25.the back which is not known




伏見は苛立ちをどうにか全部外に出し切ってしまうと、やっと落ち着いたように息をついた。そろそろ仕事に戻らなければいけないが、今は淡島が席を外している。少しくらいのんびりしていたって文句を言う人はいないだろう。秋山も了承しているようだったので、まだ猶予はある。

「顔は覚えた」
「え、」

まだずいぶん赤い目元で伏見は道場を睨みつけるようにしていた。そうして次の合同練習でぐちゃぐちゃにしてやる、とぞっとするほど冷淡な声音で呟く。ああこの人はやっぱり伏見さんなんだなぁと日高は思った。ふらりと伏見は立ち上がろうとするのだけれど体中に刻まれた痣が痛むのか、ふらふらと頼りない。日高はそれを支えてやりながら、「やっぱり医務室行きましょう」と言う。痛みに耐えかねるのか、伏見はそれに抗うことなく身体を預ける。立ち上がるだけで少し息が上がっていて、日高は卑怯なやりくちや、自分の不甲斐なさに歯噛みした。どうにも、秋山は気づいていたらしい。自分は乱闘が終わるまでなんだかおかしいとは思ったのだが、何が起こっているかまでは気付けなかった。伏見がその場に倒れ込んでしまうまで気づくことさえできなかったのだ。それが悔しくて、情けなくて、しょうがなかった。

医務室についてみると、もう負傷者の手当てはあらかた終わったのかがらんとしていた。日高は伏見をベッドに座らせると、湿布やら氷やら必要そうなものをとにかく伏見に渡した。伏見は遠慮なく袴の裾をまくりあげ、服を緩めるのだからたまらない。しまいには上なんか脱ぎだして湿布が必要そうなところにはペタペタと貼っていく。改めて見てみると本当にひどかった。綺麗な白だった肌は青や紫や赤でべたべたに着色されていて、見ているだけで痛々しい。日高がうわあという顔をすると、伏見が舌打ちした。傷にばかり目がいってしまっていたけれど、伏見はほとんど下着姿のようなもので、それに気づいた日高が慌てて目を伏せる。

「なんだよ」
「いや、その、痛そうだなぁと」
「こんなんどうでもねーよ。お前だってヘマしたらこれくらいなんだろ」
「はぁ…まぁ。でも訓練でそんなんなったのは伏見さんにぼこぼこにされた時くらいです」
「そんなことあったか?」
「いや、伏見さんが特務隊入ってきてすぐくらいに…」
「ああ、そうだっけ。そんな前のこといつまでも根に持ってんなよ」
「根に持ってるわけじゃ…ないですけど」

伏見は背中が痛むのか、背中のあたりを近くの鏡にうつして確認しようとしたのだが、どうにもうまくいかない。

「なぁ日高、俺の背中どうなってる?」
「え、はぁ、ちょっと!」

日高は背中くらいなら、と伏見の方に視線を向けたのだが、伏見は上裸で、日高はあわててベッドサイドカーテンを閉めた。けれどそうしてしまってから、自分はカーテンの内側に入ってしまっているため、なんだかこれはまずい状況なのではないかという気がしてくる。

「どうなってんだって聞いてんだよ」
「え、え、えっと。ちょっと見えてはいけないものがみえてしまいそうになっているのでうつ伏せでベッドに寝てくれたりとかしたら助かるんですけど!」
「…ちっ…」

伏見は舌打ちをしてベッドに横になると、これでいいのかよ、という視線を日高に向けてくる。なんだかどんどんまずい方向に転がっている。傷の様子を見るという簡単なミッションだったはずなのにいつの間にか伏見が半裸でベッドに横たわり、カーテンも閉まり綺麗な密室が出来上がっていた。いかんいかんと日高は頭を振って気を取り戻す。

「うっわ…」
「んだよ」
「ちょっと、これ、酷いっす」
「…鏡かなんか持ってこい」
「あ、はい」

日高が近くにあってスタンド型の大きな鏡を持ち出し、「見えますか」と角度を調節する。伏見がもうちょい傾けろだとか細かく指示すると、やっと見えたらしく伏見も「うわ」という顔になる。それもそのはずで、死角からの攻撃となるとやはり一番に狙われるのは背中である。攻撃をあてられた回数も多く、息のつまるような衝撃も2、3度は受けた。伏見の背中にはまず肩のあたりから肩甲骨にかけてに一本これでもかと真っ赤な筋が走り、半ばあたりにふたつ、こちらは青くなっていた。何度も攻撃を受けたせいで伏見の背中は腫れあがり、服を着るのも辛そうだった。

