route munakata 4




伏見はその日流石に具合が悪かったのか、日付が変わる前には仕事を切り上げ、風邪薬や栄養剤でドーピングできるだけドーピングしてベッドに入ったのだが、翌朝の目覚めといったら最悪だった。頭痛がガンガンと苛んでくるし、喉の違和感は痛みに変わっていた。それでも熱を計ってみたら平熱より少し高いくらいだったので出勤したのだが、オフィスは昨日と変わらず人数が少ない。幸い昨日より人数が減るということはなかったのだが、それぞれがそれぞれ疲れたような顔をしていた。秋山は同室の弁財が寝込んでいたはずだが、予防というものをしっかりしているのだろう、とくに具合が悪そうな顔はしていない。それでも昨日家にまで仕事を持ち帰ったのだろう、目の下にうっすらと隈ができている。道明寺も同室が寝込んでいるのだが、馬鹿だからうつらないらしい。けれど苦手な書類仕事をこれでもかと押し付けられて、デスクに撃沈している。日高もまたしかりだ。五島だけが昨日と変わらない顔でさっさと書類仕事を片付けていた。彼の身体はいったいどうなっているのだろう。伏見のデスクはもう淡島が盛り付ける餡子かというほど書類の山ができていて、頭痛が増したような気がした。明日明後日になれば欠勤している隊士もさすがに復帰してくるだろうからそれまでの辛抱だ、と自分に言い聞かせるも、舌打ちを我慢することはできなかった。

午後になって伏見が書類を宗像に提出しに行った時にそれは起きた。いつも通りノックを三回して、名乗りをあげようとしたのだが、喉からはかすれたような息の音しか出ない。宗像はそれでも入室を許可したのだが、伏見が入室して、様子がおかしいのを見るとかたちのいい眉をひそめた。

「…どうしたんです。用件は?」
「…の……を…」
「伏見君、あなた声が…」

宗像は驚いた顔になるのだが、伏見も驚いていた。確かに風邪は喉からくるタイプだったのだが、声がでなくなるようなことは生まれてこのかたなかった。たしかに午前から喉の調子はすこぶる悪く、液体以外は受け付けなかったのだけれど、それにしても、だ。自分の書類仕事にばかり構って他と会話する機会もなく、気づくのが突然になってしまったので困惑を隠せない。入口付近で棒立ちになってしまっている伏見を見て、宗像は席を立った。そうしてつかつかと伏見の近くまでくると、マスクを外して口を開けさせた。顎に指がかかり、無理やり開かされたかたちになるのだが、伏見はそんなことにかまっている余裕がないらしい。

「ひどく腫れていますね。まぁ風邪の症状でしょうが…無理に声は出さない方がいいでしょう。呼吸が苦しいだとか、喉に痛み以外の違和感があるだとか、そういう症状はありますか?」

伏見は声が出ないので黙って首を横に振った。そうしてからはたと自分と宗像の距離に気がつき、すぐに一歩下がる。

「なんです、今更。で、用件はなんでしたか。ああ、書類ですか?」

伏見が黙って書類を宗像に差し出すと、宗像は立ったままその書類に目を通していく。報告書の類であったため、宗像はそれを受け取り、「では確かに。ご苦労様です」と言う。そうしてから、どうにも体調が良さそうではない伏見の様子を見て、さらに眉間の皺を深くした。

「早退したほうがいいのでは?」
「……お…れが……」
「声は出さない方がいいと先程言ったでしょう。タンマツに打ち込むなり紙にかくなりしてください」

宗像に指摘され、伏見は舌打ちをする。そうしてからタンマツを取り出し、メモ帳機能を開いてそこに短い文章を打ち込んだ。その画面には『熱はないんで。それに俺が抜けるわけにいかないでしょう』と。宗像はそれを見て溜息をつく。

「倒れてからでは君を部屋まで引きずっていく手間が増えるでしょう。明日には淡島君が復帰すると連絡がありましたよ。大事をとっても問題ないでしょう」
『デスクに書類が山作ってるので、それが終わったら帰ります』

宗像はそのタンマツの画面を見て溜息をついた。実際今のセプター4に伏見を帰してやれるだけの余裕はなかった。むしろ明日淡島が復帰するとはいえ、ここで伏見が抜けたならば昨日今日ぶんの停滞している業務がすべて秋山に押し寄せることになる。彼は有能だがさすがに限度がある。実際今の時点で酷い顔をしていた。宗像も普段よりずっと働いているのだが、それでも追いつかないらしい。やはり淡島が抜けた穴は大きい。彼女の事務処理能力は目を見張るものがあるし、それをなんでもない顔をしてしてしまうものだから脱帽ものだ。宗像は仕方がないこととはいえ、と眼鏡のブリッジを上げた。どうにも気は進まない。

