29.don't concentrate too much




休み明けに伏見が職場に顔を出すと、何か様子をうかがうような空気があった。なんだなんだと睨み返すのだが、どうにも居心地が悪い。その視線は主に道明寺、榎本、布施、五島からのものだった。面子的に日高が何か口を滑らせたに違いない。伏見は痛みの和らいできた背中を思い、舌打ちを一つした。

「伏見さん」
「…日高」

伏見が苛立ちながらデスクにつくと、真っ先に日高が声をかけてきた。

「今日特務隊の午後連参加するって本当っすか?」
「んだよ文句あんのか」
「いや…怪我、とかあるじゃないですか」
「もう治った」
「そんなわけ…」
「日高、あんなんすぐ治るだろ。馬鹿は馬鹿なりにさっさとデスクに戻って報告書提出しろ。こないだの報告書出してねーのお前だけだかんな」
「え、あっ!すみません!」

日高はすっかり忘れていた、という顔をしてバタバタと自分のデスクへ戻っていった。日高がいなくなると様子をうかがっていたらしい秋山が「おはようございます。コーヒーいかがですか」と声をかけてきた。伏見は一瞬なんだか怖いものを見たような顔になるのだけれど、すぐに気を持ち直し、ため息をついた。

「…ブラックで」
「はい。ちなみに今日はモカブレンドとブルマンサントスがあるんですが、どちらがいいでしょう」
「どっちでもいい。俺そういうのわかんねーから」
「そう…ですか。じゃあ、ブルマンサントスの方が豆が新しいので、そっちにしますね」
「…なぁ、普通は古い方から飲むもんじゃねーの」
「え、あ、いや、新しい方が香りがいいので…その、こないだのお詫びも兼ねて…」
「謝るくらいならはじめからあんなことすんなよ」
「すみません…」

伏見は秋山が普段通りの態度なのに少し安心した。それがどうしてなのかは、わからなかったのだけれど。秋山は少しすると戻ってきて、いい香りのするコーヒーを伏見のデスクにコトンと置いた。確かにいつもよりずっと香ばしい匂いがしている。こんなに違うものなんだなあと思いながら、伏見はそれを一口飲んだ。いつもより少し苦くて、深みのある味がする。ふわふわと頭のまわりに漂っていた眠気がふっと吹き飛ぶような気がした。

「秋山」
「はい」
「俺いつものよりこっちのが好き」
「わかりました。じゃあ、今度からこっちでいれることにしますね」

秋山はにこりと笑って、自分のデスクに戻った。どこまでも普段通りだった。それはもう完璧なまでに。伏見はなんだろうなぁと少し思ったのだけれど、特別な態度をとって欲しかったわけでもなかったので、さっさと今日の予定を確認した。午前中はデスクワークで、淡島に提出しなければいけない書類がいくつかある。午後には特務隊の柔剣道訓練、と書かれていて、伏見はじっと背中に感覚を集めてみた。先日よりはずっと痛みは和らいでいる。流石に背もたれには頼れないが、腕は上がるようになったし、脚もひきずることはなかった。動きに気をつければ訓練も差し障りないだろう。そういえば、伏見が訓練に参加することに対して秋山は珍しく何も言わなかったなぁとふと思ったけれど、それだけだ。心配されるよりはほうって置かれた方がずっといい。

午後になると、伏見はさっさと道着に着替えて、道場へ行った。もたもたしているとほかの隊員が着替えにやってきてしまう。包帯を見られたら面倒なことになるだろうと思ってのことだった。道場へはまだ誰も来ていないと思っていたのだが、なぜかそこには宗像がいた。

「なんでいるんすか」
「いえ、特務隊の訓練があると聞きまして。特務隊は精鋭部隊ですから、たまには稽古をつけておくのもいいかもしれないと」
「はぁ…部下をぼこぼこにして憂さ晴らししたいの間違いじゃないんですか」
「君は私をなんだと思っているんです」

ところで伏見君、と宗像は竹刀を二本とり、そのうち一本を伏見に投げた。

「ほかの人がくるまで、暇つぶしでもしませんか」
「…ぼこぼこにされそうなんでできれば遠慮したいんですけど」
「おや、弱気ですね。めずらしい」
「どこの世界にあんたから一本とれる一般人がいるんですか」
「いますよ、それは。純粋な剣道であれば」

伏見はどうにも逃がしてはくれないらしい、と竹刀を取った。それらしく構えて、なんとなく素振りをしてみる。背中はわずかに痛んだけれど、どうにもならない、というほどではない。