「これ、湿布貼ったらひりひりしませんか?」
「…軟膏だけ塗って、包帯巻け。このままだと服きれねーから」
「あ、はい」

日高は言われたとおり伏見の背中に軟膏を塗ろうとしたのだけれど、傷に日高が触れた瞬間に伏見が「う、」とうめき、ひくりと背中を震わせた。日高はかぁっと顔を真っ赤にして、「い、痛かった、ですか」と。伏見は「いいからさっさとおわらせろ」と日高を睨む。それがまたなんだか倒錯的で、日高はどうしようどうしようと思いながらもまた指先でたっぷりと軟膏を掬い、伏見の背中に塗り広げていく。時折ひどく痛むのか、伏見は息をつめたり、どうしようもないといった調子で呻くのだからたまらない。日高はどうにもならなくなって「伏見さん、ちょっと、なんかこれダメな気がするんですけど」と手を止めた。

「…なにが」
「なにがって、色々と」
「…なにエロいこと想像してんだよ。お前童貞かよ気持ちわりい」
「え、エロいとか童貞とか言わないでください!」
「いいからさっさとしろ。こっちもいい気分じゃねーんだよ」

そう言われてしまえばやらないわけにはいかない。日高はなるだけ優しく優しく薬を塗った。それでも伏見は額に汗を浮かべ、時折喉で悲鳴を噛み殺している。傷のすべてに軟膏を塗り終えると、日高は大きなガーゼを何枚か伏見の背中に貼り付け、それを幅の広い包帯で巻こうとしたのだが、横になっていてはうまくいかない。

「すみません、身体起こしてもらっていいですか」
「ん、ああ」
「でも絶対こっち向かないでくださいね」
「わかってるよ」

日高がなるだけ見ないようにして伏見の胴に包帯を巻いていくのだが、どうにもうまくいかない。前が見えないため胸のあたりに包帯が溜まってしまったり、きつく締めすぎたり、逆に緩すぎたりで何度も巻き直しては失敗した。

「日高」
「す、すみません」
「いいから、落ち着いてやれよ。前は俺がなおすから」
「はぁ…」

そう言って何度目かのやり直しをしようとしたとき、ふよっとなんだか柔らかいものが日高に指のあたりに触れて、伏見がびくりと肩を揺らす。

「え」
「…おい」
「え、え」
「クソ童貞がなに変なとこ触ってんだぶっ殺すぞ」
「いや、偶然です!でもすみません!」

もうなんでもいいからさっさとしろ、と伏見は日高を睨み、日高はひぃと息を飲む。もうセクハラで訴えられたら言い逃れのできない状況だった。理性というものを総動員してなるだけ丁寧に包帯を巻いていく。時折伏見が前を直し、「そこきつい」だの「今度は緩すぎ」だのと指示を与えると、なんとなくうまくいった。日高がほっとしていると、伏見はやはり痛むのか、動くたびに顔をしかめ、なんとかまた道着を羽織った。

「日高」
「はい?」
「俺、一応軽傷ってことにしとけよ」
「え」
「わかったな」
「…でも」
「わかったな」

二度も念を押されては「はい」としか答えることができなかった。日高は心配げな顔をしたのだが、それが気に入らないんだよ、というような顔をされてしまい、ぐっと押し黙る。これがもしも秋山ならどうだったろうと意味のないことを考えて、そんなことを考えた自分に嫌気がさした。


オフィスに戻った伏見の背筋は負傷など感じさせないほどにぴんと伸びていた。表情もいつも通りを取り繕い、いつもどおりデスクワークをしていた。しかし椅子に座った時に絶対に背もたれにもたれることはなかったし、少しだけ顔色も悪かった。戻りが遅かったせいで視線をあつめることになってしまったのだが、伏見がいつも通り仕事をこなしている様子を見せると、誰しもが「ああ大丈夫なんだな」という顔になる。

「伏見さん」
「なに、秋山」
「…大丈夫なんですか」
「なにが」
「…怪我、を、された様子でしたので」
「ああ、これ?」

これ、と言って指差したのは頬のミミズ腫れだった。秋山はそんなことではないのに、という顔をするも、伏見がいい顔をしなかったので、そのまま引き下がった。日高にそれとなく「時間がかかっていたようだけど」と聞いてみるも、あーだのうーだの「俺がちょっと気分悪くなってて」だのと答えるばかりで要領を得ない。最後に秋山が目撃した剣撃だけでも相当なダメージのはずなのに、伏見はそれをひとしずくだって外にこぼさない。プライドの高い人だからかもしれない、と秋山は思う。それから、全体の指揮を任される身でありながら目が行き届かず、卑劣な行為に気づくことができなかったことが情けなくてたまらなかった。そしてそのこと以上に、伏見が誰かを頼ろうとしないことが、どうしようもなく辛かった。自分はそんなに頼りないだろうか。こないだの医務室の一件から、秋山はなんだか伏見に距離を置かれているような気がしていた。受け答えも以前は少し砕けてきていたのに、それがまた固くそっけないものにすり替わっている。どうして、という思いが拭えない。けれど、それを聞いてしまったら、自分の中の認めてはいけない感情まで認めなくてはいけないような気がして、恐ろしかった。こんなのは、持っていてはいけないものなのだ。