「くれぐれも無理はしないでください。今日は定時で上がることです」

伏見はマスクを直し、終わるもんならな、と口を動かす。それはもちろん言葉にならず、マスクの中でくぐもって、消えてしまったのだけれど。

伏見がオフィスに戻ると、秋山がいつものコーヒーではなく生姜湯をいれてみんなに配っていた。身体があたたまるから、と。自分も相当疲れているだろうに、こういうところで気を配れる彼は本当にできている。伏見にも温かいそれを差し出すのだけれど、何も言わない伏見に秋山は少し首をかしげた。

「生姜、苦手でしたか?」
「……」
「え、と」

伏見は戸惑う秋山に舌打ちをして、自分の喉を指差す。そうしてからマスクを外し、口をぱくつかせて声が出ないむねをジェスチャーした。そうするとようやく察したらしい秋山が「大丈夫ですか?」と心配そうな顔になる。伏見は生姜湯を受け取ってから、大丈夫だろ、と伝えようと思うのだが、どうしていいかわからず、適当なポストイックに『声出ないだけだから問題ない』と書いて見せた。それでも秋山は心配そうな顔をしていたのだが、伏見が不機嫌そうな顔になると仕方なしにという様子ではあったけれど引き下がった。声が出ないというのは案外不便なものだ。伏見が痛む喉にほっとするような味のそれを流し込みながら、そう思った。

当然伏見の仕事は定時には終わらず、伏見は当たり前のように残業をした。さすがに病み上がりだろう淡島に仕事を押し付けて自分が明日から休むというわけにもいかない。それは思いやりというよりもプライドに近かった。「伏見さんも流石に風邪ひいてちゃなぁ」という台詞が聞きたくなかったの一言につきる。社畜根性が根付いていると舌打ちをしたい気分にもなるが、仕事が好きなわけではないし、上司が怖いわけでもなかった。ただなんとなく嫌なだけだ。それに宗像の指示に従うのもなんだか癪に触る。なんだかぼやける画面を無視して、伏見は指を動かした。

最後にいつもよりなんだか姿勢の悪い秋山が帰ってしまうと、オフィスには伏見だけになった。上司より先に帰るのをなんとも思わない人物ではなかったが、さすがに疲れがたまっていたのだろう。伏見に「伏見さんもご無理なさらず、はやめにお帰りになってくださいね」と言い残していった。もとより伏見は誰よりも残業が多い。いちいちそれに全員が付き合っていたらそれこそ税金の無駄遣いだ。伏見はむしろ仕事が終わったなら自分のことなど気にせずさっさと帰ればいいとすら思っていたし、自分が情報課にいたときは上司がどれだけ居残っていようと自分の仕事が終わったなら定時で帰っていた。そういえば、こんなに残業が嵩むようになったのは特務隊に派遣されてからだ。面倒な部署に着てしまったものだ。時刻は日付が変わるかというところで、伏見は熱が上がってきたのかゆったりとしか動いてくれない視線でそれを確認した。あとは何枚か簡単な報告書を書き上げてしまえば昨日今日の仕事が終了する。それだけやってしまってから帰ろう、と伏見はまた画面と向き合うのだけれどどうにも視界が定まらない。ストックしてあった栄養剤をストローですすってみても、どうにも調子はもどらなかった。それどころか栄養剤が胃に入ってしまったことで吐き気が増し、気分が悪くなる。どうしようもなくなってデスクに頬をつけると、それはひんやりと冷たかった。一度そうしてしまうともう起き上がれなくなり、伏見は熱く荒い息を吐きながら、しばらくそうしてうずくまるようにしていた。こんなことならさっさと寮に帰ってしまえばよかったのだ。少しでも起き上がろうとするとガンガンと頭が痛み、動くこともできない。横になったことで熱が一気に上がったようになり、視界もぐらぐらと揺れだした。これは本気でやばい、と朦朧とする意識で伏見が思ったときに、ぱさりと肩にかかるものがあった。

「だから定時で帰りなさいと言ったじゃないですか」
「……?」
「酷い顔をしていますよ。熱も高い」

視線だけどうにか動かして確認すると、肩にかけられたのはどうやら宗像の上着のようだった。この上着を借りるのは二度目だなぁと伏見が変なことを考えていると、宗像が嘆息した。

「暴れないでくださいよ」

宗像は伏見の上体を起こすと椅子をずらして、軽々と伏見を抱き上げてしまった。伏見は頭痛がいやまして眉をしかめる。けれど腕を持ち上げるのも辛くて、抵抗はできそうになかった。宗像は伏見がやたら大人しいのを見て眉間の皺を深くした。

「全く、だからあれほど無理はしないでくださいと言ったのですよ。あなたを部屋まで運ぶ手間が増えたじゃないですか」

宗像の腕の中で揺られながら、ああこうして運ばれるのもたしか二度目だなぁと伏見は思った。重くないんだろうか、なんてらしくないことを考えながら。


END


もうひとつの連載となんか被ってね?っていうツッコミは無しの方向で…すみません。
風邪で声がでなくなる設定大好きです。

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