そうして透明な春が来る






楠原がなにやら深刻そうな顔をしてデスクでうんうん唸っていた。日高はなんとなく「なんかあったのか?」と声をかけた。そうしたら、悩みの種はなんてことない、親知らずが痛い、というものだった。

「なんか、変な方向に生えてきたみたいで」
「へー。俺の時はまっすぐ生えてきたからちょっとむず痒いくらいだったけど」

日高はもごもごと舌を動かして、自分の随分綺麗に生えた親知らずを探ってみた。立派に生えている。

「親知らず抜くのすげー痛いらしいぜ」
「えっ」
「聞いた話。エノは抜いたあとなんか熱だしてたし」
「えっ」
「まぁ早いとこ歯医者行けよ」
「うっあっ・・・はい・・・」

そういえば、日高はもう長いこと歯医者というものに行っていなかった。小学、中学、高校は歯科検診があり、そのたびに虫歯やらなにやらを目ざとく見つけて頂いては歯医者に通わされたものだ。けれど社会人になってからはアイスが歯にしみようが、歯が少しくらい欠けようが、長らく放置してしまっている。日高は左の奥歯の少し欠けた歯のくぼみを舌でなぞりながら、「俺も歯医者行かないとなぁ」と、思った。


事態は思っていたより深刻らしかった。時間がちょうど重なったので楠原と一緒に歯医者に行ったのだが、楠原の健全は歯と違い、日高の歯は虫歯だらけだった。まず口うるさい歯科医にこっぴどく叱られ、成人にもなって歯磨き指導を受ける羽目になったのだ。楠原はその日のうちに麻酔をかけて親知らずを一本引っこ抜いて終了だったのに、日高は毎週のごとく歯医者に通わなければいけなくなった。

「どうしてこうなった・・・」
「はは・・・歯磨きは大事ですよ、日高さん。日高さんいっつもしゃしゃっとやって終わりじゃないですか。おじいちゃんになったとき歯がなくなっちゃいますよ。これを機に丁寧な歯磨きを心がけましょう」
「タケはいいよな・・・虫歯一本もなかったんだろ・・・」
「気をつけてますから。ほら、小学校のときとかにやりませんでした?80歳までに自分の歯を80本残そうって運動」
「80本も歯ぁ生えないけどな」
「え、あれ、20本だったかな・・・?」

歯医者からの帰り道、日高はため息をついた。そうだ、そういえばそんな運動もあったなぁと、思い出したのだ。小学校のときはちゃんと管理されて、真面目に歯も磨いていた。定期検診の時に虫歯が一本もなければ、給食の時間の校内放送でインタビューしてもらえるのだ。それがなんだか誇らしいことに思えていたので、日高は歯科検診が近づくと躍起になって歯を磨いていた。今思えばなんて簡単な子供だったのだろうと思う。現在のセプター4の内部放送で虫歯ゼロのインタビューをされたところでなんにも面白くないというのに。

「なんか夕飯おいしいもの食って帰ろうぜ」
「え、あ、すみません・・・僕まだ麻酔がきれてなくて、もの食べれないんです」
「あ、そっか」

楠原は痺れが残るらしいほっぺたをさすっている。痺れがとれたら今度は激痛と戦わなくてはいけない。痛み止めも処方されたらしいが、違和感は残るだろう。日高は楠原よりも親知らずのぶん本数が多い歯を舌で確かめて、自分がおじいちゃんになったときのことを思った。楠原よりも本数が多いぶん、日高の方が歯が残る確率は高くなった。今晩から真面目に歯磨きをしよう。








「日高ってさ、歯磨きだけは真面目にするよね」

洗面台で今日も歯磨きに精を出す日高に、五島が「はやく場所譲ってよ」とちょっかいをかけてきた。日高は「歯は大事なんだからな!」と言いつつ、五島も身支度できるように場所をあけてやる。

「おじいちゃんになったとき全部歯がなくなって総入れ歯とかやだろ。お前、覚えてないのかよ。80歳までに30本自分の歯ぁ残すって運動」
「それ20本だよ。親知らずは抜いちゃう人多いから」
「俺は32本残すんだよ」
「全部じゃん」
「うん、全部」

なんでそんなこだわってんの?と五島は首を傾げた。日高は答えない。


END


壱臣さんへ
リクエストありがとうございました!

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