定時になると大抵の隊士が仕事を切り上げ、帰宅の準備をはじめた。その中で伏見はきりのいいところまで終わらせてしまいたいのか、デスクから離れようとしない。一時間も定時から経過すると、やっとオフィスに人気がなくなった。それを確認して、伏見はたまりかねたように、机に突っ伏した。体中がずきずきひりひり傷んでいた。じっとりと肌と衣服の隙間にかいた脂汗が気持ち悪くて、伏見は荒い息を吐き出しながら、眉をひそめる。そうしていた時に、がちゃりとオフィスの扉が開いた。伏見はびくりとすぐに背筋を直そうとしたのだが、痛みが強くて逆にうめき声が漏れるばかりだった。

「…伏見さん?」

日高あたりがいらない気を回したのかと思ったのだが、それは思いがけず秋山だった。もう私服に着替えているようで、随分ラフな格好だ。秋山はどうにも体調がいいという様子ではない伏見に、「どうされたんですか」と心配そうな顔になる。

「なんでもねーよ」
「…そう、ですか」

秋山は忘れ物らしい端末をデスクから拾い上げた。端末なんかどうやったら忘れるんだよ、と伏見は苛立つ。とにかく平気を装うためにも身体を起こしたかったのだが、先ほどよりずっと痛みが増していて、伏見は小さく呻いたまままたデスクに沈んだ。どうにも尋常ではないと秋山は気づいたらしく、「体調悪いんですか?」と伏見のデスクに寄る。

「…なんでもねーって」
「なんでもないように見えませんよ…。日高の様子もなんかおかしかったですし、具合悪いなら部屋まで送ってきます」
「いらねーよ」

秋山は傷ついたような顔になる。そのまま引き下がればいいものを、目ざとく伏見の緩んだ首元から見える包帯を目に留め、遠慮なく「失礼します」と言ってシャツの襟首を広げてみた。

「おい!」
「…なんですか、これ」
「なんでもねーよ!」
「やっぱり柔剣道訓練のときの…」
「…ちっ」
「とりあえず医務室行きましょう。冷やすだけで随分楽になります」
「いらねーっつってんだろ!」
「動けてないじゃないですか」

秋山はめずらしく強気だった。普段はここで大人しく引き下がるくせに、今回だけは引き下がりそうにない。なんだか怖い顔をしていて、伏見はたじろいだ。秋山は強引に伏見の腕を引き、自分の肩に回す。そうしてから、腰を支えて立たせ、ほとんど無理やりのように医務室に引きずっていった。
医務室に着くと、とりあえず伏見をベッドに座らせ、ベッドサイドカーテンを閉めてしまう。そうして、無遠慮に上着を脱がせ、当たり前のようにシャツまで脱がせてしまった。伏見はインナーを着ていなかったため、伏見の身体を隠すのは包帯だけになってしまう。日高なら真っ赤になりかねない格好なのだが、なんだか秋山の目は据わっていて、どうとも思っていないようだった。そこからはさすがに後ろを向かせ、包帯をするすると解いていく。伏見はさすがに抵抗したのだけれど、秋山が柄にもなく「大人しくしてください」と言って目つきを鋭くするので、伏見は黙るしかできなかった。包帯がほどけていくに従って、秋山がどんどん怖い顔になっていく。伏見は後ろを向いているので表情はわからないのだが、背中に突き刺さる視線が痛いほどで、ああきっと見たこともないような顔をしているんだろうなぁと思う。正面を向いていなくてよかった。秋山は丁寧にガーゼまで剥がすと、眉をしかめた。

「なんですか、これ」
「…日高に手当てしてもらった」
「そういうことではなく」
「……」

秋山は伏見をベッドにうつ伏せに寝かせ、手早く、しかし丁寧に肌についた軟膏を拭き取った。そうしてから薄い布を当てて、その上から備品らしい保冷剤をいくつも乗せていく。ひんやりと冷たさが浸透するにつれて痛みも痺れ、伏見は心地よさに息を吐いた。その間秋山は伏見の衣服をハンガーにかけ、適当なところにかけてしまう。手際がよかった。