「では、いいですか?」
「…お手柔らかに」

後手に回るのは苦手だったので、伏見はフェイントをいれながら宗像の胴を狙った。しかしそれはするりとよけられ、逆に小手を狙われてしまう。伏見は手首を返してそれを竹刀で弾き、宗像と距離をとった。宗像は伏見の怪我を知っているせいか、手酷い一撃をいただくことはなかったのだけれど、赤子と戯れるように受け流されているのは気分のいいものではない。何度か打ち合うと、宗像はふふと笑った。

「たまにはいいものですね、こうしてお遊びをするのも。君の太刀筋は独特ですしね」
「俺はあんたに一撃でも食らわせてやろうとわりと必死にやってるんでそういう言い方するのやめてください。気分悪いです」
「さすがに19歳の女子をいじめるのは気が引けるので。どうです、間合いや体重移動の調整はできましたか?」
「…おかげさまで」
「ならいいです。おや、そろそろ集まりだしたようですよ」

入口の方に目を向けると、室長の姿を見てぎょっとする特務隊の面々がいて、伏見は舌打ちをした。

だいたい全員が集まってから淡島が号令をかけ、整列させる。そこからは宗像がいること以外は普段通りだった。元隊長組はともかく、ほかの面々はなんだか居心地が悪そうな顔をしている。そりゃあ当たり前かと考えていると、淡島に「伏見!集中しろ!」と喝を飛ばされ、また舌打ちをした。

ひととおり形式ばった素振りやら打ち込みをしたあと、ランダムで一対一の試合が組まれることになった。今日は宗像がいるので宗像も加わり、総当たり戦のような形式をとった。伏見は面倒なことになったなぁと思う。日高や榎本程度ならどうにかなるが、この身体で秋山や道明寺を相手にするのは骨が折れる。淡島は参加しないようだったが、宗像と確実に一回は対戦しなければならないのが面倒だった。伏見が最初に当たったのは榎本で、全身から「どうしよう」という空気を出していた。それがなんだかむかついたので、伏見はさっさと榎本の力が乗っていない竹刀を弾き飛ばし、胴にこれでもかというほどの一撃をくれてやる。

「気ぃ抜いてんじゃねーよ。舐めてんならぶっ殺すぞ」

息のできないらしい榎本は床に崩れ落ち、早々に離脱。その様子を見ていたほかの隊員はうわあという顔になる。やはり伏見は伏見なのだ、と怪我を知っている面々は気を引き締め、手加減したらこっちがやられる、と身震いした。

次に当たったのは日高で、これも伏見はさっさと床に沈めてしまう。宗像と先に打ち合い、感覚を掴んでいたおかげでさほど苦労はしなかった。感謝すべきなのだが、どうにも腹立たしい。次に当たった道明寺には手こずった。道明寺の太刀筋は変則的で、気を抜いていると一撃入れられそうになる。何度か打ち合い、どうにか一本いれると、少し息が弾んでいた。次々と打ち合いをこなしていると、どんどん息が弾んでくる。さすがに体力はどうにもならない。最近は戦闘が少なかったせいもある。滴る汗を拭い、なんとか息を落ち着かせようとするも、どうにもうまくいかない。あたりを見回してみるとほかの面々はそれなりに息を弾ませてはいるものの、肩で息をするようにしているのは伏見だけだった。それがまた苛立たしくて、伏見は竹刀を持ち直した。次に当たるのは秋山だった。秋山は普段からよく鍛えているらしく、息もさほど乱れていない。伏見は舌打ちをして、息を吐き出した。

「…少し、待ちましょうか?」
「いらねーよ」
「そう、ですか」

竹刀を構えると秋山は途端に鋭い目つきになる。もっと困惑したような顔をされると思っていたので、伏見の方が困惑してしまったほどだった。秋山は一切の邪念を振り払うように集中した面持ちで伏見の前に立った。それは異様なほどで、伏見は一瞬たじろいでしまう。らしくない、と頭を振り、伏見もゆったりと竹刀を構えた。

