イエス・ノー






「メールが返ってこなくなった」

日高がくたびれた顔をして、するりと瞳を伏せた。五島はちょうどいれたばかりのコーヒーを日高の前にコトンと置く。「そう」と適当に聞いていたことを知らせた。日高は五島の前ではぼろぼろと独り言を言う。今のつぶやきも、独り言のような響きをしていた。五島は自分のぶんのマグカップを持って、ソファの背もたれに腰を預ける。

「電話をかけてもかえってこない」

日高は少し前から付き合っている人がいたらしかった。顔の造作はしっかり整っているし、公務員だし、背も高い。日高は俗に言う良物件だ。けれど、ひとつ欠点がある。馬鹿な上に忙しいのだ。語弊があった。最悪の組み合わせでふたつもある。デートの誘いを断ったときに相手の「忙しいから仕方ないものね」という言葉を真に受ける。真に受けた挙げ句に、それを繰り返す。そして大抵、「わたしと仕事どっちが大事なの」という質問で関係はクライマックスを迎えてしまう。日高はもちろん、「そんなん比べられるわけないだろ」と返すタイプの人間だ。つまるところ、長続きしないうえに、告白される方にもかかわらず、高確率で振られる。

「これじゃあ、会って話もできない。終わりかなぁ」

俺は結構好きだったのに、と日高は溜息をついた。日高はソファに沈んでいく。五島はうまく視界にはいらないところにいる。日高の独り言はたしかに独り言だったけれど、誰かに聞いて欲しい独り言だった。五島は「だろうね」と返して、コーヒーに口をつける。こないだ買ってきたばかりだったから、まだ香りがいい。

「でもさぁ」
「何」
「会って話したところでさ、なんか変わるの?」

五島がやっと会話をはじめると、日高はうーん、とタンマツをじっと見つめた。送信ボックスにばかり履歴がたまっていくタンマツだ。いつかは、受信ボックスにばかりメールがたまっていたタンマツだ。

「こういうの、一方的だろ」
「うん」
「キャッチボールがしたい。言葉のキャッチボール」
「うん」
「タンマツ通してだと、一方的にシャットダウンされて、それでおしまいじゃん」
「うん」
「だから、会って、話がしたい。それでダメなら、まぁしょうがないかなって」
「そう」

五島は、この男を慰めてやろうか、それとももうすこし殴ってやろうかと考えた。どちらでもいいような気がした。だから、五島は日高が一口、コーヒーを飲むのを待ってみた。日高は黙ってそれを一口のんで、ローテーブルにコトンとマグカップを置く。

「へんなの」
「何が」

五島は溜息をついてみせた。くだらない、と吐き出すように。

「面と向かって話せばなんでも通じると思ってる」
「ちがうのかよ」
「どれだけ言葉を使っても、相手がどっかでシャットアウトしちゃったら、タンマツだろうがリアルだろうがかわんないよ」
「…」
「どっちだってかわんない。日高のメールも、多分届いてて、その人は見てるかもしれない。見てて、シャットアウトしてるのかもしれない。そしたら、直接会ってもなにもかわらないんじゃないかなぁって、僕は思うけど」

日高の周りはたくさんの人が通り過ぎていく。けれど日高の中にずっといる大事な人はほんとうに少ない。日高がその中の人を増やそうとしないのだから、当たり前だ。五島は多分、どちらでもない。通り過ぎもしないし、日高の中にはいっているわけでもないし、遠すぎるわけでもない。隣を歩いているわけでもなければ、正面から向き合っているわけでもなかった。日高がソファで膝を抱えているのであれば、五島はその背もたれに腰をあずけている。お互い目を合わせようとはしないのに、ソファのへたれ具合でちゃんとそこにいるんだとわかる位置を、二人はたもっている。

「ゴッティーはさぁ」
「うん」
「俺のこと嫌いなの」
「そういう面倒くさい質問、日高はしないと思ってたけど」
「だって、普通友達が失恋してたら、慰めるもんじゃね」
「そうだね」
「…慰めてくれよ」

もう一度日高は「慰めてよ」と言った。けれど、それはもう頭の方に「誰でもいいから」というつぶやきがくっついてしまっているような気がした。そんなのは気に入らない。

「じゃあさ、日高」
「なにさ」
「コーヒーのお礼、ちゃんと言って」
「なにそれ」
「さっき僕がコーヒーいれてあげたのになんも言わずに飲んだでしょ」

日高は一口ぶん量の減ったコーヒーを見て、さっきまでの会話を思い出した。そうして、がしがしと髪の毛を両手でぐしゃぐしゃにする。

「…それだけで?」
「そんなもんだよ」

日高はぶすくれたような顔をして、後ろの五島を振り返った。そうすると、五島はちゃんと日高のことを見ていて、いつものようにうすく笑っている。

「…ゴッティー」
「うん」
「コーヒーありがと」
「うん」
「慰めて」
「いいよ」

するりと五島は日高の中にはいる。すぐに、痕跡も残さずに、出て行かなくてはいけないけれど。このときばかりは、一番近くにいる。この、既存の言葉で言い表すことのできそうにない関係を、ありきたりな感情の枠組みにねじ込んでしまうのは、もったいない気がした。もしもそうしてしまったら、五島もきっと日高の周りを通り過ぎるひとりになってしまう。言葉がなくても、記号がなくても、ふたりだけの関係がちゃんとあるのに。それだけでいいのに。


END


やなはさんへ
企画参加ありがとうございました!

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