてしまったのか、どうしてこの場所を選び取ってしまったのかは、もうどうにも、思い出せない。けれど、伏見はこの道を選び取ったことに意味などないということには途中で、もしくは、もとより気づいていたのかもしれない。あるいは気づかないふりをしていたのかもしれなかった。

道を違えたのかとは思わなかったが、とにかく、随分遠くまできてしまったのだなぁ、と舌打ちをした。その鋭さはどうにも、響きがよかった。伏見の選び取ったその道は、どこまでもどこまでも真暗で、隘路に似ていた。そのくせ、遠くにぼんやりと、光のようなものだけは見えている。それが何なのかわからないまま、伏見は吸い寄せられるような引力を以て、夏の虫のように、そこへ向かっていた。まるで出口でも、あるかのように。

「室長は、なんで俺を青のクランにいれようと思ったんですか」

随分昔に、伏見は宗像にふとそんなことを尋ねたことがあった。ほんとうにほんとうに、昔のことのように、思えた。それはもう思い出の色をして、記憶の冷たさをして、伏見の中にあった。けれど当時の返答は、あまりよく覚えていない。有能だから、だとか、君には居場所が必要でしょう、だとか、そんな、ありきたりで、くだらなくて、胸焼けのするような甘ったるい理由だった気がする。だらしなく甘いのは嫌いだった。弱さを認め合うように馴れ合うのも嫌いだった。結局人なんて生き物は、突き詰めずともひとりなのだ。だからこそ寄り添う誰かを、無意識に求めるのかもしれない。それはほんとうに、意識にも浮かばない、深いところで、そうしてしまっている。シーラカンスのように、太古のかたちを残したままで。


人の体温のような生暖かさに両手が濡れた時、伏見はやっと、あの時の宗像の言葉を思い出すことができた。ああこの人は俺をほんとうに、必要としていたんだなぁと。寄り添うでもなく、反発するでもなく、けれど、離れることも、離すこともなく、ひっそりと。今日まで思い出せずにいたのは、どんな仕掛けがあったのだろう。

あたりは何も見えないような、夜だった。街頭もみえない、本当の暗闇だった。ああ自分はあの光のところまで、きてしまったのだ、と、思った。ここがそうなのだ。こんな、寂しい場所が。光を潰して、もう、燃え尽きることもできない。ああ、もう随分と遠くまできてしまったものだ。どうしてこんなところまできてしまったのか、わからない。鈍い舌打ちに、頬が濡れた。


「そうですね、あなたなら、私を殺せるでしょう」


END

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