秋山の太刀筋は愚直なまでに形式どおりで、受けたり先読みをするぶんには苦労しないのだが、形式どおりであるがために手堅かった。そうして時折不規則なフェイントをいれてくるので、それを受けるのが難しい。伏見はどちらかというと不規則で先手先手を得意とするので、秋山のようなバランス型とはもとより相性が悪かった。もう少し力があれば速さとそれで突き崩せるのだが、どうにもならない。伏見が打ち込めば秋山はそれをうまくいなして、後手で攻撃を仕掛けてくる。かと言って伏見が後手に回れば秋山の一撃の重さに腕が痺れ、後手を返すことができない。続けざまに打ち込まれる前に距離を置き、仕切りなおして先手先手で攻めなければいけないのだが、それもうまくいかない、とどんどん消耗戦になった。その中で秋山はどんどん集中を増し、疲れからくる伏見の隙を容赦なく突くのだが、伏見もそれをうまく受けたり、かわしたりする。気づけば未だに打ち合っているのは伏見と秋山だけになり、先に試合を終えた面々はその試合の様子を見て「めずらしい」と目を大きくした。

「んふふ、伏見さん苦戦してるね。秋山さんは手堅いから攻めあぐねてるってかんじ」
「そうだねぇ…先手先手でいくには少し今の伏見さんだと力が足りないのかな。普段はもっとテクニカルに攻めるのに、疲れてフェイントも減ってるみたい」

俺はそれでもぼこぼこにされたけどね、と少し休んだのち先ほどまで五島と試合をしていた榎本がいまだに痛む腹をさすった。そこに日高との試合を終えた布施も加わる。

「一戦目が秋山さんならもう少し結果は変わったろうけどな。にしても秋山さん、いつになく本気ってかんじ。むしろ一番手加減しそうな人なのに」
「うん…むしろ伏見さん手加減したほうが怒るってわかってるからじゃないかな。
「くっそー俺なんかぼこぼこにされたのにー」

日高は伏見に打たれた額をさすり、ため息をついた。

「さすがに体力も落ちてるんだろうしね。むしろ女性であれだけ動けたのがすごいよ。淡島副長より速さがあるし、体捌きがほんとうにうまい。フェイントもえげつないしさ…」
「ていうか秋山さんもはやく決めるか負けるかすればいいのに」
「んふふ、むずかしいかもね。疲れてるとはいえ伏見さんの実力だし。それに、さっきから見てると隙はいくつかあるんだけど、場所が悪いんだよねぇ」
「場所?立ち位置?」
「そういうことじゃなくって、背中とか、肩とか、脚とか」
「あ、伏見さん負傷してるとこか」
「そう。でもそろそろ秋山さんも集中しすぎてる感あるし、目が怖くなってるし、やばいかも」
「五島、それどういう…」

榎本がそう尋ねようとしたとき、ばしん、といい音がして、伏見が短い悲鳴をあげる。

「…っあ…」

息の塊を喉に詰まらせ、背中に走った激痛に伏見は床に倒れ込んだ。先手で秋山に打ち込んだのだが、疲れから体勢を崩し、受け流されたところで背中を打ち抜かれた。秋山は条件反射でそうしてしまったのだけれど、打ち込んでしまってからさっと青ざめ、すぐに伏見に駆け寄った。

「す、すみません!つい…」
「…う…」

抱え起こすにも触れるに触れられず、秋山は見ていてかわいそうなくらい取り乱したようすだった。息がうまくできないらしい伏見は激痛に冷や汗を流し、ひゅっひゅっと、か細い呼吸音を響かせる。

「伏見さ…」
「おや、負傷者ですか?秋山君」

動揺する秋山の横に、するりと宗像が現れた。宗像は遠慮なく伏見を抱えおこし、とにかく息をさせる。伏見は痛みに顔を歪めるも、綺麗に打ち抜かれたためにダメージは少なかったらしい。幸い痣のあるところではなく、息を整えると、冷や汗をなんとか拭った。

「伏見君、次は私の予定でしたが、どうします?」
「…休ませていただければ、ありがたいです」
「そうするのがいいでしょうね。では私も手が空いたので、医務室に連れて行って差し上げましょうか?」
「いらないです。壁際で休めば回復します」
「そうですか。まぁ手くらいは貸しましょう」

いまだに青ざめている秋山を尻目に、宗像は流れるような仕草で伏見に肩を貸した。そうしてから秋山に「そう、君は集中しすぎるとどうにも視野が狭まるようです。次から気を付けなさい」と言い残す。秋山は返事もできずにぐっと押し黙り、遠ざかる二人の背中を複雑な面持ちで見つめていた。淡島はそれに「室長の言うことはもっともだが、伏見のことは気にするな」と声をかけたのだが、怪我を知っている秋山は蒼白な顔をしたまま、そこを動けなかった。


END


やらかした秋山




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