ごめんやらしいこと考えてた






「あら、まだ残ってたの?」

天方が部室(といっても簡易なものだが)に忘れ物を取りにきたとき、そこには制服に着替えた橘がいた。橘は書物をする用の少し錆びた机に向かっていて、天方に気づくと「先生こそ」と。天方は日傘を忘れていたのでそれを取りにきただけだったのだが、まさか人が残っているとは思わなかった。たしかにプールの鍵は部長である橘にも渡してあった。かといって部活動の許されていない時間帯まで部員が残っているのは看過できない、と少し困り顔になる。新任の教師であったため、ふざけたノリでなく生徒を叱るのはあまり機会に恵まれていないらしかった。橘はそんな様子を察してか、「すみません。部誌を書いていたんです」と言って、ノートを天方に見せた。

「あら、そうだったの」
「はい。と、いうか、今日から書こうと思って」
「あら、そうなの」
「そうです。どういうふうに書いていったらいいかなぁと考えていたら、こんな時間に。すみません」
「あら、・・・あら、わたしさっきから同じようなことしか言ってないわね」

天方は照れ隠しにくすくすと笑ってみせた。こういう仕草にはすこし、覚えがある。けれどそれは教え子の前で見せるには少し都合の悪い覚えだった。いけないいけない、と天方は「見てもいいかしら」と橘に首をかしげて見せた。

「もちろん。むしろ、毎日、江ちゃんと先生にはチェックしてもらおうかと思ってました。毎日は難しいかもしれないですけど。かわるがわるでもいいです。俺は毎日、一応、つけるつもりではいたんですが」
「へぇ・・・こう言ってはあれなのだけれど、はじめは仲良しクラブみたいなものだと思っていたの。あ、今は違うわよ。今はほんとうに、みんな本気なんだなって、わかってるわ。でも、こうして部活らしいことをしているのをみると、ほんとうにほんとうなのねって、思うの」
「・・・ありがとうございます」

差し出されたノートはどこにでも売っているキャンパスノートだった。その表紙に、丁寧な字で「部誌 No.1」と書いてある。1ページ目には日付と、現在の部の構成が書いてあり、2ページ目にはこなしているメニューが書いてあった。そして、3ページ目に今日の部活の様子と、反省、課題が書いてある。天方は水泳にはあまり詳しくないので、なかなかに専門用語の多いそれを読むのには少し苦労した。そうして読み込もうとしたときに、「やだ、もう遅い時間なのに」とはたと我にかえる。

「あ、今日の分、俺が書こうと思ったとこはもう全部書いたので、先生が持って帰ってくださってもかまいませんよ。むしろ、なにかしらコメントつけてもらえたら嬉しいです」
「あら、・・・その、わたし・・・」
「専門的なことじゃなくて大丈夫です。ほんと、部の様子だとか、見てて気づいたことだとか、そういうので」
「そう・・・ふふ・・・なんだかあなたの方が先生みたいね」

天方が笑ってみせると、橘はどうこたえたものかと困ったような顔になった。橘からはむっとするような塩素の匂いがした。橘がバッグを肩にかける仕草にのって、それが天方の方まで香ってくる。プールがこんなに近くにあるのに、それはまるで橘の中でぐっと凝縮されたかのように、濃くなっていた。バッグを持ち上げる腕も、肩の盛り上がりも、エナメルのバッグの横断する胸板も、橘はほかに比べてぐっと大人びていた。松岡でなくとも、もしくは松岡の感動とはまた違う感動を、天方は覚えてしまっていた。ほんとうは、いけないのに。

「先生?俺もう帰りますけど」
「え、あ、やだ。わたしも帰る」
「・・・傘、忘れてますけど」
「あら・・・」

いやだ、と続けようとして、天方は真っ赤になった。橘はまるで「困った人だなぁ」とでも言うかのようにへらりと笑って、傘を取り、天方に差し出す。天方は「いつもはこんなんじゃないのよ。たまたまよ」とぷつぷついいながら、そろそろとそれを受け取った。

「あ、もう遅いわね。家まで車で送ろうか?」

天方が照れ隠しにそう尋ねると、橘はまた困った顔になった。

「そういうの、いけないんじゃないですか?」
「え?生徒がこんな遅くにひとりで帰る方がよっぽどいけないわ」
「まぁ、そうですけど」
「そうよ」
「でも先生、下心、ないんですか」
「えっ」

天方が橘をみると、橘はいつものように、やわらかく笑っていた。けれど、その瞳の向こう側に、なんだか少しこわいものを見た気がして、天方は「何言ってるの、そんなわけないでしょう。大人をからかわないで」と日傘で軽く橘を叩いてみた。だって、ほんとうに、こわかったのだ。その目を、天方はどこかで見たことが、たしかにあった。けれど、それは居酒屋だとか、夜遅い大通りだとか、もっと言えば、ベッドの中でだった。まだ男子高校生なのに、子供なのに、どうしてそんな目を自分に向けてくるのか、天方はとにかく困惑した。困惑したけれど、下着の隙間にあまだるいぬくみを感じて、それが恥ずかしく、心地よかった。手品のように言葉がすり替えられて、関係がすり替えられて、視線がだるくなる。天方の「ほんとうはいけないのに」という考えがちょっと溶けてしまったあたりに、橘は「すみません。冗談にしても、ちょっとダメなこと言いましたね」と。

「そう、そう!そうよ!もうひとりで帰りなさい!でも気をつけてね!」
「はい、わかりました」
「もう、鍵はわたしが閉めるから!」
「ありがとうございます」

橘はぺこりと頭を下げると「先生もお気を付けて」と笑ってみせる。その顔はやっぱり幼くて、ちゃんと高校生で、天方はほっとした心地だった。

「そう、先生」
「なに?」

橘は部室を出ようとする間際に、少し考える素振りを見せた。それから、天方の手がぎゅっと日傘を掴んでいるのを見て、満足そうに、笑った。今更もう謝りませんけど、と前置きをして、するりと口を開く。


「下心あるのは、俺でした」


END


まこあま処女作。
っていうか支部でいくら検索かけてもまこあまでてこないんですけどどういうこと。


title by 深爪

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -