route munakata 6




ベッドから起き上がれないまま午前中を過ごしてしまうと、昼にさしかかり熱が上がってきたのか、どんどん体調は悪くなっていった。ポカリを口に含んでみても喉がひどく痛むものだから飲み下せない。最終的に自分の唾まで飲み込めなくなり、伏見は意識が朦朧としてきて、さすがにこれはいけない、と空恐ろしくなった。身体の中に何も入っていっていかないくせに嘔吐や汗でどんどん栄養や水分は抜けていく。最終的にベッドから動くこともできなくなり、らしくなく「ああ、死ぬかもしれないな、」と思った。そうしたときにベッドサイドに落てしまった宗像の上着が目に入り、無性に泣きたくなる。それをどうにか力の入らない指先に引っ掛けてみるのだけれど、なかなかうまくいかない。手繰り寄せようとするのだけれど、それはするりと伏見の指の隙間から滑り落ちてしまった。伏見はそうしているうちになんだか馬鹿馬鹿しくなって、寂しくなって、自分はどうして今こんなところにいるのだろうと思った。そうするとこみ上げてくるものがあって、目の前が熱以外のもので霞んでくる。どうやら自分は思っていたより弱っていたらしい、と伏見は思った。目尻から伝った液体も熱ですぐに乾いてしまい、白い筋しか残らない。馬鹿みたいだ。

「そんな顔をして、なにをしているのです」

伏見はいよいよ幻聴でも聞こえだしたのか、とゆっくり視線を彷徨わせた。そうして、いつもどおりの様子の宗像が少し心配そうな表情をうかべてそこにいるのを見つけ、伏見はああ夢でも見ているのだろうか、とその宗像にゆるゆると指先を伸ばすと、ひんやりと冷たい手でそれを握り返された。そうしてから、自分の体温が恐ろしく高いことに驚く。

「ひどい熱ですね。昨日ひどく消耗した様子だったので病院にも行けていないのではと昼休みに様子を見にきたのですが、来て正解でしたね。インターホンは押しましたが、どうにも返事がなかったもので勝手に入りました。文句ならあとからいくらでも聞きますから、もう少し我慢してください」

宗像の冷たい指先が伏見の頬にかかり、それがとても気持ちいい。伏見がゆるゆると瞼を落とすと、宗像が「病院についたらさすがに起きてくださいよ」と呆れたようなことを言って、それが、最後。


宗像によって病院まで運び込まれた伏見は即日入院を言い渡された。熱のある状態で超過勤務をしたのがいけなかったらしいが、それ以上に普段の生活もそれに拍車をかけていたようだった。病院へついた時点で伏見の熱は41度台に突入しており、診断を受ける前にとにかく点滴を打たれた。それで水分をどうにか取り入れると、伏見の朦朧としていた意識がやっとすっきりとしてくる。それでも熱は高く、喉は相変わらず唾も飲み込めなくなるほど痛んだ。診療を受けようにも声が出ず、ほとんど吐息のような声でとぎれとぎれに大体の症状を伝えると、医者は呆れたような顔で「入院ですね」と。伏見が自力で水分を摂取できないのと熱がひどく高いのとでの処置だったようだが、セプター4には「伏見さんが緊急入院」という大仰な見出しがついてそのことが伝えられた。伏見を病院まで連れていった宗像は、伏見が点滴を受けている間に一度セプター4へ戻ってしまったのだが、仕事終わりにまた顔を見せた。

「だからあれほど無理はしないでくださいと言ったのに。部屋で意識を朦朧とさせているあなたを見たときはさすがに肝が冷えましたよ」
「……ちっ…」
「やはり医療機関へかかると少しは回復するようですね。今淡島君が君の着替えやら必要なものやらを部屋から持ってきてくれています。まぁ…今日も人手は足りてませんでしたが、君が昨日までの仕事をほぼ片付けてくれていたのと淡島君が復帰したことでひと段落つきました。しかし入院と聞いて君の部下も相当驚いていましたよ。ほんとうに、全く…」

宗像が眉間に皺を寄せるので、伏見は何も返せなくなってしまった。何か嫌味のひとつでも言われるのかと思ったのだが、今日はそれがない。なんだか調子が狂ってしまう。宗像がおもむろに伏見の頬に手を寄せて、ぎゅっと眉を寄せるものだから、それは尚更だった。この手のひらの冷たさにももうなれてしまっていて、それがむず痒い。

「三日間、入院だそうですね。ゆっくり休んでください」
「…し…ょ…」
「声は出さないでください。全く、俺がどれだけ…失礼、私がどれだけ心配したと思ってるんですか。君は本当に、どうしようもない子ですね」

いつもの余裕という仮面のようなものがばらばらと剥がれ落ちた宗像はひどく頼りなげな装いをしていた。伏見がそれに困惑したところで、ふと、宗像の手のひらが伏見の頬から離れた。ぼんやりとした冷たさが、熱によってじわじわと消えていってしまう。宗像の手が離れてからすぐに、伏見の病室に淡島が入ってきた。手には大きな紙袋をふたつほど下げている。その中に着替えやら生活用品が入っているのだろう。病み上がりにしては背筋がいつもどおりぴんと伸びていて、日頃の行いの賜物だろうと伏見は自分の状態を見て舌打ちをしたい気分になる。淡島は宗像が来ているとは思っていなかったのか、少し驚いたような顔をした。

「あら、室長、いらしてたんですか」
「ええ。様子を見に来ただけですので、そろそろ帰ろうかと」
「そう…ですか。伏見君、入院だそうね。室長からそう聞いたものだから、寮から勝手に必要そうなものを持ってきたわ。私が抜けてしまったせいで無理をさせてしまって、申し訳なかったわね」

伏見は声が出そうになかったので、タンマツに『そういうわけじゃないです』とだけ打ち込み、それを淡島に見せた。淡島は嘆息して、紙袋の中身をベッドサイドの収納スペースに手際よく詰め込んでいった。

「着替えについては病院から支給されるでしょうから、下着と、タオルだとか、そういうものは持ってきたわ。歯ブラシだとかそういうものは適当に買ってきたけれど、なにか必要なものがあったら言いなさい。一人暮らしだもの、こんなときくらい人を頼ってくれていいのよ」

淡島は少し後ろめたいと思っているらしく、いつもよりなんだか優しい声音でそう言った。伏見はどうにも居心地が悪くて、黙り込んでしまう。もとから声なんて出はしないのだが。

「それから、あなたの部下の何名かがお見舞いに来たいと言っていたわね。どう伝えておけばいいかしら。緊急入院という扱いだから、さすがに心配していたわ。負担になるようなら断りをいれておくけれど」

伏見はこんな情けない姿を部下に晒すのはごめんだ、と『さすがに見舞いは勘弁なんで、お願いします』とタンマツに打ち込む。淡島はその答えを予想していたのか「そう」とだけ返す。

「そうね、特に秋山君が心配そうな顔をしていたわ。それから、日高君も。退院したら何か一言くらいかけてあげたらいいんじゃないかしら。私も長居するつもりはないから、ゆっくり休んで身体を治しなさい。仕事ならなんとでもなるのだから、無理はしないでね」

伏見が少し考えて、『それはどうも』とだけ返すと、淡島は嘆息して踵を返した。一瞬宗像はどうするのだろうという目を向けたのだが、宗像が「もう少し」とだけ返すと、「ではお先に」と断りをいれて部屋を出た。
「淡島君もあれでいてかなり心配しているのですよ。どうも、君が女性になってしまってから親近感をもっているようで。妹ができたようで嬉しいのでしょうね。それでなくても庶務課以外は男世帯ですから」
『…そういうこと言うのやめてもらっていいですか。ていうか、いつまでいるんですか』
「大人しい君というのが、あまりにも新鮮で。そうですね。少々長居しすぎたようです。では、私もそろそろ帰りますかね」

宗像があんまりあっさり引き下がるので、伏見は拍子抜けしてしまった。そうしてから、宗像は「そういえば」と伏見を振り返る。

「寂しいのなら、上着なんか手繰り寄せていないで素直に私を呼べばいいでしょう。そうすれば、いつでもそばにいて差し上げますよ」

くすくすと愉しそうに笑って、宗像はさっさと退室してしまった。伏見ははじめなんのことを言われているのかわからなかったのだが、少ししてから思い当たる節があり、かっと赤面してしまう。そういうわけではなかったのに、と頭を抱えた。じゃあどういうわけだったんだ、と考えてしまうと答えはみつからないのだけれど。


END




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