日高と弁財




「煙草臭い」

日高はその日の午後弁財と外回りだった。日高がぎくりと肩を揺らすと、弁財がため息をついた。

「お前、喫煙者だったか?」
「え、あ、いや」
「隠すことじゃないだろう」
「・・・はい・・・」

日高が観念したようにしょぼくれると、弁財は「身体に悪いだろう」と嫌そうな顔になる。しかしその台詞はブーメランになって弁財に帰ってきたらしく、ズドンと貫かれてから、弁財はいたたまれない顔になった。喫煙者は誰しもそれが身体に悪いということを自覚している。だから他人には勧めたくないし、友人や後輩が吸い始めたのなら止めるのだ。そういう気持ちになることだけは理解していただきたい。

「いや、わりと前からなんです。二十歳くらいからちょこちょこ吸ってて・・・最近は全くだったんですけど」

日高はそのあとに、秋山に言われたように「悩み事とかあると、つい口寂しくなっちゃって」と付け足しそうになり、慌てて口を閉じた。弁財は「なんだ、そうなのか」と首をかしげてみせる。

「秋山みたいに習慣にはするなよ。もう抜け出せなくなる」
「はい・・・肝に銘じておきます・・・」

日高は今日はなんだか肝に銘じることが多いなぁと思いながら、ため息をついた。そうしてから、すん、と鼻を鳴らしてみる。鳴らしてから、あれ、と思った。

「弁財さん、煙草吸いました?」
「・・・」
「・・・セッターの、ライト」
「なんでそこまでわかるんだ」
「秋山さんのがそれなんで」
「秋山からもらったからな」
「身体に悪いですよ」
「どの口がそれを言うんだ、どの口が」

日高はなんとなく、ほっとした。弁財は煙草を吸えるくらいには回復したらしかった。けれど、同時に、秋山の台詞も思い出してしまった。

「悩み事、あるんですか」

日高がそろりとそう聞くと、弁財は「そういうわけじゃない」とするりとかわしてしまった。やんわりと否定されただけなのに、なんだかシャットアウトされてしまったような感覚を覚えて、日高はすっと目の覚める心地がした。なんだか色々と錯覚していたものを正されたような、そんな感覚があったのだ。弁財は歩くテンポも変わらない。けれど、日高は、それが嘘だとわかった。五島のように目に見える癖があるわけではないけれど、ぴりぴりと張り詰めたような雰囲気が、痛かった。

こわいと思った。はじめて、人の領域に踏み込むということを意識したかもしれない。いつもはそんなのお構いなしにずけずけとはいってしまって、はいってしまったあとに気づくのだから救えない。それなのに今回ばかりは弁財が「はいってくるな」と日高にちゃんとわかるように境界線を引いていた。それがどういう意味なのか、日高にはわからなかったけれど。

「・・・なんかあったら、相談してください」
「なにもないさ」
「・・・弁財さん」
「なんだ」
「・・・なんでも、ないです。えっと、俺、コンビニ寄って帰るんで、ここで…」
「・・・そうか」

弁財とは別方向に駆け出しながら、あ、と日高は思った。これは多分後悔するパターンだと、わかった。夜布団に入って、目を閉じたときに思い出して、どうしてあのときこうしておかなかったんだ、ともだもだ思い悩むパターンなのだと、日高にはわかった。けれど、どうしようもなかった。相手に拒絶されてしまうと、ほんとうに何もできなくなってしまうものなのだなぁと、はじめて知った。こんなに近くにいるのに、日高はあの夜のように手を握ることが、できなかった。すこし手を伸ばせば簡単に握れてしまうのに、絶対に、できないのだ。それは不思議なくらい、そうだった。ほんとうに、不思議で、不思議で、たまらなかった。するりと煙の匂いが鼻をつく。日高の煙草より、じっとりと重たい、煙の匂いだ。


END

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