弁財と日高






弁財が資料室に入るときはなんとなく扉を開けたままにしておく。狭い部屋に閉じ込められるのは苦手だったからだ。最近はなんだかそれが顕著に出てしまっていて、エレベーターには絶対に乗れないし、自室のトイレに入るときもかならず窓を開けていた。逃げ道があるとちゃんとわかっていないと、冷や汗が出て仕方なかった。道明寺は多分悪気なくそのことを日高に言ってしまったのだろうが、たまったものではない。それなりに人生というものを送っているとトラウマのひとつやふたつはかかえてしまうものだ。秋山が自室で煙草の匂いをさせているだけで吐き気を催してしまうし、腰のあたりにしつこく残っている火傷の跡がうずいていけなかった。かといって秋山に「煙草、少し控えてくれないか」とも言い出せず、心配をかけてしまうのも気が引けた。こないだまでは自分が煙草を吸うこと自体なんとも思っていなかったのに、おかしな話だ。そこまで考えていると、急に鼻のおくが煙たくなったような気がして、気分が悪くなった。フラッシュバックのようになって、冷や汗が吹き出してくる。自分が狭い資料室に閉じ込められているのではないかという錯覚を覚えて、弁財は慌てて出口の方を見た。そこはちゃんと開け放たれていて、少しだけほっとする。大丈夫だ、ちゃんと逃げ道は用意されている。けれど、そこに突然影がさして、弁財はぎょっとした。

「あれ?資料室の扉空いてる…あ、弁財さん、いたんですか」

入口に立ったのは日高だった。大きなバインダーをかかえていたので、資料を返しにきたのだろう。資料室に入るときになんとはなしに扉を閉めようとして、弁財はあわててそれをとめようとするのだけれど、間に合わない。パタン、と絶望的な音を立てて、そこが閉まってしまう。

「え、弁財さん、顔色悪いですよ?どう…」
「ドア開けろ!」
「え?」
「いいから!はやく!」

日高は尋常でない剣幕で怒鳴られて、困惑しながらも急いで先程閉めたドアを開けた。弁財はそれを何度も確認して、「大丈夫だ」と自分に言い聞かせるのだけれど、扉が締まるイメージだけが頭の中で繰り返し再生されて、かたかたと震えだす身体をどうにもすることができなかった。日高はほんとうにどうしたんだ、と弁財の様子に目を見張る。弁財は情けないとは思いつつも、吐き気がこみ上げてきて、ずるずるとその場に座り込んでしまった。

「え、弁財、さん?」
「…問題ない…」
「そう、は、見えないです。えと、扉…の、せい?」

日高はない頭をぐるぐると回転させて、資料室の中を見回してみた。いつもどおりなんの変哲もないただの資料室だ。壁いっぱいに資料が詰め込まれ、それが空間を随分狭く感じさせる。そうしてから、日高は「あ、もしかして」と。

「閉所恐怖症、とかですか?」

弁財は何も答えないのだけれど、日高は「とりあえず、外に出たほうがいいですよね」と弁財に肩を貸そうとその腕を掴むのだけれど、その手はとんでもない力で振り払われてしまった。そうして恐怖に濡れたような目で日高を見上げてから、弁財は「あ、」と我に返ったようになった。

「す、すまない。その、少し、ほうっておいて、くれ」
「ほうっておけるわけないじゃないですか!」

日高は上から手を伸ばされるのが怖かったのだろうと、弁財の前にしゃがみこんで、目線の位置を同じくした。

「顔色悪いし、汗すごいし、なんか、すみません!知らなかったとはいえ、俺が扉、しめたせい、ですよね」
「…その、最近、ちょっと調子が、悪くて」
「そういうの、大事なことじゃないですか!ちゃんと言ってくださいよ!」
「言うようなことでも、ないだろう」
「…そうかもしれないですけど」

弁財はうろうろと出口のあたりをちゃんと確かめる。大丈夫だ、逃げ道はちゃんとある。それを何度も何度も自分に言い聞かせると、やっと、息の塊を吐き出すことができた。吐き気もどうにか治まり、ふらふらしながらも、立ち上がれるようになった。

「大丈夫ですか?医務室とか、行った方が…」
「…問題ない」
「弁財さん、」
「大丈夫だ。だから、構わないでくれ…」

逃げ道なら、ちゃんとあるのだから。弁財はそうつぶやいて、ふと、目を閉じた。どろりと流れ込む記憶が、どうにも恐ろしくてたまらなかった。


END


日常じゃない!日常じゃないんですけど!
トラウマ持ちの弁財さんが書きたくて!シリアスなんですけど!
もうこの話だけネタがわらわら出てきちゃってもう…
日弁とか需要ないですかね…私は大好きですよ、日弁…

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