そうやってかたちを変えていく
ああこの靴はとても恰好がいいなぁと日高は思った。日高が高校生の時の話だ。すこし遠出した時に見つけた靴屋に並べられていた革靴を見て、とにかくそう思った。流行りの靴だったわけではない。どちらかと言うと流行に左右されないデザインの靴だった。凝っているわけでもなくシンプルすぎるわけでもない。ただ、この靴を作った人は靴をつくるのが好きで好きでたまらなかったんだろうなぁと思うようなデザインをしていた。値段を見てみると、高校生にはおいそれと手の出せるような値段ではなかった。新作のゲームのために貯金していたぶんと、今月のお小遣いをぜんぶはたいても少し足りないくらいの値段をしていた。けれど日高はいてもたってもいられず、店員に「すみません、この靴って来月までとりおきしてもらうことってできないですか」と聞いてしまっていた。店員は日高が学生らしい恰好をしていたので懐具合を察してしまったらしく、少し考えてから、「しかたがないなぁ」と困ったふうに笑った。日高は次の月になって、お小遣いで懐があたたまってから、ちゃんとその靴を買いにいった。靴や服のためにお金を工面したのは、それが最初で最後だ。
「でも残念なことに、その靴がこないだとうとう壊れちゃいまして」
弁財は日高の手の中にあるボロボロになった革靴を見て、ああ日高はほんとうにこの靴を大事にしていたんだなぁと思った。磨り減った靴底を張り替えた形跡があるし、紐も何度か新しいものに変えたのだろう。しかし肝心の皮の部分がもうへたってしまって、爪先には擦り切れて穴が空いてしまっていた。どこからどう見ても寿命だった。寿命を迎えることのできた靴というのは、どこか申し訳ない顔をしている。だから弁財はその靴はもうほんとうにダメなのだと、わかってしまった。それに今の日高にはもうこの靴は少し不釣り合いだ。大人びたデザインを選んだらしいが、精悍な顔つきになった今の日高に、この靴は少しばかり幼かった。
「そういえば、お前の足には靴擦れの傷を見たことがないな」
弁財はスウェットの裾からのぞく日高の足を手にとって、しげしげと眺めた。別に綺麗というほど整ったかたちはしていない。親指の付け根の裏には人並みに硬いタコがあるし、爪も磨り減っている。それでもよく夏場に見られるような靴擦れのくすんだ色はどこにもなかったし、踵の上も肌の色をしていた。この靴は随分と日高に優しかったらしい。踵の毛羽立ちを指でなぞりながら、弁財は少し考えた。それから、どうにも靴擦れのあとの目立つ自分の足を見て、溜息をつく。そろそろ安い靴を履き潰すような年ではなくなってしまったかもしれない。
「今度の休みに、靴を見にいくか。俺も長く履ける靴が欲しくなった」
「はぁ・・・弁財さんって長いことおんなじ靴履いてるイメージでしたけど」
「そうでもない。大抵半年かそこらで履きつぶして買い換えてる。なんだかそういう気分じゃなくなったし、そういう年でもなくなったような気がしてな」
日高は自分の足をじっと見てから、履きつぶしてしまったその靴を見た。そうしてから、なんだか遠くに想いを馳せるような声音で、「これ、履き始めたとき靴ズレすごかったんです」とぼそりと呟いた。
「男友達に自慢・・・でもないですけど、みせびらかしたくて、遊びの日におろしたてで履いて言ったら、もう大変なことになっちゃって。あんときほど盛大に靴擦れしたことはなかったですね。高校で、はじめての革靴でしたし。しばらくサンダルしか履けなかったくらいやばかったです。でもなんか、だんだん、こっちの足のかたちがかわったのか、それとも革靴がやわらかくなったのか、むしろぴったり履けるようになってきて、そこからはもうこの靴じゃねーとだめだなーって思ってたんです。だから、わりと今なんか寂しいんですよね」
「だろうな」
想像はできるけれども、弁財は未だそこまでものを長く使い続けたことがなかった。長く使っているものはあるけれど、どれもありきたりなもので、これというものを使い続けていたわけではなかったものだから。
「そうだな、新しい靴を買ったら」
「はい?」
「二人でどこか行こう」
「はぁ」
「そうして盛大に靴擦れして苦しむか」
「え」
そこを超えてしまったら、あとはもう足のかたちも、靴の硬さもとれてきて、ぴったりと足に馴染むだろうから、そうしたらまたどこかへ二人で行こう、と弁財はぼそぼそとつぶやいだ。日高はへらりとしまらない顔になって、そうですね、と言った。盛大に靴擦れをして、その痕がだんだんと薄まっていくのを、ゆっくりと眺めていたい。何を変えるでもなく、無理に変わるでもなく、そういうふうに、眺めていたいと思った。
END
海さんへ。
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