日高と弁財




「秋山さんと仲直りできたんですね」

次の日、秋山と弁財はなんにもなかったかのように出勤して、なんにもなかったかのように仕事をしていた。その翌日には弁財の顔の半分を覆っていた包帯がとれて、痛々しいながらも眼帯とガーゼにかわっていて、日高は昼休みになんてことない顔でそう話しかけた。弁財は少し迷ってから、「おかげ様でな」と言った。まだ口の中か、顔の表面の顔が痛むのか、その表情は少し強張っていたのだけれど。

昼休みの食堂はびっくりするくらい混雑する。右へ行こうとすれば人にぶつかり、左へ行こうとすると壁とぶつかる。そんな中なので相席なんてものは日常茶飯事で、日高は「ここいいですか」と弁財の正面の席を指した。弁財は「ああ」と答えた。断るそれらしい理由が見つからなかったのだ。気まずいかもしれないと弁財は思ったのだけれど、日高はそんなことはわからないようで、いつも通りプレートいっぱいにのっけた主食ばかりのメニューをもりもり平らげていった。弁財は普段どうりの焼き魚定食だ。若いというのはカロリーが必要なことかもしれないと弁財は溜息をつく。

「太るぞ」
「えっ」
「三十過ぎてからきっと後悔する食べっぷりだと思ってな」
「はは、そうですかね」
「そうだろう。いつまでもそんなに動けるわけじゃないんだ」
「じゃあ、動いてるうちにいっぱい食っとかないと。ていうか、弁財さんは少なすぎなんじゃないですか」
「どこがだ」
「だって、それ女の人でちょうどいい量ですよ」

日高が食堂のメニュー表を指さしてみせる。そこには焼き魚定食のところに「女性におススメ」の文字が。そしてカツ丼のところと生姜焼き定食のところに「迷ったらこれ」と書いてある。迷ったらこれというメニューがふたつあるというのはどういうことなのだろう。そこでも迷ってしまうじゃないか。

「…そうなのか?いや、たしかにこれ食べてもう食べられないかというとそうでもないが」
「ていうかヘルシー?」
「魚だしな」
「ダイエットでもしてんすか?」
「いや?」
「ですよね。弁財さん細…あ、いや、脂肪少ないですもんね」
「細くて悪かったな」
「いやいや別に言うほどでもないじゃないですかっ。いや、あの、筋肉はついてるわけですし」
「お前の綺麗に割れてる腹筋には負けるがな」
「そうやって卑屈になって」
「別に卑屈になんかなってない」

日高は米を食らえば話題をふり、肉を飲み込めば話題をふった。意識してそうしているわけでもなく、他愛のない会話がどんどん先へ進んでいく。けれど日高はなんだか似合わず話題というものを選んでいるらしかった。弁財はああらしくないことをさせてしまっているのだな、と思い、するすると味噌汁をすする。それはそろそろいい具合に冷めていた。

「秋山とな」
「はい」
「昨日も喧嘩した」
「えっ」
「ちょっとした口喧嘩だ。あいつは洗濯物たたむのが下手だから」
「はあ」
「しわがよっていてな」
「ええ」
「俺が、ちょっと小言言ったら、秋山がお前だって今日また便座あげっぱだったろって」
「はぁ」
「くだらないだろう」
「まぁ」
「だからもう昨日のうちに仲直りした」

弁財がことんと箸を置くのとおんなじくらいのときに、日高が「そうですか」と笑った。それが、「もう心配いらないですね」と言われているような気がして、弁財は居心地が悪くなる。こないだも、きっと日高がうまいこと言ってくれなかったなら、秋山と弁財は関係をこじらせたままだったかもしれない。感謝するべきなのだろうけど弁財は日高のようにするりとそうできそうにはなかった。日高はすごい勢いで昼食を腹に収めていく。カツ丼に生姜焼きだ。よくみると迷ったらこれ、というメニューだった。迷った末に両方頼んだのだろう。日高らしい、と弁財もくすりと笑った。そうしてから、きゅうに、ちょっと怖くなった。

「なあ、日高」
「ふぁい」
「食うか返事するかどっちかにしてくれ」
「…はい」
「へんなことを聞くぞ」
「はあ、」
「なんでこんなに俺にかまうんだ」
「え、だって、そんなの」

「弁財さんがすきだからですよ」と日高が言ったときに、弁財はのもうとしていたお茶を噴き出した。弁財はただなんとなく日高は「よくわかんないですけど、なんか気になるっていうか、ほら、職場の空気って大事じゃないですか」だとかあたりさわりのない程度のことを言うと思っていたのだ。思っていた、というより、そういう言葉がほしかった。しかし日高はそういうカーブだとか、ショートだとか、チェンジアップだとか、野球でいうところの変化球を持ち合わせていないらしい。いつだって直球ストレートでアミーゴだ。弁財はひとしきりむせてから、日高の方を見た。日高はぽかんとしている。ぽかんとしてから、自分が言った言葉を反芻して、かみ砕いて、飲み込んでから、「あ、いや、ちがっ」と顔を赤らめた。ひどいシナリオだ。

「いや、ほら、先輩として?同僚として、っていうか、いや、変な意味じゃ、なくて、ぎゃっ」
「焦るな。変な意味にしか聞こえてこなくてこちらがこまるだろう」
「はは」
「俺は男だしな、いくら細くっても。身長もかなりある方だし」
「ですよね」
「おまえなら、いくらだって貰い手がいるだろうしな」
「ははは」
「ははは」

二人して乾いた笑いをこさえながら、どうしたものかと考えた。いろんな言葉がブーメランのようになって突き刺さってくる。お互い、どこまで踏み込んだものかと考えているらしかった。そのときに、ちりりと弁財は右の耳たぶが痛んだ気がして、眉をひそめる。ああそういえばそうだった、と思い出して、するするとお茶をすすった。

「日高」
「はい?」
「俺はきっとうぬぼれているんだろうなぁと、思わなくはない」
「はあ」
「うぬぼれついでに、一つ言っておく」
「はい」
「きっとそれは、錯覚だ」
「え」

弁財はことんと湯呑をプレートの隅に置くと、「じゃあ俺は食べ終わったから」と席を立った。日高はひとり取り残されて、茫然と、箸をすすめた。迷いに迷って結局ふたつ選んでしまったカツ丼と生姜焼きが仲良くプレートに並んでいる。やっぱりどっちかしか選べないものなのだなぁと、思った。胃もたれがして、ちょっと苦しかった。


END


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