「最初に手当てしたのは日高でしたか」
「…ああ」
「打撲はちゃんと冷やさないとあとからどんどん腫れて、痛みも強くなります。直後より時間がたつほどに痛みが増すんです。応急処置さえしっかりしてればあとから動けなくなるほど痛みが増したり、熱を持ったりはしません」
「なんだよ、日高は悪くねーだろ」
「…そうですね」

秋山はそこで会話を切り上げ、きっちり15分経ってから保冷剤を外した。じくじくと痛みがまた熱を持ち始める。そこに秋山は軟膏を塗った。患部に秋山の指が触れるたびに伏見はびくりと背中を揺らし、唇を噛んだ。秋山は冷たく「我慢してください」とそのまま指をすすめる。日高は遠慮して薬を塗りこむようなことはしなかったのだが、秋山は患部にやたら丁寧に薬を塗りこんだ。その痛みに伏見は眉をしかめ、我慢しきれない悲鳴を小さく漏らす。全部塗り終えてから、日高と同じように大きなガーゼを出し、それを広げて伏見の背中に乗せた。そうしてから伏見の身体を起こさせ、丁寧に幅広の包帯を巻きつけていく。

「ちょっときついんだけど」
「打撲の場合はきつめに包帯巻かないといけないんです。圧迫しないと、内出血がどんどん広がるので」
「…胸とかきつい」
「我慢してください。…俺が見たとき、肋骨のあたりにも打撃を受けていたようですが、呼吸をしたときに痛みがすることはありますか」
「ないけど」
「そうですか。ならいいです。ひどいのは背中ですが、脚も引きずってましたね。そっちも冷やすんで、下も脱いでもらっていいですか」
「下着姿になるんだけど」
「我慢してください」
「…セクハラ」
「手当てです」
「なぁ、なに怒ってんだよ」
「怒ってません」

秋山は笑いもせずにもくもくと包帯を巻いた。それが終わると伏見にワイシャツだけ着せ、スラックスを脱がせる。すらりと伸びた脚のいたるところに痣ができていて、秋山はまた眉をしかめた。膝を曲げたり伸ばしたりして、伏見が顔をしかめると、そこに直接触れて骨が折れていないことをちゃんと確認する。どうやらどれも打撲らしい。特にひどかった左足の太ももにだけ保冷剤を巻きつけ、もう一度伏見をうつ伏せにさせると包帯の上からまた保冷剤を乗せた。秋山はなにもしゃべらない。伏見はなんだかそれが恥ずかしかった。下着姿なんてロッカールームで何度も見られているし、一度浴場で全裸も見られているというのにおかしな話だ。秋山が何を考えているのかわからなくて、伏見は何も話せなかった。だから沈黙ばかりが降り積もる。また15分たつと秋山は保冷剤を外し、脚の方には湿布を貼ってやはりキツめに包帯を巻いた。

「これで大丈夫です。今日はシャワーも手早く済ませて、風呂にはつからないでくださいね」
「……」
「念のため部屋まで送ります」
「…いらない」
「駄々をこねないでください」
「…いらない」
「伏見さん」

秋山は伏見を正面からしっかりと見据えた。怖い顔をしている。自分の何が秋山を怒らせているのかわからないし、そもそも秋山が怒っているのか、呆れているのかもわからなかった。伏見は自分がいたずらをした子供のような心境になっていることを自覚し、それが恥ずかしいと思った。けれど引き下がることもできなくて、唇を噛む。秋山は「着替え、持ってきます」と言って伏見の返事を待つことなくカーテンの向こうに行ってしまった。伏見は詰まっていた息を吐き出し、なんで自分が息を詰まらせていたのかわからず、苛立ちを覚えた。

秋山はすぐに戻ってきた。腕が上げられない伏見の着替えを手伝い、衣服を整えてやる。そうして、伏見が黙ったままベッドに腰掛けていると、「送ります」と言って伏見を立たせた。先ほどよりずっと痛みは引いていて、一人でもどうにか歩ける。けれど「一人で帰る」というと秋山がまた怖い顔をしそうで、口に出せない。喉のあたりで言葉がから回っているようで、気持ち悪い。医務室を出て、秋山の後ろをとぼとぼと歩きながら、目の前を歩いているのは誰だろうと思った。


END


童貞と非童貞の差を見せつける秋山さんが書きたかっただけ。
秋山さんは押すとこ押すし怖いときはすごく怖い人だと思うんですよね。



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